2014年11月29日土曜日

「なくしたくなかったんだ。」





学生の頃、好きだった子の家に遊びに行ったら、変な音楽がかかってました。
上手いんだか下手なんだかよくわからないボーカルと、
南米の暗いロック?のような、それでいて日本の正統派ポップスのような、
時おり妙ちくりんな転調の入り交じる不可思議なメロディ。

「なんじゃこりゃ。」

それが第一印象。


それから大学を出て、いつしか好きだった子のことも忘れて、
数年が経過した頃・・・


2009年、よりによってクリスマス・イヴの日。
あの時のバンドのボーカル、志村正彦が急逝。
享年29歳。
 
バンドは活動停止となりましたが、それから数年後に復活。

残された3人のメンバーで、「フジファブリック」として、再び活動再開。
その数年ぶりのステージを生で見て、私の中の何かが変わり、今に至る。



そもそもフジファブリックというバンドは、山梨の「富士」吉田市で生まれ育った志村さんが友達と始めたバンド。メンバー交代、脱退を繰り返して、ようやく落ち着いたのがあの4人でした。

まるで中原中也のような端正な顔に、独特の表現力のある声。存在感。
作詞も作曲もほとんどが志村さんの手によるものでした。
月並みに表現すれば、天才。

そんな志村さんがつくったバンド。なのに志村さんがいない・・・

そんなとんでもないパラドックスを抱えながら、それでも再スタートを切った。
支えたのは、残った3人の才能と、ひとえに固い意志だったと思います。
新たなボーカルは、それまでギターを担当していた山内総一郎。


総くん。


彼の弾くギターは、不思議です。

テクニック的なことはよくわからないけど…
身体のどこか内側の響いてほしいところに、いつも、きちんと響く。
どんな音を鳴らしてほしいのか、自分でもよくわからないのに、鳴れば「そうそう、そこそこ!!」って思う。

精緻で美しい、しなやかな音を奏でる人です。

寡黙なギタリスト、という雰囲気だった彼が、今やれっきとしたシンガー。
同い年ということもあるかもしれないけれど、なんでかどうしても、他人と思えないんだよなあ。


◆◇◆◇◆◇◆


そんなフジファブリックの10周年記念武道館ライブに行ってきました。
これまであまり語ってこなかった志村さんの話を、ものすごく自然に、柔らかく、率直に話してくれた総くん。

なんでバンドを続けることにしたのか、最近ようやくわかった、と言っていました。



大好きなんだな〜。フジファブリックのことも、志村くんのことも。
 だから、なくしたくなかったんだ。



シンプルな言葉に……泣きました。
志村さんのギターを持ってそんなん言われたら、泣くでしょ。

にくい演出のおかげで、蓋をしていたはずの感情が内から内から湧いてきて、ひたすら泣いてしまった。

悲しくて悲しくて。
でも、そのままちゃんと悲しみを感じ続けたら、それだけじゃないって思いました。
悲しいだけじゃない。歓びも感動も、同じようにここにある。



正直なところ、私にはまだよくわからないのです。


ある日突然、友達より濃い関係の存在が動かなくなること。
明日も当たり前に会えると思っていた人に、二度と会えないこと。
自分がその人のいた場所に立って、その人を好きだった人たちに向かって、その人の歌を歌うこと。
その場所で、新しい歌をつくり続けること。


それがどれほどの悲しみで、どれほどの勇気と覚悟の要ることか。
いくら想像してみても、同じ気持ちにはなれない。


でも、彼らを見てると、いつも思うのです。


神は乗り越えられる課題しかその人に与えない。


あの言葉は本当にそうなんだろうな、って。
あきらめるのはまだ早い。行き詰まったところが始まりです。
って。いつもそう教えてもらうのです。



ライブって、お金を払った方が一方的に恩恵をもらうものだと思っていたけれど、全然違う(何でもそうですね)。



演る方もまた、私たちからもらってるんだ。
与えて、受けとって。エネルギーは循環するもの。
お金でも音でも、愛でも。


「みんながいるから、歌うんだぜ〜!」

って、照れながら言っていたけれど、
あなたが歌うから、聴き続けるよ。



◇◆◇◆◇◆◇



最後の一曲・・・


会場全員でつくり上げた光の柱がずどーーん!!!
と武道館の天井を突き抜けて、瞬時に上空まで走り抜けて、
志村さんのいるところまであっさり届いているような気がしました。



