2014年12月29日月曜日

今、今、今。






早いもので、2014年も残りわずか。

毎年この時期に歳を重ねるもので、
自然と今年に起きたあれやこれやが胸を去来します。


思えばこの一週間も、忘年会やら何やらで、
色々なところでたくさんの方にお会いしましたが、
気づいたらほぼ全員、今年になってから知り合った方でした。
・・・そんな一年でした。笑


その中でたった2人、
十年前から知ってる人にも会いました。
このご縁は大事にしなさい、と言われている気がしました。
そんなわけでこれからもよろしく元悦(その人たちと一緒に働いたお店の名前)。



皆さんは、どんな一年でしたか?


私は、

「えっ、自分てこんな人だったの?!(驚)」

「今まで信じてきたことは何だったの(呆)」

「こんなに嬉しいことあっていいの(歓)」

「もう許されてもいいの(幸福←降伏?)」

「ちょ、まっ・・・(困)」

「ぎゃー!わー!えーん(泣・苛・怒・鬱)」

「よし進む、進むぞ!(奮)」

・・・みたいなことが繰り返し繰り返し、
起こり続けた一年だった気がします。笑。


いろいろ感じたことはあるのですが、
心のタンク満杯状態で、言葉にうまくまとめられない・・・

なので、今の私の思いを代弁してくれているというか、
どんぴしゃ!に共鳴している言葉を以下に紹介します。

もしかしたら、皆さんそれぞれの心にも、
何かしら響くものがあるかもしれません。


◆◇◆◇◆◇◆


大丈夫だよ、倍音を聞くんだ。
たくさんの可能性がいろんな音で聞こえるけれど、
そのなかの一番美しい響きの部分を掬う。
ただアメさんが望むことだけじゃないよ。
誰かが望むことだったり、人類の望むことだったり、
生き物の望むことだったり、
アメさんを通して世界とつながろうとしている何かの意志だったりする。
その全てに耳を澄ませる。
そして、一番美しい響きの部分を掬う。
それが決然と判断するということだよ。
一番大きな音が正解とは限らない」


高梨ぽこ著 短編小説
「ふわっとした穴」より

少し前にたまたま入ったカフェで置いてあった言葉・・・。
ストーリー全然わかんないけど、なんかいいでしょう。笑
そうだよ、大きい音でなく、美しい響きをすくうんだよ。そうだよなあ。

倍音って、ちょっと今気になる言葉です。


◇◆◇◆◇


知ってんだよすねてひねくれてても
神様も誰もみてくれてねぇよ
自分の枠内カッコ内
恥かかず楽だし格好はいい
なんか無性にイライラ
実はもっと生きてえんだ今、今、今

さよなら さよなら
俺の嫌いなところだけ
いいとこ残し
今、過去からNEWDAY
掴みたい いつか見たい風景

つかみかける→確かめる
間違えるの恐れて諦める
また逃したGOサイン
消えてくだけのドーパミン
そうそう覚悟ができるできないとか
未来とかあとは時代とか
使える言い訳は全部 使って
高い壁に全然ぶ つかってかない
第一印象に尾ひれつけては
大事に慎重にやってたって
同じ結果じゃん
いけるなら行っときな
get a chance

KICK THE CAN CREW「Sayonara Sayonara」


いや〜、意外にラップだった。笑
今の心境表してくれるのラップだった。


昔から和歌の掛詞とか好きなんですけど、
ラップも同じ匂いを感じて・・・熱いですよねえ。
(オレンジのところ、韻がかかってます)



実はもっと生きてえんだ、今、今、今。

本当そう。



もう過去のことを言い訳にするのはいいや。

「あの時できなかったから・・・」
「こうやって育ったから・・・」
「今までの経験で考えられないから・・・」

飽きた!
頭で考えることに正解なんてない。

今までの自分がなくなってしまっても構わない。
変わりたい。


強く願って、飛び立つ時なんです。


(いちおう、聞いてみたい方のためにリンク貼っときます・・・けっこうげんき出る。)




◆◇◆


そんなわけで、今年も一年お世話になりました。

来年も、皆さまのもとに奇跡が降り注ぎますように。
いつでもそれをナイスキャッチできる私たちでありますように。

よき年になりますように。 ^^



2014年12月16日火曜日

誰が決めたんですか?






あー、なんだ。なんだよー。

変われたつもりがちっとも変わってないや。


と、思うような出来事がつい最近あり・・・

自分史の中では、暗黒期(笑)のような時代をすり抜けて、
どんどん前に前に進んでいるような、
数年前の自分とは何もかもが違うような、
調子のよい時期をしばらく過ごしているような気がしていました。


が。


10代の頃から、いや子供の頃から・・・

いや、きっと魂的には何万年も前から・・・

同じような問題を自分で作り出して、同じようなことで悩んで、
つまずいて誤解して勝手にすねて。


何やってんだ私は。


と思わず自分突っ込みを入れつつ、
急に何もかもが振り出しに戻ってしまったような気がして、
ああ、やり方を変えてまた一からはじめなくちゃ。
一から・・・やり直せるのかなあ。



そんな弱音が心に浮かんだ時にふと、
昔聞いたある言葉を思い出しました。



ご存知の方も多いでしょうが、
「古畑任三郎」というドラマが昔ありまして。。


あの中ですごく印象深い回があったんです。
なんでかと言うと、珍しく誰も死ななかったから。


<津川雅彦演じる安斎という作家が、不倫している妻を犯人に仕立てるため、殺人を装って自殺をしようとしたが、旧友である古畑に見破られて自殺を思いとどまる>というラストシーン。

これが、10年経っても覚えてるくらい素晴らしいのです。





古畑 「自殺はいけません」

安斎 「全てを失うことは耐えられない・・・」

古畑 「また一からやり直せばいいじゃないですか」

安斎 「俺たちはいくつになったと思ってるんだ。もう振り出しには戻れん!」

古畑 「とんでもない!まだ始まったばかりです!いくらでもやり直せます!
よろしいですか。よろしいですか? 
たとえ、たとえですね、明日死ぬとしても、 
やり直しちゃいけないって誰が決めたんですか? 
誰が決めたんですか?
・・・・・・まだまだこれからです」



またこの時の田村さんの演技が迫真で・・・
響くんですよね、未だに。



・・・・・・。


やり直しちゃいけないって誰が決めたんですか?




そうです、犯人は私です。。(つд⊂)

まだまだ、これからです。



最近ますます思うのですが、
言葉が人を救うことって、本当にありますよね。



◆◇◆◇◆◇

ちなみに、こっちは実話ですが、
少し前に中央線で可愛い子連れの一家を見かけました。

西へ西へと行こうとしていたようですが、
先へ進むためには電車を何度か乗り継がないといけません。

せっかく乗った電車を一駅で降りないといけなかったせいか、
乗り換えの時に子供が寂しげな顔をして、

子「またスタートに戻っちゃった…(´・ω・)」

すると、

母「少しずつだけど前に進んでるから大丈夫だよ(^ ^)」
 

め、名言。


きっと、そういうことが・・・

勝手にスタートに戻ったかのような気になってるけど、
実は進んでて、ただの乗り換えだった!なんてことが・・・

振り出しでもなんでもないのにこんなことで悲しむなんて、
おやおや困った子ね、って、
自分より視野の広い存在がそれをにこにこ眺めているようなことが・・・


あるかもなあ。



2014年11月29日土曜日

「なくしたくなかったんだ。」





学生の頃、好きだった子の家に遊びに行ったら、変な音楽がかかってました。
上手いんだか下手なんだかよくわからないボーカルと、
南米の暗いロック?のような、それでいて日本の正統派ポップスのような、
時おり妙ちくりんな転調の入り交じる不可思議なメロディ。

「なんじゃこりゃ。」

それが第一印象。


それから大学を出て、いつしか好きだった子のことも忘れて、
数年が経過した頃・・・


2009年、よりによってクリスマス・イヴの日。
あの時のバンドのボーカル、志村正彦が急逝。
享年29歳。
 
バンドは活動停止となりましたが、それから数年後に復活。

残された3人のメンバーで、「フジファブリック」として、再び活動再開。
その数年ぶりのステージを生で見て、私の中の何かが変わり、今に至る。



そもそもフジファブリックというバンドは、山梨の「富士」吉田市で生まれ育った志村さんが友達と始めたバンド。メンバー交代、脱退を繰り返して、ようやく落ち着いたのがあの4人でした。

まるで中原中也のような端正な顔に、独特の表現力のある声。存在感。
作詞も作曲もほとんどが志村さんの手によるものでした。
月並みに表現すれば、天才。

そんな志村さんがつくったバンド。なのに志村さんがいない・・・

そんなとんでもないパラドックスを抱えながら、それでも再スタートを切った。
支えたのは、残った3人の才能と、ひとえに固い意志だったと思います。
新たなボーカルは、それまでギターを担当していた山内総一郎。


総くん。


彼の弾くギターは、不思議です。

テクニック的なことはよくわからないけど…
身体のどこか内側の響いてほしいところに、いつも、きちんと響く。
どんな音を鳴らしてほしいのか、自分でもよくわからないのに、鳴れば「そうそう、そこそこ!!」って思う。

精緻で美しい、しなやかな音を奏でる人です。

寡黙なギタリスト、という雰囲気だった彼が、今やれっきとしたシンガー。
同い年ということもあるかもしれないけれど、なんでかどうしても、他人と思えないんだよなあ。


◆◇◆◇◆◇◆


そんなフジファブリックの10周年記念武道館ライブに行ってきました。
これまであまり語ってこなかった志村さんの話を、ものすごく自然に、柔らかく、率直に話してくれた総くん。

なんでバンドを続けることにしたのか、最近ようやくわかった、と言っていました。



大好きなんだな〜。フジファブリックのことも、志村くんのことも。
 だから、なくしたくなかったんだ。



シンプルな言葉に……泣きました。
志村さんのギターを持ってそんなん言われたら、泣くでしょ。

にくい演出のおかげで、蓋をしていたはずの感情が内から内から湧いてきて、ひたすら泣いてしまった。

悲しくて悲しくて。
でも、そのままちゃんと悲しみを感じ続けたら、それだけじゃないって思いました。
悲しいだけじゃない。歓びも感動も、同じようにここにある。



正直なところ、私にはまだよくわからないのです。


ある日突然、友達より濃い関係の存在が動かなくなること。
明日も当たり前に会えると思っていた人に、二度と会えないこと。
自分がその人のいた場所に立って、その人を好きだった人たちに向かって、その人の歌を歌うこと。
その場所で、新しい歌をつくり続けること。


それがどれほどの悲しみで、どれほどの勇気と覚悟の要ることか。
いくら想像してみても、同じ気持ちにはなれない。


でも、彼らを見てると、いつも思うのです。


神は乗り越えられる課題しかその人に与えない。


あの言葉は本当にそうなんだろうな、って。
あきらめるのはまだ早い。行き詰まったところが始まりです。
って。いつもそう教えてもらうのです。



ライブって、お金を払った方が一方的に恩恵をもらうものだと思っていたけれど、全然違う(何でもそうですね)。



演る方もまた、私たちからもらってるんだ。
与えて、受けとって。エネルギーは循環するもの。
お金でも音でも、愛でも。


「みんながいるから、歌うんだぜ〜!」

って、照れながら言っていたけれど、
あなたが歌うから、聴き続けるよ。



◇◆◇◆◇◆◇



最後の一曲・・・


会場全員でつくり上げた光の柱がずどーーん!!!
と武道館の天井を突き抜けて、瞬時に上空まで走り抜けて、
志村さんのいるところまであっさり届いているような気がしました。



