学生の頃、好きだった子の家に遊びに行ったら、変な音楽がかかってました。
上手いんだか下手なんだかよくわからないボーカルと、
南米の暗いロック?のような、それでいて日本の正統派ポップスのような、
時おり妙ちくりんな転調の入り交じる不可思議なメロディ。
「なんじゃこりゃ。」
それが第一印象。
それから大学を出て、いつしか好きだった子のことも忘れて、
数年が経過した頃・・・
2009年、よりによってクリスマス・イヴの日。
あの時のバンドのボーカル、志村正彦が急逝。
享年29歳。
バンドは活動停止となりましたが、それから数年後に復活。
残された3人のメンバーで、「フジファブリック」として、再び活動再開。
その数年ぶりのステージを生で見て、私の中の何かが変わり、今に至る。
そもそもフジファブリックというバンドは、山梨の「富士」吉田市で生まれ育った志村さんが友達と始めたバンド。メンバー交代、脱退を繰り返して、ようやく落ち着いたのがあの4人でした。
まるで中原中也のような端正な顔に、独特の表現力のある声。存在感。
作詞も作曲もほとんどが志村さんの手によるものでした。
月並みに表現すれば、天才。
そんな志村さんがつくったバンド。なのに志村さんがいない・・・
そんなとんでもないパラドックスを抱えながら、それでも再スタートを切った。
支えたのは、残った3人の才能と、ひとえに固い意志だったと思います。
新たなボーカルは、それまでギターを担当していた山内総一郎。
総くん。
彼の弾くギターは、不思議です。
テクニック的なことはよくわからないけど…
身体のどこか内側の響いてほしいところに、いつも、きちんと響く。
どんな音を鳴らしてほしいのか、自分でもよくわからないのに、鳴れば「そうそう、そこそこ!!」って思う。
精緻で美しい、しなやかな音を奏でる人です。
寡黙なギタリスト、という雰囲気だった彼が、今やれっきとしたシンガー。
同い年ということもあるかもしれないけれど、なんでかどうしても、他人と思えないんだよなあ。
◆◇◆◇◆◇◆
そんなフジファブリックの10周年記念武道館ライブに行ってきました。
これまであまり語ってこなかった志村さんの話を、ものすごく自然に、柔らかく、率直に話してくれた総くん。
なんでバンドを続けることにしたのか、最近ようやくわかった、と言っていました。
「大好きなんだな〜。フジファブリックのことも、志村くんのことも。
だから、なくしたくなかったんだ。」
シンプルな言葉に……泣きました。
志村さんのギターを持ってそんなん言われたら、泣くでしょ。
にくい演出のおかげで、蓋をしていたはずの感情が内から内から湧いてきて、ひたすら泣いてしまった。
悲しくて悲しくて。
でも、そのままちゃんと悲しみを感じ続けたら、それだけじゃないって思いました。
悲しいだけじゃない。歓びも感動も、同じようにここにある。
正直なところ、私にはまだよくわからないのです。
ある日突然、友達より濃い関係の存在が動かなくなること。
明日も当たり前に会えると思っていた人に、二度と会えないこと。
自分がその人のいた場所に立って、その人を好きだった人たちに向かって、その人の歌を歌うこと。
その場所で、新しい歌をつくり続けること。
それがどれほどの悲しみで、どれほどの勇気と覚悟の要ることか。
いくら想像してみても、同じ気持ちにはなれない。
でも、彼らを見てると、いつも思うのです。
「神は乗り越えられる課題しかその人に与えない。」
あの言葉は本当にそうなんだろうな、って。
あきらめるのはまだ早い。行き詰まったところが始まりです。
って。いつもそう教えてもらうのです。
ライブって、お金を払った方が一方的に恩恵をもらうものだと思っていたけれど、全然違う(何でもそうですね)。
演る方もまた、私たちからもらってるんだ。
与えて、受けとって。エネルギーは循環するもの。
お金でも音でも、愛でも。
「みんながいるから、歌うんだぜ〜!」
って、照れながら言っていたけれど、
あなたが歌うから、聴き続けるよ。
◇◆◇◆◇◆◇
最後の一曲・・・
会場全員でつくり上げた光の柱がずどーーん!!!
と武道館の天井を突き抜けて、瞬時に上空まで走り抜けて、
志村さんのいるところまであっさり届いているような気がしました。
・・・これって愛。
あのバンドと、その歌を聴きたくてたまらないファンの人たちと、
全ての関係者に、とびっきりの幸せが輝き降り続けますように。
なくさないでくれて、ありがとう。
東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ
「茜色の夕日」(フジファブリック/作詞作曲 志村正彦)
君の声はこだましてる 頭の中離れないよ
巡る思いは置いといて さあ行きますか
「STAR」(フジファブリック/作詞 山内総一郎・加藤慎一、作曲 山内総一郎)