・・・これって愛。







あのバンドと、その歌を聴きたくてたまらないファンの人たちと、
全ての関係者に、とびっきりの幸せが輝き降り続けますように。


なくさないでくれて、ありがとう。





東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

 「茜色の夕日」(フジファブリック/作詞作曲 志村正彦)




君の声はこだましてる 頭の中離れないよ
巡る思いは置いといて さあ行きますか

 「STAR」(フジファブリック/作詞 山内総一郎・加藤慎一、作曲 山内総一郎)





2014年11月26日水曜日

飛行機の話。




口に出して言うほどのことでもないので、これまであんまり人に話したことがなかったのですが・・・

「ふ。」とした瞬間。

何か、上手く言葉にできない、予感めいたものがスッと差し込んだような感覚。
それに気づいて、というより気づくより一瞬早く、意志より先に自然と頭が動いて、ふ、と空を見上げた時に、飛行機が飛んでる確率が異様に高いんです。


あ、またひこうき飛んでる。


あまりにそう思うことが多いので、ひょっとしたら皆も口に出さないだけで、当たり前のことなのかな、と思っていました。

もしくは、私は空港のある街で生まれ育ったので、妙なご縁があるのかなとか。
東京で見る飛行機の小ささには、未だに少し慣れないのだけれど(実家の上空だと機体に書いてあるロゴまで見える)。


◇◆◇◆◇◆


この飛行機の話に関連して、思い出すエピソードがあります。
少し前に読んだ『アミ 小さな宇宙人』という物語に、こんな場面がありました。

宇宙人のアミが主人公の少年ペドゥリートを空飛ぶ円盤に乗せて、はるかかなたの惑星に行くシーン。

別の円盤がすれ違いざま、アミたちに向かって光の合図を送ってきます。
アミもいたずらっぽく笑って合図を返します。それを見ていたペドゥリートは、不思議に思ってこう尋ねます。

「どういう意味なの?あの光のサインは」

「あいさつだよ。友情のしるしだ。おたがいにとても好感がもてたんでね」

「どうしてわかるの?」

「感じなかったかい?」

「感じなかったと思うけど・・・」

アミは柔らかに語りかけます。

「それは、自分をよく観察していないからなんだ。外部にはらうのとおなじくらい、自分じしんに注意をはらっていたら、たくさんのことが発見できるんだよ……。あの円盤が近づいてきたとき、なにかある種のよろこびのようなものを感じなかった?」

「わかんない。たぶん、感じなかったと思う。ひょっとするとぶつかるかもしれないと心配していたから……」

(徳間書店『アミ 小さな宇宙人』2009年、175-176頁より)


 ペドゥリートは、読んでいて少し苦しいくらい、私たち現代人の姿を表してくれていますね。。


ふと見上げるたび、空を飛んでく飛行機。


どういう意味があるんだろう、何かメッセージがあるのかな、なんて頭で考えてみてもちっとも分からなかった。
その代わり、感じてみよう、感じてみよう、とやってみたら、なんだかすごく単純に、わかりました。


優しい感じ。励まされてる感じ。

どこへでも行けるよー。
もういい加減、羽ばたきなさいな。
お空は広いよ。

と、言われているような感じ。

根拠も理屈もあったもんじゃない。
でも感じる。

だったらそれがすべて。
だってそう感じたんでしょ。
それでいいじゃない。

そんなことを思うようになった、最近です。



週末に戸隠へ行っていたのですが、長野駅からのバスを降りた瞬間、飛行機。ひこうき。ヒコーキ。。
ものの数分の間に、真っ青な空にくっきりと白線を描きながら、飛んでく飛んでく。

どう見ても、どう抗っても、なんだか大きい応援団に見守られてるような気がして。
頼もしくて、明るい光が余韻のように胸の中に響き渡っていくのを、しばらくそのまま感じていました。










高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
ほかの人には わからない
あまりにも 若すぎたと
ただ思うだけ けれどしあわせ

空に憧れて 空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲

荒井由美 「ひこうき雲」より。


2014年11月16日日曜日

どっちを選ぶ?