・・・これって愛。







あのバンドと、その歌を聴きたくてたまらないファンの人たちと、
全ての関係者に、とびっきりの幸せが輝き降り続けますように。


なくさないでくれて、ありがとう。





東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

 「茜色の夕日」(フジファブリック/作詞作曲 志村正彦)




君の声はこだましてる 頭の中離れないよ
巡る思いは置いといて さあ行きますか

 「STAR」(フジファブリック/作詞 山内総一郎・加藤慎一、作曲 山内総一郎)





2014年11月26日水曜日

飛行機の話。




口に出して言うほどのことでもないので、これまであんまり人に話したことがなかったのですが・・・

「ふ。」とした瞬間。

何か、上手く言葉にできない、予感めいたものがスッと差し込んだような感覚。
それに気づいて、というより気づくより一瞬早く、意志より先に自然と頭が動いて、ふ、と空を見上げた時に、飛行機が飛んでる確率が異様に高いんです。


あ、またひこうき飛んでる。


あまりにそう思うことが多いので、ひょっとしたら皆も口に出さないだけで、当たり前のことなのかな、と思っていました。

もしくは、私は空港のある街で生まれ育ったので、妙なご縁があるのかなとか。
東京で見る飛行機の小ささには、未だに少し慣れないのだけれど(実家の上空だと機体に書いてあるロゴまで見える)。


◇◆◇◆◇◆


この飛行機の話に関連して、思い出すエピソードがあります。
少し前に読んだ『アミ 小さな宇宙人』という物語に、こんな場面がありました。

宇宙人のアミが主人公の少年ペドゥリートを空飛ぶ円盤に乗せて、はるかかなたの惑星に行くシーン。

別の円盤がすれ違いざま、アミたちに向かって光の合図を送ってきます。
アミもいたずらっぽく笑って合図を返します。それを見ていたペドゥリートは、不思議に思ってこう尋ねます。

「どういう意味なの?あの光のサインは」

「あいさつだよ。友情のしるしだ。おたがいにとても好感がもてたんでね」

「どうしてわかるの?」

「感じなかったかい?」

「感じなかったと思うけど・・・」

アミは柔らかに語りかけます。

「それは、自分をよく観察していないからなんだ。外部にはらうのとおなじくらい、自分じしんに注意をはらっていたら、たくさんのことが発見できるんだよ……。あの円盤が近づいてきたとき、なにかある種のよろこびのようなものを感じなかった?」

「わかんない。たぶん、感じなかったと思う。ひょっとするとぶつかるかもしれないと心配していたから……」

(徳間書店『アミ 小さな宇宙人』2009年、175-176頁より)


 ペドゥリートは、読んでいて少し苦しいくらい、私たち現代人の姿を表してくれていますね。。


ふと見上げるたび、空を飛んでく飛行機。


どういう意味があるんだろう、何かメッセージがあるのかな、なんて頭で考えてみてもちっとも分からなかった。
その代わり、感じてみよう、感じてみよう、とやってみたら、なんだかすごく単純に、わかりました。


優しい感じ。励まされてる感じ。

どこへでも行けるよー。
もういい加減、羽ばたきなさいな。
お空は広いよ。

と、言われているような感じ。

根拠も理屈もあったもんじゃない。
でも感じる。

だったらそれがすべて。
だってそう感じたんでしょ。
それでいいじゃない。

そんなことを思うようになった、最近です。



週末に戸隠へ行っていたのですが、長野駅からのバスを降りた瞬間、飛行機。ひこうき。ヒコーキ。。
ものの数分の間に、真っ青な空にくっきりと白線を描きながら、飛んでく飛んでく。

どう見ても、どう抗っても、なんだか大きい応援団に見守られてるような気がして。
頼もしくて、明るい光が余韻のように胸の中に響き渡っていくのを、しばらくそのまま感じていました。










高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
ほかの人には わからない
あまりにも 若すぎたと
ただ思うだけ けれどしあわせ

空に憧れて 空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲

荒井由美 「ひこうき雲」より。


2014年11月16日日曜日

どっちを選ぶ?




前回の呼吸法の話 から少し続きます。


3日間のコースで講師をしてくれたトレイシー

その写真をネットで見た瞬間、
「あ、おかん!」
と思って参加を決めた、という参加者もいました。

なんかそれもあながちわからんでもないな・・・
と思えてしまう。
上手く言えないけど、初めて会ったタイプのアメリカ人。
でもチベット辺りで前世で会ってそう。笑
人に触れられることにこっそり抵抗のある私でも、
彼女に触れられるのは全然嫌じゃなく、
初めから他人という感じがあんまりしなかった。


そんな彼女から、
こんな忘れられない話を聞きました。

個人の深いところに関わる話なので、
多少ぼやかして書きますが・・・
(それでもこの話を書きたかったのです。)



とあるセッションでの、ある参加者の話。


その女性は若い頃に女性特有の経血の病気を患って、
病院に行ったところ、すぐに薬を渡されたそうです。

「はい。これを飲めばあなたの問題は解決されるでしょう」

とだけ言われて。
確かにその薬を飲んだら、症状は治まりました。

けれどそれから十年ほど経って、症状が再発。

彼女が呼吸法のセッションにやって来たのは、その頃でした。


・・・

セッションで意識の奥深いところまで入っていくと、
突然彼女は、時空を超えたような心地がして、
気づくと過去の自分になっていました。


その自分は、怒りながらこう叫んでいるのでした。

「It's NOT safe to be a woman!」
(女性でいることは安全じゃない!)


しかしその時、
(現実の)彼女の側にいた呼吸法のファシリテーターが、
こう声をかけたそうです。


「It's safe to be a woman!」
(女性でいることは安全です、女性でいても大丈夫です。)


けれども過去の自分は主張し続けます。

No, No, No!!」


その時・・・

彼女は、自分の中の深い叡智が、
こう語りかけていることに気がつきました。


You can choose.
   So, which do you want to choose?」
(あなたが選べるよ。どっちを選びたい?)


彼女の答えは決まっていました。



「Of course, of course, "It's Safe" !! 」



・・・その呼吸法セッションの後、
彼女は自分の病気がすっかり治っていることを知ったそうです。



・・・


この話を聞いていて・・・

「Of course」の辺りで、なぜか涙がぶわっと・・・


何かを誰かを許して自分を幸せにする選択か、
不幸のままで誰かを責めたり自分を責めたりできる選択か。



どっちを選ぶ?


ほんとにほんとに素直になって、
ちゃんと自分に尋ねてみたら、答えは決まってるはず。


もちろん、幸せになる方を選ぶわ!」


そう言っているはず。
いつでも、いつでも。

幸せになる方を、自分のために選んであげたいなあ。
叡智の声に耳を澄ませる自分でありたいなあ。
と、改めて思ったのでした。



そういえば昔から、
選択に迷った時にはこう言ってたっけ。


「どちらにしようかな?天の神さまのいうとおり。」


あれ、 意外に深い言葉だった気がしてきました・・・。


2014年11月7日金曜日

それでも続けなさい。




11月初旬の3連休に、
ブレスアウェアネス(呼吸法)トレーニングのベーシックコースを受講してきました。


呼吸法って何?
なんとなく興味あるかも・・・。
という方はよかったらこちらもご覧ください。


コウノミサのOH!はっぴ〜でいず☆
身体のすみずみにまで届く呼吸で、人生に変容を起こす



いやー、覚悟はしていたけれど、
深かった・・・。



たかが息でしょ?

教わらなくてもできるじゃん。

まさか、呼吸で人生変わるわけないでしょ?


まー、とにかく物事を複雑にしたい私たちですから笑、
毎時毎瞬、当たり前のようにしている呼吸にそんなパワーがあるなんて、信じられないですよね。


でも、「教わらないのにできる」「毎時毎瞬している」わりに、
止めたらものの数分で死に至るものなんて、他にないですよね?

食事すら、何日か抜いたって死なないわけで。
(私の合気道の先生は、若い頃に30日くらい断食したと仰っていますが笑)



呼吸はあらゆる癒しに繋がるマスターキー。


自分の思い癖も、遠い過去世のカルマも、
あらゆる記憶が自分の呼吸パターンの中に刻み込まれている。

ハートが閉じてる人とか、
グラウンディングできてない(地に足ついてない)人とか、
何でも自分の思う通りにコントロールしようとする人とか、
呼吸パターンを見るだけでけっこう簡単にわかるんです。


もしもその癖を手放して、
肺の力を最大級に使って、全身震えるほど、
心底まるごと気持ちのいい呼吸ができたら・・・?


その深遠広大なる可能性を、少しだけイメージしてみてください。
たぶん、あれこれ説明しなくても、直観的にわかるんじゃないかな。
今、これを読みながらも呼吸をしているあなたなら。



意識の奥深くに眠る、美しい森の泉の底の底のほうで、
不意にコトリと音を立てて何かが倒れたような、
呼吸法はそんな静かな、けれどとてつもなくパワフルな、
癒しと変容を起こしてくれるセッションだと思います。

しかも、その起き方は実にユニーク。
同じ場にいても、誰一人として、同じ体験をすることはありません。
感想も、そこから得るものも一人ひとり異なります。
必要なことが、必要な人にだけ、必要なタイミングで起こる。
比べて羨ましがることの無意味さを、実感します。



・・・それで、私はというと。


いろいろあり過ぎて書けないのですが・・・
仙骨が熱を発して燃え上がりそうになり、
解脱するかと思った話とかもあるのですが(しなかったけど笑)、
ま、それはさておき・・・


ひとつ、印象に残ったことを。


呼吸法のセッション中、特有の呼吸をずーっと続けていると、
身体感覚としてはどんどん解放されて、心地良くなってきます。
そうするとだんだん、呼吸が面倒くさくなり・・・
なんかもう、こんな窮屈な体抜け出して、どっかに行っちゃいたいなー。
ああもう全部捨てて、楽になっちゃいたいなー。
そんな誘惑に駆られるのでした。


セッションの後、その感覚について話してみたところ、
講師のデイブがこう言いました。


それでも呼吸を続けなさい。


彼は言葉を足して、


「日常生活でも同じだよ。
 何か嫌になったり、面倒になったり、放り出したくなったとしても、
 それでも私たちは生き続けないといけないんだよ。」


「それに、ただ寝ているだけだったら、
 ちょっとお金がもったいないしね。」


さすがのアメリカンジョークも交えながらでしたが・・・
なんだかこの言葉、響きました。


何か嫌になったり、面倒になったりすると、
丸ごとえーい!と放り投げてしまうような衝動。
そういう癖が私にはありまして。

なんだかそういう自分の頬を柔らかに、
優しくぺちんと叩いてくれたような気がしたのです。


やめたらだめなんだよ、たとえうまくいかなくても。
とにかく続けるの。




生き続けないといけない
 


呼吸(息)続けないといけない


でしょ。



生き続ける限り、呼吸は続けなきゃいけない。

呼吸が続く限りは、生き続けなきゃなんない。



面倒くさいからや〜めた、とか、なしなんですよ。
だったら生まれてくるなと。
だったら呼吸ワークショップ来るなと。笑



・・・


それでも、生きてゆく

というドラマを観たことある方、いますか?
あれ、すごいドラマでしたね。突然ですが。

中学生に幼い子供を殺された母親、同級生に妹を殺された兄、
自分の兄が人殺しになってしまった妹、殺人犯の親となった父母。
それぞれの立場が交錯する深みのあるストーリー。

でもただ重いだけじゃない、哀しいだけじゃない、
なぜだか心に優しい余韻を残すドラマでした。

その最終話に、こんな台詞がありました。


「母は今でも時々泣いています。
 だけどさっき買い物したら、777円だったのよと言って笑ってました。
 たとえば、月曜日と木曜日に泣いたり、火曜日と金曜日は笑ったりして。
 そうやって続いていくのだと思います。」



それでも、生きてゆく。


って、そういうことかな、と今でも思ったりします。
なんでかこの台詞を、呼吸法のワークの最終日に思い出しました。


まだまだ自分に定着していない深い呼吸は、
うっかりするとつい忘れがちなのですが、
「それでも呼吸を続けなさい。」
という言葉が、
これからの自分の背中をそっと、
後押ししてくれている気がします。



さあ、では皆さんもご一緒に。


大きく吐いてー、吸ってーー。


今日も生き続けよう。


呼吸法の話も、もうちょっとだけ続きます。



2014年9月25日木曜日

You don't have to worry.






今からさかのぼること、数ヶ月前のお話です。


もろもろの事情で、久しぶりに自分の職場に戻ってきました。
一年ほど不在の期間があったとはいえ、元々いた場所なので、
2日目には環境に慣れ、3日目には状況に慣れ、
1週間経つ頃にはすっかり何もかもが元どおり。


たったひとつだけ違ったのは、
これまで経験したことがないほどに、
心底この仕事が嫌になっていたこと・・・笑


とにかく、今の自分の興味関心と1ミリも合わない。

追いうちをかけるように繁忙期。
細かい問い合わせの電話に数字、数字、数字の山。
むしろどうして今まで何も思わなかったんだと呆れるくらい、
何もかもが色あせて見えました。
お昼時、自分の席からわずかに見える、青い空だけが心の慰めでした。


まずい、
と思いました。


とにかくここから出ないと。
このままじゃ私、だめになる。


こうなったら・・・やるしかない。


定期異動の時期は3ヵ月後。
ここから抜け出すために、できることは全部やってみよう、と思いました。


とは言っても、
実際にやったのは、とてもシンプルなこと。


今いる場所でベストを尽くす

ということと、

行きたい方向に意識を向ける
(行きたくない方向ではなくて)

ということ、ただそれだけでした。



具体的には。


・頼まれた仕事は文句を思いつく前に速攻やる。

・頼まれてない仕事もできることからとにかくやる。

・「異動したい」雰囲気を出さない。

・愚痴は言わない。言わないだけじゃなくて思わない。

・毎朝晩、同僚と上司に感謝して、部署の発展と幸せを徹底的に祈る。
 「この部署に関わる人すべてが幸せでありますように・・・!」とか。

・どうしても嫌になってきたら、人のいないところに行って深呼吸。

・次に行きたい部署を決めて、自分が働いているところを思い描く。
 座っている椅子、話している相手、着ている服まで・・・丁寧に。

・行きたい部署の人と一緒にランチに行って、どんな仕事をしているのか聞く。
 いつか一緒に働きたい意志も伝えておく。

・行きたい部署の上司を見かけたら、「よろしくお願いします!」
 と心の中で言っておく。



もちろん綺麗事ばかりではなくて、
イライラしたり、悔しくなったり、
望みが叶わなかったらどうしよう、
と絶望的になったりも何度となくしました。


それでもとにかく、今、自分がここにいる意味がきっとあるはず。
私がここで与えられるものが絶対にあるはず。
与えて、与えきって一番いいタイミングで去るんだ、
とそればかりを思っていました。




そして、ついに異動発表の日がきたのです・・・



なんと、その日に限って用事ができ、休んでしまった私・・・(;´Д`)




もし異動することとなれば、
休みであっても誰かから連絡がくるはずでした。
どきどきしながら待って・・・待てども待てども、連絡はなくて。。


とうとう夜になっても音沙汰がなくて、
私は心底ガッカリしました。


ああ、またあの部署で同じ一年を繰り返すんだ。
少しは頑張ったつもりだったけど、思いは届かなかったんだ。
もう・・・、もういいか・・・。
こんなに願って叶わなかったんだから、きっとまだ、ここで学ぶべきことがあるのだろう。



頭ではわかっていたものの、どうしても諦めがつかず、
ガッカリしたまんまお布団に入り、眠りに入る寸前に、
強く強く、こう思いました。



やっぱり嫌だ!!どうしても!!」(笑)


「あの場所が嫌なわけじゃなくて、新しい所へ行きたいんです。
 私、変わりたいんです。
 まだあそこにいる意味があるというのなら、頑張ります。
 でも、もう辞めたっていい。
 そうだ、きちんど目処をつけて、辞めよう。
 そのくらいの覚悟で明日から働きます!!」


と。。半ばやけっぱちでしたが・・・
思いの強さで部屋の電気がついちゃうんじゃないかってくらい、
心の底から本当に望みました。



職場につくなり上司に呼ばれ、
異動を言い渡されたのは、その翌朝のことでした。

(単に発表が一日延期になっていたのでした。。)


しかも、なんとなんと・・・
本当に、思い描いていたままの希望部署への配属。


ルール遵守の名の下に、いかに正確な書類をつくるかの世界から、
たくさんの人と触れ合い、新たな道へのサポートをするような世界へ。


関わる人も環境も、何もかもが変わりました。

そして何もかもがスムーズです。
もともと興味があって自分でとろうかと考えていた資格も、
今の部署からは「むしろ早くとって」と言われ、
受講費用を援助していただけることに。
こんなことが本当にあるものなんだな、と思いました。



そもそも天の采配を、その完璧さを、
初めからもっと信じていられれば、
あんなに不安になったり落ち込んだりしなくてもよかったのですが・・・
それも含めて、とっても大事な経験となりました。




この地球では、本当に望んだことがいつも叶う。



だから、
起きてほしくない嫌なことではなくて、
起きてほしい嬉しいことをちゃんと望もう。


この宇宙では、起きるべきことは必ず起きて、
起きないことは絶対に起きない。

そして何かが起きた時には必ず、意味があるし、
意味しかないし、全てはよい方向へ向かってる。


だから心配しないで。


いつも心に安心を。人には愛を。


大丈夫。

あなたは自分で思うよりずっと、守られている。


肩の力を抜いて、もっとこの世界を遊ぼう。



うまく言えないけれど、
忘れてしまうこともあるけれど・・・
あのとっておきの3ヶ月でわたしが教わったのは、そんなことでした。





*ちなみに今回の話は、以前の記事(「自分が変える。」)の後日談だったりします。




2014年9月20日土曜日

大事にしなくてもいいもの。






自分の生き方で 自分を生きて
 多くの間違いを 繰り返してきた



小田和正の歌にこんな歌詞があるのですが、
ほんとに、そうだよなあ・・・
と、思うことの多い今日この頃です。


前にある人に言われたのですが、


今の自分は、
今までの自分のやり方によってできている。


で、


その今の自分は、特に大成功はしてない。

それなりに幸せかもしれないけれど、
めちゃめちゃウルトラ超ハッピー!!☆ではない。
なんとなく、満足はしてない。


もちろん、それなりの幸せでいいならそのままで全然問題はない。
別に誰かに強制されることでもないし。
でも、もしも、もっと幸せになることを自分で望むのなら・・・
(そして、本当は、いくらでもどれだけでも望んでいいのだけれど・・・)


やり方変えないとだよね。

だって今までのやり方でやってきて、そうなってないんだから。
変えないかぎり、ずっとそのままだよ。
変えればいいんだよ。


と。。
この言葉、ずっと胸に刺さってます。


*****


いつもふとした時に、
自分のやり方にこだわっている自分を見つけます。

それは本当にささいなこと。ちょっとしたこと。

仕事の資料を作っている時や、
教習所で運転している時、
家の掃除をしている時、
運動している時・・・


例えばほんのわずかにタイミングがずれて、
人に指摘されたり、上手くいかなかったりすると、
途端にその自分が顔を出します。


うるさい、うるさい!


だって、このやり方がいいって昔教わったもの!


私はこのやり方でやりたいんだから、放っておいてよ!


間違ってもいいから、私は自分のやり方でやりたいの!!ヽ(`Д´メ)ノ 」


・・・って。

経験上、このパターンにはまると、
何一つとしていいことが起きたためしがありません。笑

大体ほんとに間違って、イライラして、
落ち着いてから反省して、元通り(のつもり)。


思い返すと、もうね、ほんとに恥ずかしいですよ。


学生時代にスキーやってた時に、
早くパラレル(板を平行にする滑り方)慣れたほうがいい、
って先輩に何度も言われてるのに、

「いや、まずは基礎でしょ!(・`ω・)」

とか言って一人でえんえんとボーゲン(八の字のやつ)の練習し続けて、
周りから呆れられたっけなあ。。笑
(結局なかなか上達しなかった・・・)



一つひとつはくだらないけれど、
その繰り返しが人生をつくります。



最近、またこの自分のパターンにはまりかけて、
そこでふと、思いました。


うーん。たしかにこの感じ、慣れてるし楽なんだけど・・・
本当にこのままでいいのかな?


答えはすぐに返ってきました。


いいわけがない。
ええわけがあるもんか、と。


一応ね、自分のやり方にこだわると、いいこともあるんです。


うまくいかない時は、自分を可哀想に思える。
いつも不機嫌でい続けるための理由にできる。
自分にそのやり方を教えた人への腹いせになる。
失敗を誰か(あるいは神様!)のせいにできる。



・・・いやいや、やっぱり、いいわけがない!笑



もっとうまくいく方法があるはず。
もっと楽に、簡単にできる方法があるはず。
私はその方法を選んでもいいはず。選べるはず。


なんとなく、そんなことを思うようになりました。


何かを自分よりうまくできてる人がいたら、
どんどん真似してみよう。
人のアドバイスを臆面もなく聞いてみよう。
誘われたら乗ってみよう。
いつもの自分ならやらないようなこと、
さくっとやってみちゃおう。



とりあえず昨日、ランチに入ったお店で、
いつもなら自分では絶対に頼まないであろうアイスティーを注文してみました。
(セットでついてくるようなアイスティーって、あんまり美味しいのに当たったことがないし、私はコーヒー好きなので・・・)


なんとこれがまあ、
グラスが置かれた時からリーフの香り立つようなアイスティーで、
めちゃめちゃ美味しかったという。。笑


なんかこう、無理やり努力して変える!!ってことじゃなく、
本当に小さいことからだと思うんですよね。


もちろん、自分を愛することはとても大事だけれど。
自分のやり方は、そんなに大事にしなくてもいいのかも。





がんばっても がんばっても うまくいかない
でも 気づかないところで 誰かがきっと見てる

小田和正「東京の空」より。




2014年9月7日日曜日

箱の中にあったもの。





子どもの頃に好きだった絵本の一つに、「パンドラの箱」という話があります。

有名なギリシア神話なので知っている人も多いと思いますが、
一応、あらすじ。。


◇◆◇◆◇◆◇


昔々、世界には、豊かな楽園が果てしなく広がっていました。

住んでいるのは子どもたちだけ。
楽園には甘い果実が実り、食べたいものは好きなだけ、
欲しいものはいくらでも、いつでも手に入れることができました。

そのため、子どもたちは働くこともなく、お金を持つこともなく、
みんな仲良く楽しく、幸せに暮らしていました。

その中に、エピメテウスとプロメテウスという兄弟がいました。
ある日、二人のもとにパンドラという名の少女が訪ねてきます。

一目でパンドラの美しさに心奪われたエピメテウス。
弟プロメテウスから「決して開けてはいけない」と言われていた箱を、
パンドラの誘惑により、弟の留守のすきについつい開けてしまいます。