前回の呼吸法の話 から少し続きます。


3日間のコースで講師をしてくれたトレイシー

その写真をネットで見た瞬間、
「あ、おかん!」
と思って参加を決めた、という参加者もいました。

なんかそれもあながちわからんでもないな・・・
と思えてしまう。
上手く言えないけど、初めて会ったタイプのアメリカ人。
でもチベット辺りで前世で会ってそう。笑
人に触れられることにこっそり抵抗のある私でも、
彼女に触れられるのは全然嫌じゃなく、
初めから他人という感じがあんまりしなかった。


そんな彼女から、
こんな忘れられない話を聞きました。

個人の深いところに関わる話なので、
多少ぼやかして書きますが・・・
(それでもこの話を書きたかったのです。)



とあるセッションでの、ある参加者の話。


その女性は若い頃に女性特有の経血の病気を患って、
病院に行ったところ、すぐに薬を渡されたそうです。

「はい。これを飲めばあなたの問題は解決されるでしょう」

とだけ言われて。
確かにその薬を飲んだら、症状は治まりました。

けれどそれから十年ほど経って、症状が再発。

彼女が呼吸法のセッションにやって来たのは、その頃でした。


・・・

セッションで意識の奥深いところまで入っていくと、
突然彼女は、時空を超えたような心地がして、
気づくと過去の自分になっていました。


その自分は、怒りながらこう叫んでいるのでした。

「It's NOT safe to be a woman!」
(女性でいることは安全じゃない!)


しかしその時、
(現実の)彼女の側にいた呼吸法のファシリテーターが、
こう声をかけたそうです。


「It's safe to be a woman!」
(女性でいることは安全です、女性でいても大丈夫です。)


けれども過去の自分は主張し続けます。

No, No, No!!」


その時・・・

彼女は、自分の中の深い叡智が、
こう語りかけていることに気がつきました。


You can choose.
   So, which do you want to choose?」
(あなたが選べるよ。どっちを選びたい?)


彼女の答えは決まっていました。



「Of course, of course, "It's Safe" !! 」



・・・その呼吸法セッションの後、
彼女は自分の病気がすっかり治っていることを知ったそうです。



・・・


この話を聞いていて・・・

「Of course」の辺りで、なぜか涙がぶわっと・・・


何かを誰かを許して自分を幸せにする選択か、
不幸のままで誰かを責めたり自分を責めたりできる選択か。



どっちを選ぶ?


ほんとにほんとに素直になって、
ちゃんと自分に尋ねてみたら、答えは決まってるはず。


もちろん、幸せになる方を選ぶわ!」


そう言っているはず。
いつでも、いつでも。

幸せになる方を、自分のために選んであげたいなあ。
叡智の声に耳を澄ませる自分でありたいなあ。
と、改めて思ったのでした。



そういえば昔から、
選択に迷った時にはこう言ってたっけ。


「どちらにしようかな?天の神さまのいうとおり。」


あれ、 意外に深い言葉だった気がしてきました・・・。


2014年11月7日金曜日

それでも続けなさい。




11月初旬の3連休に、
ブレスアウェアネス(呼吸法)トレーニングのベーシックコースを受講してきました。


呼吸法って何?
なんとなく興味あるかも・・・。
という方はよかったらこちらもご覧ください。


コウノミサのOH!はっぴ〜でいず☆
身体のすみずみにまで届く呼吸で、人生に変容を起こす



いやー、覚悟はしていたけれど、
深かった・・・。



たかが息でしょ?

教わらなくてもできるじゃん。

まさか、呼吸で人生変わるわけないでしょ?


まー、とにかく物事を複雑にしたい私たちですから笑、
毎時毎瞬、当たり前のようにしている呼吸にそんなパワーがあるなんて、信じられないですよね。


でも、「教わらないのにできる」「毎時毎瞬している」わりに、
止めたらものの数分で死に至るものなんて、他にないですよね?

食事すら、何日か抜いたって死なないわけで。
(私の合気道の先生は、若い頃に30日くらい断食したと仰っていますが笑)



呼吸はあらゆる癒しに繋がるマスターキー。


自分の思い癖も、遠い過去世のカルマも、
あらゆる記憶が自分の呼吸パターンの中に刻み込まれている。

ハートが閉じてる人とか、
グラウンディングできてない(地に足ついてない)人とか、
何でも自分の思う通りにコントロールしようとする人とか、
呼吸パターンを見るだけでけっこう簡単にわかるんです。


もしもその癖を手放して、
肺の力を最大級に使って、全身震えるほど、
心底まるごと気持ちのいい呼吸ができたら・・・?