箱の中から出てきたのは・・・


「疫病」「悲嘆」「欠乏」「苦痛」「嫉妬」「飢餓」「恐怖」「疑惑」・・・


その他、ありとあらゆる災厄でした。

エピメテウスは慌てて箱のふたを閉めましたが、時すでに遅し。

化け物の姿をした災厄たちは一瞬のうちに外へと飛び出して、
みるみるうちに楽園の空を厚く覆いました。
人々はたちまち憎しみ、疑い、争い、諍い、苦しむようになりました。



途方にくれたエピメテウスとパンドラが箱の前で泣いていると、
箱の中からかすかに声が聞こえます。



「ねえ・・・お願い、開けて・・・」



2人はまた新たな災厄が出てくるのではと疑い、応じません。
けれどその声はとても優しく、柔らかに、


「お願い・・・どうか私をここから出して。」


と訴え続けます。

ついにエピメテウスは、その声のままに箱のふたを開けました。
すると、現れたのは・・・


幾重もの明るい光の衣を身にまとった、
女性のような、精霊のような、とても美しい存在でした。



「あなたは・・・?」


エピメテウスが尋ねると、
彼女はゆっくりと口を開いて、



「私は、希望。」




希望が箱から出ていくと、人々は争いの手をふと止めました。




・・・それから。


災厄に満ちた楽園は、楽園ではなくなりました。
子どもたちは、もう子どものままではいられなくなりました。
食べ物を手に入れるため、自分たちで働かなくてはなりません。

けれど、手に手を取りあって働く、その顔には笑みがあります。
明日はきっと、いい一日になるだろう。と、彼らは思います。
たとえもう、元の世界には戻れなくても。


人には、いつでも希望が残されているから。



◆◇◆◇◆◇◆


・・・パンドラの箱は、
あまりに有名すぎていろんな説があり、解釈もさまざまです。


本当は、希望すらも「災厄」であるという説もあって、
希望があるせいで、人は永遠に無駄な望みを捨てきれない・・・
なんていう解釈も(!)あるそうです。

このあらすじは、昔読んだ絵本を思い出して書いてみたのですが、
私はこの終わり方が好きです。


やっぱり、希望がないとね。


たとえ身ぐるみはがされて、持ってるものを全てなくしても、
どんなにひどいことが起きても、未来が見えてこなくても。


心の奥底に閉まった箱の中に、必ず希望が残ってる。


そんな解釈もありだよなーと思っていたら、
いつも通る道に、こんな看板がありました。

反射しててちょっと見えにくいですが・・・
まるで希望の光が射しているかのよう。笑




期待は裏切られるけれど、
希望は裏切ることがない。
そんな気もします。


箱にしまったままの希望があったら、出してあげてもいいかもしれません。^^





希望がないと不便だよな マンガみたいに
日々の嫉み とどのつまり 僕が笑えば解決することばかりさ

星野源 「くだらないの中に」の歌詞より。



2014年8月21日木曜日

マイ・スイート・ホーム





石垣島の旅でお世話になった 河野雅美沙 夫妻が熊本に引っ越すこととなり、
先日、サプライズ送別会が開催されました。

お盆のさなか、ふたりを送りだすために20名弱が集まり、
それはそれは素敵なパーティーとなったわけですが、
今日の話はちょっぴりそれに関係していまして・・・



実は、このところ、わたしも引越しを考えていました。



今のマンションに越してきてからはや6年(!)。
3度目の更新が近づき、そろそろ潮時かなあ〜、と。。

どうせ引っ越すなら、いっそ全然違う沿線にしてみようかと思っていました。
ちょうどサプライズ送別会の日、不動産屋に行ってみたところでした。

完全に気乗りしているわけじゃなかったのだけれど、
なかなか変わらない現実があって、嫌になったりしていて、
いっそのこと環境を変えたら何かが加速するかもしれないなあ、
なんてぼんやりと考えていました。



そんな中、はるか熊本に引っ越すふたりの送別会に参加して、
やっぱり自分を新しい場所に置いてみるのも悪くないかもしれない、
という思いはますます強くなりました。

なったかのように、思っていました。



まさにその、帰り道のことです。



「ああ、送別会、素晴らしかったなあ。
 あんなに優しい時間を一緒に過ごせて、
 愛の溢れる場に立ち会わせてもらって、
 本当にありがたいなあ。」


そんな感謝の思いでいっぱいになりながら、私は電車に揺られていました。
軽く目を閉じて、会の様子を思い出していると、ふと・・・

何と言うか、うまく表現できないのですが、
ものすごい大きな愛の固まりのようなエネルギーが、
びかーっ!と急に頭上で光ったかと思うと、
どかーん!と降ってきたかのような感覚がしました。


少しびっくりしながら目を開けて、
しばらくぼーっとしていたのですが、それからなぜだかふっと、
混み合っている車両の左側に目線が向いて・・・

その先に知っている人が立っているのを、私の目がとらえました。


間違えようのない、いつもの眼鏡に険しい眼光。
普段通っている合気道の道場の、師範でした。




そう、実は、引っ越しに乗り気になれていなかった一番の、
心残りは・・・


二年前からはじめた合気道。
道場が家のすぐ近くにあるので、引っ越してしまったら通いづらくなる。
それだけでした。


合気道は何十年毎日と続けている方も珍しくなく、
始めて二年なんてほんとにぺーぺーの域です。
白帯の私は、いつか袴をはける日を夢見て練習しているのですが、
まだまだ遠い先のこと・・・。

道場から離れてしまったら、飽きっぽい私のこと、
いずれ足が遠のくのは目に見えていました。
どこかで、それもいいのかな、と思っていたんです。
新しく勉強していきたいことも見つかったし、最近新しい知り合いも増えたし。
そろそろここを離れるのもいいのかもしれない。


それは上手く言えない、昔からの自分のくせでした。
いつもいつも、7割くらいの関係ができると離れたくなる。
ずーっと一つのことを続けたり、一つの場所にいることができない。
ころころと興味の対象が変わって、その度に一緒にいる人も変える。
母は私の友達はすぐに変わるから名前が覚えられない、とよく愚痴っていました。笑



けれどその時、
ふだん電車に乗る機会もそんなにないであろう師範に遭遇して、


私はなんだか、ほっとしたんです。

ちょっと後になって気づいたんですが。
ああ、私はあの時、安心したんだなって。


電車の中でさえ、見るからに厳しい(失礼)お顔をされていましたが・・・
なぜだか、私には、あの時の先生が、
まるで、迷子になった子供を迎えにきてくれたお父さんのように見えました。


「こらこら、どこ行ってたんだ、そっちじゃないよ。」

って。


「家に帰るぞ。」

って、言ってくれているみたいでした。


(とは言え、本当に目上の方すぎて、
その場でとっさにお声がけできず・・・ビビリですみません・・・)



・・・考えても仕方ないけれど、つい考えてしまう。
一体、どのくらいの確率だったんだろう?


ある時、友達の紹介でエステに行ったら、
お店の人になぜだか熱烈に合気道を勧められたこと。

その頃、たまたま読んでた本にも合気道のことが書かれていたこと。

なんとなく合気道を始めたいな、と思っていたら、
わずかの間に上司だった方が合気道をしていたこと。

その上司が今の道場を紹介してくれたこと。

上司も、師範も、そこにいる多くの道場生も、私も、同じ大学だったこと。

あの時、たまたま読んでた本を書いた人が、師範の弟子だったこと。

道場と、師範のお住まいがうちからびっくりするほど近かったこと。

私は小さい頃からずっとお寺が近くにある環境で育っていて、
とても親しみがあるのですが、道場がお寺の中にあったこと。

道場に初めて来た日、なぜだか懐かしかったこと。

道場生の人の多くが、なぜだかどうも、最初から初めて会った気がしなかったこと。

道場で師範を前にすると、なぜだかいつも、泣きたいような嬉しいような不思議な気持ちになること。



・・・一体、どのくらいの確率で、
私はあの場所にたどり着いたのだろう?

「縁」という言葉でしか表すことのできない、
奇跡のような出会い。

ちょっとここには書けないような、
もっと面白い偶然も他にもたくさんあるのですが。笑


そしてまた、先生への思いももちろんですが、
普段教えてくださっている先輩方の顔も浮かんできました。
最初はとっつきづらくて泣きそうで、でも少しずつ少しずつ、
気づけばふつうに世間話できるようになっていたこと。

私に上手くなってほしいと、望んでくれる人がいること。




なんだ、私。

まだここにいたい。
一緒にいたいんだ。

あの場所が、好きなんだ。
まるで家のように、大切な場所。


すごいシンプルな、当たり前みたいな、
単純な気持ち。でもそれが本当の気持ち。
気づいたら、肩の力が抜けて、胸があったかいような、
ようやく自分の中心に戻ってきたかのような感じがしました。



まあー、部屋も狭いし、引っ越したい気持ちはやまやまなのですが。笑
いずれ自然に次の場所へと呼ばれる日がくることを信じて、
もうちょっとここにいてみようかな。

本当の気持ちに気づけたのは、自分一人の力ではなくて、
ちょうどその頃にカードリーディングなどをしていただいて、
笑っちゃうくらい何度も同じような結果が出たのもあったのですが。
何でも自分の方法でやりたがって、うまくいかないことがあると、全てを放り投げて台無しにしようとするくせがある。そうです。。


どうやらまだ、私はここで、やらないといけない宿題があるみたい。



引き続き、お世話になりまする。






*私がとりわけ好きな、先生のお言葉*

「たとえ目の前に敵がいても、心の中には敵がいない状態をつくるんだ。」

「武道では、対象にとらわれることを隙という。
 だからって、隙がないというのは常に力んでいろということじゃない。
 透明な明るい気持ちで生きる、ということだ。」



2014年8月16日土曜日

飛行機が飛ばない日。〜その3〜




はからずも3部作となってしまった石垣島の台風シリーズ。
今回でフィナーレです。(前回のお話は こちら からどうぞ。) 


<ここまでのダイジェスト>
石垣での素晴らしい旅も終わりに近づき、
夜の便で東京へ帰ろうとしていたところへ忍び寄る台風の影。
飛行機会社のサイトを見ると情け容赦ない「運航検討中」の文字・・・
とにかく一度空港へと向かった我々を待っていたのは、カウンター前に並ぶ長蛇の列だった。
果たして飛行機は飛ぶのか?!どうなる、タネビバ一行!!



・・・まあ、そんなわけで、
とにかく状況を見ようと空港へ着いたはいいものの、
当然みんな同じようなことを考えるわけで、めっちゃ並んでたんですね。


一緒に旅行していたメンバーで、その日に帰る予定だったのは私の他に2人。
その2人はスカイマークだったので、便の変更もできず、とにかく飛ぶのを信じるしかないという状況に。
私は諸々の事情により、たまたまリッチにANAなんてとってたものだから、逆に迷う羽目に。。


その時、私に残された選択肢は二つでした。

1.一人でここに残って、とにかくこの長蛇の列に並ぶ。
2.飛ぶのを信じてみんなと一旦宿に戻る。


頭ではぐるぐるといろんな考えが巡っていました。
並んでもどうなるわけでもないけれど、もしかしたら便の変更ができるかも。
新しい情報が得られるかもしれないし。でも・・・。


この旅の主催者で、空港まで送ってくれたこーちゃんが心配そうに言ってくれました。


「どうする・・・?」



わかっていました。

今までの自分なら、たぶん1.の方を選ぶはず。
意味ないかもとわかっていても、可能性が少しでもあるならそうしたい。
それが、今までずっと通してきた自分のやり方でした。

でも、どこか、ぎりぎりのところで何かが、そうさせないようにしていました。

その時、私には聞こえていたのです。


心の奥から響いてくるかすかな声・・・
その声は小さく、でも確かに力強く、こう言っていました。



私、一人でここにいたくない。みんなといたい。
 あの家に戻って、みんなで一緒に朝ご飯食べたい。



いやいやいや、状況分かってんの、
そんな能天気なこと言ってる場合じゃないでしょうと、
頭では考えながらも、気づくと私は口を開けていて、



「 ・・・並ぶの、やめます!みんなと、戻ります!」


そう答えていました。


「うん。もう、今できることはやったと思うよ。全部やった上で手放すんだから、俺はその選択ありやと思うよ」


あの時こーちゃんが言ってくれたこと、嬉しかったなあ。



いえーい!
手放すぜ!委ねるぜ!
たとえ飛ばなくたって恐くないぜ!!


なんだかもう、みんな笑っちゃって、
両手を上げて喜びながら、車に戻りました。
実を言えば私はまだまだ超恐かったけれども(笑)、
とにかくみんなで宿へと戻ることに決めました。


すると、その瞬間、
台風が近づき荒れていた石垣の空がふっと晴れて、





だーーーー!!!


写真だと少しわかりづらいかもしれませんが、
はっきりと、車の窓越しに、虹が弧を描いていました。

まるでこの選択を、神様が祝福してくれているみたい。
そうとしか思えない、とさえ思いました。

あの時、意固地になって一人で空港に残っていたら、
決して見ることのできなかった景色でした。
一つひとつのちょっとした選択で、ほんとに運命なんて変わるんですよね。




・・・その後。

結局どうなったかと言うと・・・


私たちは石垣白保エリアで人気の「ばんちゃん」で超ハイパー美味しい朝ご飯を食べ、
観光はあきらめて宿の中でだらだらして、
何十年ぶりかに人生ゲームをやって腹の底から笑い、
近所の定食屋さんでこれまたハイパー美味な沖縄そばを食べ、
また宿に戻って語らい、
なんやかんやで、そんなこんなで、
飛行機は飛びました!


そうなんです、「飛ばない日」とかってタイトル付けてみたけど、
結局30分遅れくらいで無事に飛んだのでした〜。ちゃんちゃん。。



それにしても、あの「飛行機飛ばなかったらどうしよう」という恐怖感。

そこから見つけた自分の中のいらない執着。
とにかく手放してみたときの爽快感と、虹。
朝ご飯の後のだらだら感と人生ゲームの大爆笑。
中学の頃に友達の家に遊びに行って、でも特にやることはない、みたいなあの空気感。
見たこともない高さの波にびっくりして、みんなで雄叫びをあげる感じ。
人と一緒にいるって、一緒に生きてるっていいもんだなあ、と思った。


何から何までがプレゼントでした。
あの特別な一日のことを、私はきっと忘れないでしょう。


終わりよければすべてよし。
あんな旅はなかなかできるものではないけれど、
また呼ばれる日がくるのを信じて、楽しみに待ちたいと思います。



すべてにありがとうの気持ち。







2014年8月8日金曜日

飛行機が飛ばない日。〜その2〜




いよいよ石垣島の旅シリーズ最終章。
前回の日記 のつづきです。


7月7日、旅の最終日の朝のことでした・・・

かすかに人の声がして、目が覚めました。
寝ぼけた頭のまま、なんとなく気配に耳を澄ましていると、
みさちゃんが部屋に戻ってきて状況を教えてくれました。


台風の影響で、石垣から西表へ行くのはほぼ不可能になったこと。

明日の石垣発の飛行機は全便欠航が確定したということ。

そして、今日の午後以降の便は、全て出発見合わせ中、とのこと。。



・・・工エエェェ(´д`)ェェ?


だ、だって、台風が来るのは明日じゃん!!
今日の内ならまだ大丈夫なはずじゃん!!!


・・・まじ?


段々と、時間が経つにつれ、私は事の重大性に気づきはじめました。
私が乗るはずだったのは、その日の夜19時の飛行機。
何回ネットで更新ボタンを押してみても、
表示されるのは「運航検討中」の赤い文字・・・。

便の変更をしようにも、既に羽田行きの午前中の便は満席。
たとえ石垣から那覇に行けたとしても、那覇から羽田の便が欠航するかも。
もし今日の内に帰れなかったら、明日は全便欠航。

つまり、最悪の場合、
東京に帰れるのは明後日、そして職場に行けるのは明々後日・・・!
ヽ(ヽ゚ロ゚)ヒイィィィ!


何がまずいって、実は私、7月1日付で部署異動してまして、
まだ新しい部署に来て3日しか働いていない。
かなり無理やり休みをとって石垣に来ていて、旅の翌日には出勤する予定でした。
初めての来客の約束もあるし・・・
なんとしても絶対に、明日は職場に行かなくてはならない!!


そう思うと血の気がスーーッ、と引いていくのを感じました。
帰れなかったらどうしよう、と思ったら恐くて恐くて、
いつの間にか顔も姿勢もこわばっていました。


 
・・・ふと、周りを見ると、
同じく夜の便で石垣を出るはずの人が、なんか普通・・・。

むしろニコニコしてる。笑
肩の力も抜けてる。

「だってしゃーないやん、飛ばない時は飛ばんもん」

関西弁が適当ですが・・・
あっさりそんな風に言って、どこまでも自然だった。
(私の人生にたまに現れる関西人は、なんでこういう感じなんだろう笑。ひとくくりにしたいわけじゃないんだけど、ひさびさに思い出しました。)

彼のそんな姿に、少しだけ私も力が抜けて、
というか、それまでいかに自分がガチガチになってたかに気づかされました。



一体、私は何をそんなに恐がってるんだろ?
何を恐れてるんだろう?


昨日の夜、みさちゃんに言い放った自分の言葉がよみがえります。



「私たち、他人の期待を満たすために生きてるわけじゃないからさ。」




そう、本当はこれは、自分に言われた言葉だった。
別にちょっとくらい仕事休んだって死ぬわけじゃないけど、ないのに・・・

こんなに恐いのは、信用を失うと思うから。

もっとシンプルに言ったら、嫌われたくないから。



信頼されたい。好かれていたい。
いつも他人の期待に応えられる自分でいたい・・・。



そんな望みを持ってる自分の姿をかいま見てしまった、朝でした。
多かれ少なかれ、みんなそんな望みは持ってると思うけれど。

でもね、これあんまり大事にしすぎると、
どんどん恐い顔になって、肩こるんですよ。



その後、いくら見てもネットの情報は何も更新されないし、
電話をかけても全く繋がる気配もないし、
とにかく一度、空港に行ってみよう、という話になりました。

慌てて荷物をまとめて、宿のみんなに簡単に挨拶を済ませ、
まだドキドキしながらも、ひとまず一路空港へ。


空港に着いたわれわれを待っていたのは、
カウンターの前に並んだ長蛇の列でした・・・。


こ、これ並ぶの?どうしよう。


もったいぶるわけではないのですが(笑)、
長くなってしまったので、またもやつづく!



2014年8月1日金曜日

飛行機が飛ばない日。





何度かに分けて書いてきた石垣島の旅シリーズ、
今回で最後です。


おりしも、石垣での旅が終わりに近づこうとしていた頃・・・


史上稀に見る勢力の台風8号、沖縄に急接近 キタ━(゚∀゚)━!

そう、この旅のエンディングは、けっこう波乱含みだったのです。。



それは2日間のワークショップ終了後の夜のことでした。


翌日、西表島でオプションツアーを実施する予定だった 主催者のみさちゃん
その頃、台風直撃の情報はかなり現実味を帯びはじめ、石垣から西表に行く船も出るかどうか怪しい状況に。
行くのを諦めるかどうか、決断の時が近づいていました。

仮に西表への船が出たとして、帰ってこれる保証はない。
状況としてはかなり危うい。
けれど西表の知り合いには行くと伝えてあって、わざわざ予定を押さえてもらってる。
参加者の中には西表に行くのを楽しみにしている人もいる。
今さら行けないなんて、言えない・・・。


そう悩む彼女を傍目に、
もともと次の日に西表には行かずに東京へ帰ろうとしていた私は、のん気に帰り支度を進めていました。

そして、悩み続ける彼女に、
私はふと、ついサラッと、こんな言葉を放ったのでした。



「行きたい気持ちが本当に強いのならいいけれど・・・
 行きたくない気持ちが少しでもあるなら、無理に行かなくてもいいんじゃない?

 私たち、他人の期待を満たすために生きてるわけじゃないからさ。

 いくら知り合いの人に申し訳なくても、
 自分がこうしたいと思う気持ちに従っていいんじゃない?」



・・・そうです。
昔からの、悪いくせが出ました。

私は思ってることをズバッと言って、言い過ぎて、
たまに人の心に言葉を突き刺してしまうことが。。
(しかも自分ではそれがどんなにズバッ、なのか自覚してない)


他人のことを自分事として考える、
優しさや労りがきっと足りてなかったんだと思います。


きっと、あの夜の一瞬間・・・

石垣の島に住むスピリットたちは、息をひそめながら、私たちの会話を聞いていたに違いない。と、後々思いました。

私はその時、まったく気がついていなかったのです。

この時、私が放ったこの言葉が、まるでブーメランのように、
翌朝の自分に容赦なく襲いかかってくることになろうとは。。



最後って言ったけど、長くなったので(笑)

つづく!



2014年7月25日金曜日

愛のしるし。




時間が少し空いてしまいましたが、
前回 にひき続き石垣島のお話。


石垣へと向かう飛行機の中で、
ちょうど、ある本を読んでいました。


アミ 小さな宇宙人
(エンリケ・バリオス著、2005年 徳間書店)


さくらももこの絵が表紙の、
小さな本です。

少年ペドゥリートの前に突然現れたUFOと、
アミと名乗る宇宙人との小さなお話。

甘いフルーツをたっぷり舌の中で味わうような、
素晴らしく贅沢な知恵のたくさん集まった、美しい本です。



「 石と思考は、異なった周波の”おなじもの”が振動したものなんだよ……」
「ふ〜ん。で、その”おなじもの”って、いったいなんなの?」
「愛だよ」
「ほんとうに?」
「そうだよ。みな、すべて愛なんだ。すべてが神なんだよ……」
(223頁)