その深遠広大なる可能性を、少しだけイメージしてみてください。
たぶん、あれこれ説明しなくても、直観的にわかるんじゃないかな。
今、これを読みながらも呼吸をしているあなたなら。



意識の奥深くに眠る、美しい森の泉の底の底のほうで、
不意にコトリと音を立てて何かが倒れたような、
呼吸法はそんな静かな、けれどとてつもなくパワフルな、
癒しと変容を起こしてくれるセッションだと思います。

しかも、その起き方は実にユニーク。
同じ場にいても、誰一人として、同じ体験をすることはありません。
感想も、そこから得るものも一人ひとり異なります。
必要なことが、必要な人にだけ、必要なタイミングで起こる。
比べて羨ましがることの無意味さを、実感します。



・・・それで、私はというと。


いろいろあり過ぎて書けないのですが・・・
仙骨が熱を発して燃え上がりそうになり、
解脱するかと思った話とかもあるのですが(しなかったけど笑)、
ま、それはさておき・・・


ひとつ、印象に残ったことを。


呼吸法のセッション中、特有の呼吸をずーっと続けていると、
身体感覚としてはどんどん解放されて、心地良くなってきます。
そうするとだんだん、呼吸が面倒くさくなり・・・
なんかもう、こんな窮屈な体抜け出して、どっかに行っちゃいたいなー。
ああもう全部捨てて、楽になっちゃいたいなー。
そんな誘惑に駆られるのでした。


セッションの後、その感覚について話してみたところ、
講師のデイブがこう言いました。


それでも呼吸を続けなさい。


彼は言葉を足して、


「日常生活でも同じだよ。
 何か嫌になったり、面倒になったり、放り出したくなったとしても、
 それでも私たちは生き続けないといけないんだよ。」


「それに、ただ寝ているだけだったら、
 ちょっとお金がもったいないしね。」


さすがのアメリカンジョークも交えながらでしたが・・・
なんだかこの言葉、響きました。


何か嫌になったり、面倒になったりすると、
丸ごとえーい!と放り投げてしまうような衝動。
そういう癖が私にはありまして。

なんだかそういう自分の頬を柔らかに、
優しくぺちんと叩いてくれたような気がしたのです。


やめたらだめなんだよ、たとえうまくいかなくても。
とにかく続けるの。




生き続けないといけない
 


呼吸(息)続けないといけない


でしょ。



生き続ける限り、呼吸は続けなきゃいけない。

呼吸が続く限りは、生き続けなきゃなんない。



面倒くさいからや〜めた、とか、なしなんですよ。
だったら生まれてくるなと。
だったら呼吸ワークショップ来るなと。笑



・・・


それでも、生きてゆく

というドラマを観たことある方、いますか?
あれ、すごいドラマでしたね。突然ですが。

中学生に幼い子供を殺された母親、同級生に妹を殺された兄、
自分の兄が人殺しになってしまった妹、殺人犯の親となった父母。
それぞれの立場が交錯する深みのあるストーリー。

でもただ重いだけじゃない、哀しいだけじゃない、
なぜだか心に優しい余韻を残すドラマでした。

その最終話に、こんな台詞がありました。


「母は今でも時々泣いています。
 だけどさっき買い物したら、777円だったのよと言って笑ってました。
 たとえば、月曜日と木曜日に泣いたり、火曜日と金曜日は笑ったりして。
 そうやって続いていくのだと思います。」



それでも、生きてゆく。


って、そういうことかな、と今でも思ったりします。
なんでかこの台詞を、呼吸法のワークの最終日に思い出しました。


まだまだ自分に定着していない深い呼吸は、
うっかりするとつい忘れがちなのですが、
「それでも呼吸を続けなさい。」
という言葉が、
これからの自分の背中をそっと、
後押ししてくれている気がします。



さあ、では皆さんもご一緒に。


大きく吐いてー、吸ってーー。


今日も生き続けよう。


呼吸法の話も、もうちょっとだけ続きます。