ちょうどこの辺りまで読み終えた頃、
飛行機が石垣に到着。
そして、あの素晴らしい旅がはじまったのですが。。





ワークショップの2日目のこと。

呼吸法のワークをし終えた後、
宿から歩いて5分の市場へ昼食をとりに行きました。


深い呼吸で自分の中にある神聖なものと繋がって、
みんなすっかり顔が変わっています。

この感覚を大事にするために、
市場までは喋らないで歩いてみて、と、主催者からのお達し。

ひとりひとり微笑みの表情を浮かべ、
つかず離れずの距離で、
けれど静かに真昼の道を歩いていきます。






石垣の太陽は、猛烈な光ですべてを照らします。


きら、きら、きら。


東京とは確実に違う、濃い緑色をした木々たち。
鮮やかすぎて誰かがつくったかのような赤い花。
よくよく見るとサンゴたちで作られた通りの壁。









いつになく透き通った気持ちでこの世界を眺めていたら、
ふと、というか、
ようやく、というか、
気づいたことがありました。



ああ、なんだ、あの本に書いてあったことは本当なんだ・・・。

あれはたとえ話なんかじゃない・・・。



すべて愛なんだ。


この世界は、愛でできてるんだ。。



上手く言えないのですが、それは本当に微細な感覚で、
でも確かにその時わたしは、そう感じた。
頭で理解したのではなくて、ただただ感じていた。


木とか、葉とか、花、
サンゴ、土、米、お水、ピーマン、もずく天ぷら、
椅子、カメラ、Tシャツ、そしてわたしたち一人ひとりが・・・

異なる振動によってできているから、見た目はそれぞれ違うけれど、
実は全て同じ一つのものが振動してできたもの。

その、同じ一つのものとは、愛。
だから、本当はわたしたちは、愛そのもの。



こういうことを書くと、宗教っぽくとられるのが嫌で、
今までけっこうセーブしてきたのですが、もう仕方ない(笑)


この感覚を大事に生きていこう、とその時思いました。

もうごまかすのをやめよう。
自分の中の本当に神聖なものと、もっともっと繋がりたい。
もっとこの世界と仲良くしたい。
もっと愛したい。



この思いを人生の中心に据えて、生き直そう。
わたしは自分の人生を取り戻そう。



そんな決意がふっとわいたランチタイムでした。
暑い市場の中で食べたお弁当、ひときわ美味しかった。





あと少しだけ、石垣の話はつづきます。



------
「じゃ、ぼくも愛なの?……」
「とうぜんだよ。自分じしんのこと、さし示してごらん」
「よくわかんない、アミ」
「”ぼく”と自分のことを言うとき、自分のからだのどの部分を指さして言っている?”自分”と言って指さしてごらん」
 自然に胸の中心を指さして”ぼく”と言っているのに気がついた。
(略)
「なぜならね、そこにほんとうのきみがいるんだよ。きみは愛だ。…」
(『アミ 小さな宇宙人』224頁より)



2014年7月15日火曜日

沈まない方法。





さて、旅の話のつづきです。
(前回はこちら→ 石垣島で仲間に出会う



今回、感じたことが多過ぎて、
ほんとに何から書けばいいやら、って感じですが・・・

で、何しに行ったの?

っていう方は、よかったらこちらをどうぞ。
(主催者:河野美沙ちゃんのブログ→コウノミサのOH!はっぴ~でいず☆


ワークショップの内容など、大事なところは彼女にまかせて、
わたしは本筋とは関係ない話を書いていきます(笑)






今回、人生で二度目のシュノーケリングをしました。


そもそも海に入るの自体、何年ぶり?!っていうくらいで、
泳ぎも得意じゃないし、恐々とシュノーケリングセットを装着・・・


「大丈夫!そんな難しくないから!」

「海の中に入ったら自然に浮くから!!」


という周りの言葉を信じて、
見よう見まねでエイッ!ともぐってみたら・・・



まー、沈む沈む(笑)


浮かないし!
ゴーグルからめっちゃ水入ってくるし!

こ、恐い!!(ヽ´Д`)


と、必死にもがく私に、


「あごを引いて、自分の呼吸の音に集中してみて。」

と教えてくれた人がいました。
みさちゃんの旦那様の  こーちゃん こと、河野雅さん(ナイスガイ)。


そんなばかな、ただでさえ沈むのに、
下向いたらもっと沈むじゃん!
・・・と密かなる反発心を抱きつつ(笑)、
もうどうしようもないので言われたとおりにしてみました。


あごをぐっと引き寄せて、とにかく自分の呼吸を聞いてみる。


すー、はー。すー、はー。


・・・・・・。



し、沈んでない(?*´Д`*?)



不思議なことに、
別に何もしてないのに、呼吸してるだけなのに、
沈むどころかどんどん身体が軽くなって、
そのうち水中にぷかりと浮かびはじめました。


ああ、何もしてないのに楽ちんだ。。



(関係ないけど行きの道で亀がいたよ)



そこでふと、気づきました。


私、水中で周りの人を見過ぎてたんです。


どうやって泳いでるのか、今どこにいるのか、
自分は置いていかれないか、遅れていないか。

気になって気になって、
いつの間にか視線が上がって、あごが上がってたんですね。

そうすると自然に頭も上がるから、反対に腰部が落ちる。
スキーで言ったらへっぴり腰の状態です。
何の不思議なこともなく、そりゃ沈みますわ。。


そして、同時に思いました。

ああ、これは普段の自分だ・・・。


他人が気になって気になって、
自分と比べては焦って、置いていかれないかと必死ないつもの私。


だから沈むんだ(笑)


もっと楽に、もっと簡単に上手くいく方法がある。
あごを引いて、自分の呼吸に集中する。以上。


つまり、ただ、今ここで、自分と共にいる、ってこと。
こんな単純なこと・・・。


海の中で学んだ新しい方法を試すうち、
だんだんと慣れてきて、わたしは次第に楽しくなってきました。


鮮やかな青い小魚たち、
ニモのような黄色と黒の美しい縞模様、
時おり姿を現す大きな魚のような、あれは何だろ・・・



ひとりで夢中になっていたらゴーグルがごちんとぶつかって、
気配で仲間がすぐ近くにいるのがわかりました。
なんだ、必死に見ようとしなくても大丈夫だ。
私だけ置いていかれたりしないし、みんなここにいる。


そうだよ。

はじめから、焦る必要なんてなかったんだ。
だって、私たちはこの世界を一緒に楽しみにきたんだもの。


と、その時ようやく気づいたのでした。



(つづく)





ちなみに写真は私が撮ったものではなく、
全てこの旅のスーパーカメラマンによる作品です。感謝。



2014年7月10日木曜日

石垣島で仲間に出会う





先日、ひょんなことから沖縄に行った話を書きましたが・・・
(そのときの話はこちら→ 南の島で光に出会う


まさかこんな短いスパンで、
今度は石垣島に行くことになろうとは(笑)



まあ、とは言っても、
今回の旅は前々から決まっていたことなのですが。

ご縁あって、友人夫妻の主催するワークショップに参加するため、
石垣島まで行ってきました。


オーラソーマプラクティショナーである友人と、
ライフコーチングを職業とする旦那様(愛妻家)
の織りなす優しい空気感に包まれて、
3泊4日、歓びの旅。




沖縄本島とはまた違う、むわっとした湿気と突き抜けた暑さ。

濃くも素朴。




とにかく暑いから、余計なことは考えられなくなって、
ただただいろんなことを、感じるままに感じていた気がします。



帰ってきて、感想がこんなに言葉にならない旅を、久しぶりにしました。

夢を見ていたような、夢から覚めてしまったような。


今回もたくさんの偉大なギフトをいただきましたが・・・

とりわけ素敵だったのは、

遠い昔にどこかの星で会っていたような、
仲間との出会い(再会?)がありました。


台風とも出会ったけど。
そして東京で再会したけど。笑



目だけで親愛の気持ちが伝わること、
触れ合えば温かくて気持ちいいこと。



知ってたのに忘れてた、
大事なことを思い出す旅となりました。




「学生じゃなくても、こういう旅、できるんだ・・・(´・ω・`)」



思わずボソッと呟いて、旅の間中みんなにいじられましたが、笑
本心だったんだもの。


この旅で得られた他のことも、
そのうち書けたらいいな、と思っています。






2014年6月25日水曜日

使ってんのか、使われてんのか?





魔法みたいな沖縄への弾丸旅行から帰ってきて、一つ気づいたことがありました。

実は私、昔からSNS好きで、
最近は何かっていうとFacebookに投稿していたのですが・・・


あれ?なんか、別に書きたくないな??

書きたくないっていうか、書く必要を感じない?


綺麗な景色とか、特別な体験とか、
美味しいもの食べただとか友達に再会しただとか、
これまで本当に何かあっちゃー書いてたんですけどね、
それで「いいね!」とかコメントをちこちこチェックしてはニヤリとしてたんですけどね(笑)、
なんだか不思議と、いつもの気分にならなかったんです。


それで、気づきました。



ああ、これが、心から本当に満足するっていうことなんだ・・・。



満たされるってこういうことなんだ・・・。



頭のてっぺんからつま先まで、芯から幸せな気分が満ちると、
他人の承認とか、反応とか、全然いらないものなんだ。


そういう目で、馴染みのページを開いてみると、
Facebookは少し、今までとは違う見え方をするようになりました。

笑ってる写真も、面白そうな文章も、
怒ってるコメントも、悲しみの表情も、
どことなく、同じメッセージを発している。


「私を見てよ」

「私の話を聞いてよ」

「私、頑張ってるよ」
 
「ねえ、私を認めてよ」

愛してよ・・・


・・・いえ、いえ、
決して、心底決して、
Facebookに投稿してる人のことを貶めるつもりはありません。
ていうか、私もしてたし。今だって使ってるし。これからだって。

ただ、何となくそう感じたんです。

寂しいな、と思いました。


ありのままでいいはずなのになあ。
誰かと一緒にいなくても、どこかに行ったり特別な物を食べたりしなくても、
そんなに声を張り上げなくたって、あなたのこと、知ってるよ。
十分がんばってて、魅力的で、特別な存在だって、わかってるよ。


そういう声が、届かない。

いいね!とコメントを知らせる赤い文字に惑わされて、
あの青い画面いっぱいに、寂しい気持ちがただただ増幅していくようだ。


そんな気がしてきてしまった頃に、
Facebookについて、ある知人がこんな風に言いました。


「あれは、コミュニケーションするための道具なのか、
 それとも我々はコミュニケーションさせられてるのか、
 どっちなんでしょうね・・・。」


それを聞いてすぐに、
伊坂幸太郎の『砂漠』という小説に出てくるフレーズが浮かびました。


「『おまえたちは支配されてるのか?それとも命令してんのか?おまえたちは、前進してんのか、それとも後退してんのか?』そう言ってたでしょうが。それに対して、俺たちは、前進してるって言い切れますか?」

(伊坂幸太郎『砂漠』実業之日本社、26頁)


支配されてるのか?それとも命令してんのか?
前進してんのか、それとも後退してんのか?

私たちは、道具を使ってるのか?道具に使われてるのか?


自信、ないな・・・。


そう思った時、
いっそのこと、Facebookをやめようか、と迷いました。
正直なところ、今も迷っていますが。笑

そもそもね、そんなに人の近況知りたいのか、私。とか、
1対1では決して会うこともないであろう人と「繋がって」、
これほんとに楽しいのかな?とか、
いろいろ考え出すとキリがないんですよね。

でもまあ、便利なこともあるし、、と中途半端な私は、
とりあえずこのブログをFacebookに載せることだけやめて、
今までよりちょぴっとだけ遠回しに眺めるようになりました。 はは、微妙。


でも、実はそれさえも少し勇気の要ることだったのです。
それだけ使われちゃってた、ということなのでしょう。

そんな私に行動を起こすきっかけをくれた、
合気道の師範の言葉を最後に紹介します。
 

気持ちを透明にして、宇宙から与えられた心のはたらきを邪魔しないようにしろ。


あ、これ使ってたら透明にならないや、
と気づいたのでした。


もちろん、お仕事で使われてる方は、また別の話だと思います。
というか、趣味で使ってても、いいんですよ。個人の自由です。

あくまで私の場合の話でしたが、
投稿をやめたら、いちいちチェックする時間も減って、
なんだか時間が空きました。
空いた時間を使って、自分と繋がってみたり、
愛の歌を歌ったりしてみようかな、と思います。



2014年6月13日金曜日

落ち込むのがお好き?





ほんっと、落ち込むのが好きね〜。


最近人から言われて、ガツーン!!!ときた言葉。。。


嫌味ではなく、悪意もなく、ただニコニコと、
その人は言いました。


「落ち込むの好きなんだねー。
 なんでだと思う?」


「えっ(好きって・・・ひ、ひどい・・・)、
 な、なんでかって??」


「そう。なんで落ち込むのが好きなんだと思う?」


突然予想外のことを言われてポカーンとしてしまって、
私が戸惑っていると、その人は言いました。


「だってさ、落ち込むって本当に無駄なことなんだよ
 わざわざそれをするってことは、それが好きだからしてるんだけど、
 なんで好きなんだと思う?」


「・・・。」


しばらく頭の中でその言葉を整理して、
心の中に尋ねてみて、でも答えが出てこない。

というよりも、私、その答え、言いたくない。
なんでかわからないけど、言葉にしたくない。


いや、落ち込みたいわけじゃないんですよ。
そんなもん、好きなわけないに決まってる。
でもつい、落ち込んでしまうんだもの。しょうがないじゃない・・・


誰に対しての弁明なのか、
妙に言い訳めいたことを考えながら押し黙っていると、
見かねたのか、相手が口を開きました。



「落ち込みたくないのに落ち込んでしまう、っていうのはね、
 まあ優しいというか、遠回しな言い方なんだけど、
 変わりたくない、ってことなんだよね。要するに」



変わりたくない、このままの自分でいい。

 でもそれをそのまま言うのは、あまりにあからさま過ぎて、
 さすがに恥ずかしいというか、気がとがめるんだよね。
 だから、落ち込むっていうやり方を使うの。」



・・・!!!


いやこれは、、久々にガツンときましたね。。



何かについて落ち込む時、実際、人は何をしているのか?

反省したり、自分を責めたり。
その実、真にやってるのは、自分が変化するのを止めること。


ほら、やっぱり上手くいかないじゃない。
だめじゃない、私なんて。
やっぱり変わることなんてできないんだ・・・。


って言って、変わるのを諦めさせようとすること。



だって、恐いじゃないですか。変化って。

本当に変わっちゃったら、
変わる前の自分は消えちゃうんですよ。

今ここで変わりたい、って思ってる自分はどこかへ行って、
別のなんだかよくわからない存在になっちゃうかもしれない。
それは、恐いですよ。
誰だって消えたくないもの。
表面的な意識でどれだけ変わりたいと願っていても、
心の奥底の恐怖が邪魔するんですよね。



・・・っていうのは、知識としては知ってはいたけれども!!
やってたんかーい!!
と、目が覚めるような思いを味わいました。。



そして、私は落ち込むことをやめました。


簡単そうに言いますけど・・・


簡単でした(笑)


ただやめる、って決めちゃえばいいんです。

生きてれば、悲しいことも寂しいことも、辛いことも色々あります。
落ち込まないっていうのは、それを感じないようにするってことじゃない。
感じるのは全然OK。どんどん感じよう。

でも落ち込む必要ないんですよね。

どんなことが起きたとしても、どんな感情が湧いたとしても、
そこから落ち込むかどうかは、完全に自分が選べるんですよ。


この感覚、言葉でどこまで伝わるかわからないけれど・・・
本当に簡単なんですよ。
同じようなタイプの人は、今度落ち込みそうになった時、やってみてほしいなあ。

「私は今、落ち込むことができる。
 でもそっちは選ばなーーい!!ぽーーーい!!!」

って言ってみてほしい、ぜひ。笑
そしたらどれだけ簡単なことだったのかがわかる、かも。


ただ、難しいことであってほしかっただけなのかもなあ。



もちろん、落ち込みたい人は落ち込んだって全然OKだし、
変わりたくない人はそのままでも全くOKです。
でも、私は変わりたい。変わる方の道を選びたいです。

そして、それは思うほど難しいことじゃない、という気がしています。



2014年6月7日土曜日

南の島で光に出会う





いくつかの不思議ないきさつから、
急きょ沖縄に行ってきました。
(説明がややこしいのではしょります)


向こうで、なんだか、すごい人に会いました。


光の固まり、みたいな。


スピリチュアルのスの字も出さないんだけど、
結果的に、誰よりもスピリチュアルを生きている。
(「を」ってところがたぶんポイント)


例えるなら、タモリさん。笑


タモリさんて、いざ一般人に気づかれると、
「わあ〜、まじタモリ!」
「タモリってほんとに生きてたんだ〜」
と驚かれるそうです。

そんな感じ。

いや、いるのは知ってたし、全然疑ってないんだけど、
いざ本当に会うと、「本当にいたんだー!」と間抜けにも思っちゃう、
そんな感じ。

今まで、心理学やスピリチュアル系の本、いろいろ読みましたが、
本当にそれをそのまま実践してる人に初めて会ったんです。
いや、本人は「実践してる」なんて意識はこれぽっちもないだろうけど。
結果的に、やることなすこと全て、その辺の本に「やりなさい」って書いてありそうな・・・

なんかね、本が手足つけて喋ってるような感じなんですよ。笑

そりゃあ、本当は人間は光の存在だとか、
常に与えるものを受け取ってるとか、
この世の全ては自分の意識が作り上げているとか、
ワクワクすることをすれば、必ず宇宙がサポートしてくれるとか、
そんなのは色んな本に書いてあるし、そういうセミナーだって行ったし、
知識としては当然知ってましたよ。もちろん疑ってもない。

でも、ここまでそうなんだとは思ってなかった。笑


それが新鮮で、頭と心はびっくりしているんだけれど、
魂の深い部分では、それが真実だということも、
彼女とはいつかの時代にどこかで会っていただろうことも知っていて、
再会を震えるほど喜んでいる。
そんな気がしました。


光の存在と出会って2日目、
車を飛ばしてもらって、沖縄北部の小さな島へ。




空と海との境界線があいまいで、
自分と他人、現実と夢、嘘と真実もあいまいになりそうな青い青。


ゴロンと横になって眺めていたら、
ああ、すべては魔法なんだな、と思いました。


先日の日記で「フラグルロック」という子供向け番組のことを書きましたが、
まさに、そうなんだな、と。

"Everything's magic, if you see it that way."



ああ、自分でよかった…!

私ったら、他人がうらやましくて、他人になろうとして!
危ないとこだった。

自分として、今、ここにいられてよかった。

深く深くそう思ったら、逆説的だけれど、だからこそ、
もうどんな自分にでも変われる。どこへでも行ける。

そう思いました。



その人の勧めもあって、沖縄から帰ってすぐに、車の免許をとることにしたわけです。
どこ行っちゃうんでしょうね〜〜笑


私の人生の今は、小説でいったら何章目くらいだろ。
先のことはまったくわからないけど、これからどんどん面白くなっていくところで、大事なことはまだまだこれから。

だといいな。







思い出してください。
本来、世界は魔法に満ちたものでした。
でも、みなさんはすでに学びました。「奇跡はあまり起きないのだ」と。
しかし本当は、あなたのまわりのすべてが、
奇跡に満ちたものだったのです。


『人生に奇跡を起こすバシャール名言集』㈱ヴォイス発行
翻訳・解説/本田健 166頁より



2014年5月31日土曜日

Be a driver.




東京に一人暮らししていたら、全く必要ないから。
という理由を盾にして、
この30余年、運転免許をとらずに生きてきました。

正確に言えば、昔、若気の至りでバイク(小型限定)の免許とったけど、
とってから一度も乗っていないという・・・(ほんとに若気の至り・・・)


前からなんとなく、そういう自分にどこか、居心地の悪さを感じていました。

大げさかもしれないけれど、
免許を持たないことで、どっか、何かから逃げてるような気がしてたんですね。


そう、思えば・・・


私は昔から助手席に乗るのすらあまり好きじゃなくて、
後部座席に座って、両親が何かやりとりしてるのを感じながら、
窓の外の景色を眺めてぼーっとしてるのが好きな子供でした。

行き先はおまかせ。行き方もおまかせ。
私には何の責任もなくて、寝たい時に寝ていてよくて、
ただ安全なシートに座って、全然関係ないことを考えてる。
関わっているようで、関わってない。
そこにいるけど、参加していない、という感じ。


子供時代の話だっただけなら、いいのだけれど。

どうやら、私のこのスタンスは、人生における基本的な態度になっちゃったみたいなんですね。

いつだったか、わりと仲のよかった上司(女性)と部署の問題について話していた時、

「なに他人事みたいな言い方してんのよ。あんたも当事者でしょう!」

と言われたことがあるのですが、まあ冗談ぽくだったんだけれども、
そう言われた時、内心めちゃくちゃ焦ったんですね。
「やばい!バレた!!」と。笑

いるようでいない。参加してない。
何の責任もとりたくない。リーダーになんてなりたくない。


そういう自分の態度が・・・

性格でもなく、まして個性でもなく、
単なる甘えで逃げだったと、ここのところ気づきました。

そして自然と思った。
ああ、免許とろう、と。


それで、すぐに教習所に資料を請求したのですが、
今月中ならかなりお得な割引キャンペーンの対象になることがわかり、
さっそく申込に行って、そのまま適性検査まで受けてきました。

思い立ってから、この間3日くらい。。

水瓶座の時代はスピードが命、というのは本当のようです。
皆さんも、思い立ったことは遅くとも48時間以内に行動を起こしましょうね。
「えー、でも、ちょっと検討してから・・・」とか言ってると、経験を逃します。
そういう時代です。


 教習所の壁には
「助手席から卒業しよう。」という貼り紙。

今まで助手席にすら座ろうとしてこなかった私も、いよいよ運転デビューです。
自分の人生のハンドルを握るのは、いつだって自分なんですよね。



2014年5月21日水曜日

簡単に手に入れて大丈夫。






「私、なんとなく、自分は幸せになれない気がするの・・・。」


ここ一、二年の間に知り合った方には驚かれるかもしれませんが、
私、特に20代の頃はネガティブ街道をまっしぐらに疾走しておりまして、
これは実際に自分が口にした言葉です。。

おー、こわ。。

言葉がどれだけ現実に影響を及ぼすか知ってしまったら、
こうして書くだけでも恐いくらいになりましたが・・・


それにしても。


今でも覚えているのですが、
私のそんな後ろ向き120%発言に対して、
聞いていた友人がサラッと、こう答えたんです。


えー?私、自分は絶対幸せになれると思ってるよ?


 「俺も。幸せになる以外あり得ねーと思ってる。
 っていうか、今だって幸せだし。
 っていうか、もはや俺=幸せ、みたいな?



なんなんだこの人たちの根拠のない自信は・・・。


呆気にとられて、
そのあまりの明るさに思わず笑ってしまったのだけど、
考えてみれば私の「自信」だって同じくらい根拠ないなあ、
と、後からじんわり思ったものでした。
当時は、ただそんな友人たちがまぶしくて、うらやましかった。


生きていく上で必要のないもの。役に立たない信念。


どうやら、私たちはいくつもいくつも、
そんな重い荷物をしょって生きてるようです。


それは、 いつかの時点では苦しい自分を支えてくれたかもしれない。
優しくなだめすかしてくれたかもしれない。

とっても現実的で、言うまでもないくらい当たり前のことだと、
思い込んでいるかもしれない。もしくは疑ったこともないかも。

その中の一つ、
代表的ないらない信念(思い込み)が、


自分は幸せになれない。幸せになるに値しない。


ってやつですね。
もしくは、


すごく努力しなければ、幸せは得られない。
  なんでも簡単に手に入ってしまうのはよくない。


かな。


はぁ?
そんなわけないじゃん。
誰だって幸せになりたいに決まってる。
簡単に手に入るならバンバンザイじゃないの。

と、思える人は・・・

うらやましいです。笑
(本心なら。。)


私は今でも、ちょっと恐いです。

幸せになり過ぎたらいつかしっぺ返しをくうんじゃないかとか、
苦労しないで何かを手に入れるなんて、いけないんじゃないかとか、
やっぱり根拠もなく思います。


でもね、
ほんっっっと、役に立たない信念ですね!これ!
と、今は思います。笑


捨てちゃっていい、ほんとは、そんなもの。


簡単に、楽〜〜〜に上手くいっていいし、
どれだけでも幸せになっていい。
私以外に、私を制限する人は誰もいない。


うん。
・・・よし。
 
なんかこう、そんな気分にぴったりする歌ください。

と思っていたら、いいの思い出しました。



平凡なハッピーじゃ物足りない
カンタンにラッキーを手に入れたい
One or eight oh oh oh all or nothing 夢に向かって

大胆に運命を書きかえて
ヤル気ならだれにも負けない
One or eight oh oh oh all or nothing
若い今こそチャンスよ


篠原涼子「平凡なハッピーじゃ物足りない」


なつかし!
でも、なんだか今さら、よさがわかるぞ・・・!
One or eight って、しばらく何のことかと思ったけど。笑



ちなみに、自分の持ってそうな信念をちょいと洗い出してみたら、
他にもいろいろ要らないものを溜めこんでいそうなのですが、
その中でもわりと「これは持っててよかったなあ」
と思える私の信念は

・大体いつも友人に恵まれる
・本当に困ったときは必ず誰か(何か)が助けてくれる

ってこと。
これは持ってて得することが多いなあ。。
ここだけはなぜか昔から揺るがないんですよね。ありがたいことです。


こんな風に、自分の持ってる信念の棚卸しをしてみるのも、
たまにはよいかもしれません。
いいものはグッジョブ、自分。と褒めたたえ、
もはや要らないなあ、と思ったものはちゃーっと捨ててみる。


若くても若くなくても、きっといつでも今がチャンスの時。
カンタンにラッキー手に入れていきましょう^^



2014年5月17日土曜日

あなたは魔法を忘れてない。



子どもの頃、NHKですごく好きな番組があったんです。

人形劇なんだけど、
地下の洞窟みたいなところに小人がうじゃうじゃ住んでて、
みんなで踊ったり、歌ったり…

その洞窟はおじいさんと犬の住んでる小屋の穴と、
巨人の王国にも繋がっていて、
たまに小人たちが冒険に出かけて見つかりそうになったり、
食べられそうになったり(!)。
でも最後は無事に帰ってきて、皆でまた歌って終わる…


詳しいストーリーも、名前も歌のメロディも、
何も思い出せないのだけれど、
少し前になぜかどうしてもこの番組のことが気になって、
むやみやたらに検索をかけてみたんです。
そうしたら、見つかりました!見つけたいものは見つかるもんですね!
IT社会バンザイ!



「フラグルロック」という番組だったんです。





踊ろうよ♪ 嫌なこと忘れ♪ 大きな声で♪ 歌え楽しく♪
働こう♪ 踊りなんて忘れ♪ いつも元気な♪
ここはフラグルロック!


…この歌を再び聞けただけで泣きそう・゚・(ノД`;)・゚・
 

後で知りましたが、
作者はあのセサミストリートでマペットを世界に知らしめたジム・ヘンソンで、
日本では85年ごろにNHK教育で放映されていたようです。

私はたぶん当時小学一年生くらいだったと思うんですけど。
知っている人がいるかどうか・・・。


小人たちは「フラグル」といって、それぞれに名前がついてました。
フラグルロックにはさらに小さな小人たちがいて、
クリスタルでできた塔をおやつにしていたりするそうな。

なんて魅惑的なストーリーと、楽しげな唄だったんだろう!



・・・実は、この番組について、
心の奥の奥のほうで、かすかに気にかかっていたことがあったんです。


私、あんなに好きだったのに、なぜか最終回を見た記憶がない。
なのに、なぜだか、とても大事なお話だったような気がする。

思い出したい。思い出さなくてはいけない。

なんでだか知らないけど、何となく、ずっとそう思っていたんです。
それはもう、約25年ほど(!!)の間、ずっと。

それで、今になって、調べてみたんですね。
ていうかなんで調べようと思わなかったんだろう、と思いながら…
IT社会バ(以下略)!


やっと見つけた最終回は、こんなお話でした。
ちょっと長くなりますが、とても大事なお話。
興味のある方は読んでみてください。


-------

犬と小屋に住んでるおじいさん。
彼はフラグルの存在を全く信じていないために、実はフラグルの姿が見えない。

でも、最終回のちょっと前にたまたまゴーボー(フラグルの名前)がおじいさんの所に行く。
そこでおじいさんの親友が遠くへ行くことになるという電話を聞いてしまう。
落ち込むおじいさん。気の毒に思ってゴーボーがおじいさんに触れた時、
おじいさんにフラグルが見えるようになる。

最終回、おじいさんは親友についていくため引越すことにする。
おじいさんは引越す日に手紙を穴の前に置いておく。

手紙を読んだゴーボーは落ち込んでゴミー様(フラグルの知恵袋みたいなお婆さん)に相談に行く。
ゴミー様に「私達は誰でも魔法」、「魔法を忘れてはならない」というお告げをもらって、おじいさんに伝えに走るが、すでに家はもぬけの殻。
そこにテープレコーダーを残していたおじいさん。ゴーボーたちは再生する。
友達になりたかった、ごめんねみたいなことを言ってる。

場面変わって新居に着くおじいさん。
犬と前の家に引越したときに壁際に箱が置いてあって、
どかしたらあのフラグルの穴が開いていたね、
という話をしているときに新居にも壁際に箱がある。
思わせぶりにどかしてみるがやはり穴はない。

再びフラグル達、ゴーボーを慰めつつ帰路に着くときに
「友情って永遠」「そう一生『忘れない』」という言葉に反応するゴーボー。
ゴミー様に言われたことを思い出す。
魔法を忘れてはいけない→僕らは魔法→僕らと博士は離れてはいけない!
ということに気づくと、さっきまでなかった新しいトンネルを発見。
そこをみんなで通る。

再びおじいさん。犬に向かって独りごとを話している。
「フラグルに会えたことで自分は変わった。
これは魔法だ。すべては考え方次第。
君も私もみんな、すべては魔法なんだ。

私達があの壁にフラグルの穴があると信じればある、かもしれない…」
すると箱をどかしてゴーボー登場。ゴミー様の言葉をじいさんに伝える。

そしてキャラ総登場で主題歌の替え歌(「踊ろうよ」「働こう」のところがすべて「魔法はいいな」に変更されてる)。
歌いながらおしまい。


-------



…観たことない方に伝わるかわからないですけど……
私はこれを書きながら一回泣きました(ノД`;)


そうして、すべてを思い出しました。

私、この最終回、見ていたんです。
でも、その日は旅行に出かけることになっていて、
どうしてももう行かなくちゃならなかった。
それで家を出る直前に目にしたのが、
フラグルたちが新しいトンネルを見つけたシーンだったんです。

いつもと違う幻想的な音楽がかかる中、
クリスタルのちらちらきらめく不思議な道をみんなが歩いていく……




だから、気になってたんです。
あの後、フラグルたちがおじいさんに会えたのかどうかを、
ずっと知りたかった。


ここまで思い出した時、
もう、古いパズルのピースがばちこーん!とはまったかのような感覚で…
何か、思い出以上に大事なものを取り戻したような気がしました。

ああ、誰に言えばいいのかわからないけれど、
本当にありがとう。。



「魔法を忘れてはならない」


という印象的な言葉、
現地アメリカでは "you cannot leave the magic." という台詞だったそうです。

たしか…昔の記憶をさかのぼると…笑
cannotは否定の命令形(〜してはいけない)としても使われる表現でしたよね?

でも、たぶん、フラグルたちは最後に気づいたんだと思います。
ゴミー様は「魔法を忘れるな」と命令したんじゃない。


「私たちは魔法を忘れることはできない」


という事実を言ったんだって。

全ては魔法。
もし私たちがそういう風に世界を見るなら。

"Everything's magic, if you see it that way."


思い出せないことと忘れてしまうことって、
どうやら根本的に別物のようです。


ほんとは忘れてないんだと思うな、私もあなたも。



 
「一度あったことは忘れないもんさ。
 思い出せないだけで。」

映画「千と千尋の神隠し」より、銭婆の台詞。


2014年5月3日土曜日

扉が開いたら






GWをフライングゲットして、戸隠に行ってきました。

なんでだか知らないけど、なぜか、昔から長野県が大好きなんです。
わたしは千葉生まれ、千葉育ち。親戚がいるわけでもないのに。

以前に好きなバンドのライブのために長野まで行っちゃったことがありますが、
ボーカルの人が突然
「なぜか、昔から長野県が大好きなんです。」
って言いだして驚いたことがあります。
彼は大阪生まれ、大阪育ちなんだけれども。


そんな不思議に愛着を湧かせる地、長野へ・・・






旅行中、
毎日毎日、奇跡みたいに面白いことが起こりすぎて、
なんというかもう、大変です。革変です。


壁だと思ってたのが実は扉で、ぱかーんと開いちゃう、みたいな。

今まで現実と信じてたことのほうが夢だったと気づく、みたいな。


「私ずっと前からカレーライスが食べたくて、
 せっかく注文したのに、な・ん・で・オムライスがくるの?!」

って怒り狂ってたら、

「あっ、違う!私がオムライス注文したんだった、
 …すみませ〜〜ん(・ω<)テヘペロ♡」

って突然気づくみたいな。 笑




そういえば、パスカル。


「人間は考える葦である」や「パスカルの定理」で有名な、
歴史的数学者兼、哲学者のブレーズ・パスカル。

昔、教科書か何かで彼について読んだ時からずっと、
私には不思議で仕方なかったことが一つあったんです。

---
若い時から天才的な数学者だったパスカルは、
31歳の時にある神秘的な体験をしたことがきっかけで、
数学を一切放棄して財産を売り払い、修道院に住み着いた…
---


パスカルについて調べると、よくこう書いてあるんですよ。


・・・気になりませんか?


「神秘体験」て何したの???


って(笑)

残念ながら、逆に面白いほど、
この「神秘体験」について説明してくれる文献はありません。


でも、ある時突然にやってきて、
他の人には到底説明できない、
けれどもう今までの自分と同じではいられない、
そういう強烈な個人的体験て、確かにあるんだと思います。


パスカルさんほどの神秘体験をしたわけじゃないし、
別に修道院にもこもりませんが(笑)
まあ、風通しはよくなったなーと思います。
戸隠で開いた扉が、さやさやと新しい風を運んできてくれるのを全身で感じて気持ちいい。



必ず、必ずすべてがいい方向へ流れていく。
絶対に自分の人生を変えていく。

そう決めた時から、世界に響く音が変わりはじめました。


いずれ、他の誰かのために大切なことを伝えられるように、
丁寧に生きていきたいなと思ってます。
今はまだ言葉にできないことも多いのですが、
そのうち発信していくことになると思うので、よろしくお願いします^^





人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。(中略)たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ねることと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
(中略)だから、よく考えることを努めよう。

— パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、225頁。