ある本を読んでいたら、
「未来の自分から電話がかかってくる」
というシチュエーションがあって、
ちょっと面白いな、と思いました。
もしも、未来の自分からの電話が鳴ったら・・・。
どうするでしょう?
どんな気持ちになるんだろう?
どんなことを自分に伝えてくれるだろう?
まあ、イメージの世界の話だから、
何十年先でもいいし、なんならこの人生じゃなくても、
来世でも、来々々々…世でも、
どんな時点の未来でもいいんだけど、
例えばわかりやすく、
東京でオリンピックが開催される頃、なんかどうでしょう。
今から6年後。
2020年の自分と、
もしも電話が通じるとしたら、その魔法の電話機で、
どんなことを聞きたいと思います?
ちょっと一緒に考えてみません?
(ばかばかしい、と思っても、
ありえないよ、と思っても、
頭の中で考えるのは自由です!!!)
そうだなー、
わたしだったら、、
そっちのわたしは元気ですか?
今の仕事を続けていますか?
どこに住んでいますか?
どんな格好をしていますか?
結婚して、子供を産んでたりするんですか?
毎日笑っていますか?
幸せでいますか……?
こんな感じかな。。
あなたはどんな感じ……?
それに対して、未来の自分はどう答えてくれると思いますか。
何を聞いてもいいし、何を答えてもいいんですよ。
別に、正解はないからね。
それで、
これ、考えるだけでもなかなか楽しかったのですが、
やってる内にふと、こう思ったんです。
「もしも、過去の自分から同じように電話がかかってきたら、
わたしは彼女に何を言ってあげられるんだろう?」
って。
同じく、6年前だとして。
もし2008年の自分からの電話が鳴ったら、どうしましょう?
(2020年は遥か彼方のことに思えるのに、
2008年はついこの間のことな気がする不思議…。)
きっと超ビビりながら、ドキドキしながらかけてくるんだろうなあ。
聞きたいような恐いような、でもやっぱり聞きたくて仕方ないような、
熱っぽい手で受話器を握りしめて…
そんな彼女に、
わたしから言ってあげたいことを考えてみたんです。
そしたらこんな答えが浮かんできました。
「大丈夫。心配しなくていいよ。
こっちはなかなか面白いことになってるよ。
残念ながら、あなたが今、
期待しているような感じにはなってないけど(笑)、
こっちの世界はなかなかいいよ。
今のあなたよりも、自分のことをずっと好きになるよ。
少しだけ、前より楽に生きていけるようになるよ。
でもね、それは今あなたが思っているように、
自分のことを心から愛してくれる誰かが現れたり、
誰かに自分を認めてもらえたり、
友達と同じ環境を手に入れたり、
そういうことによって得られるものじゃないみたい。
もっとね、内側から起こるんだよ。
あと、わたしもけっこう最近知ったんだけど、
そのネガティブな考え、ぜんぶ誤解らしいよ(笑)
ちょっとだけよーく、周りを見てみて。
自分で思ってる以上に、あなたは愛されてる。
それはあなたの思ってる「愛」とは、
ちょっと違うかもしれないけれど。
もし何かやりたいと思ったら、全部やっておきな。
あなたはすぐにお金や時間の心配をするけど、
まあ、そういうのは、こっちでどうにかしとくから(笑)
大丈夫だよ。
誰かに馬鹿にされたり、理解されなくても、
やりたいことならやっていいんだよ。
そういう人たちは、無理に遠ざけなくても、
自然にあなたから離れていったりするよ。
その代わり、新しい出会いもあるよ。
変わらず側にいてくれる人もいるよ。
大きな地震とともに、世界も自分も、
いろいろ揺さぶられたりもするけどね。
でもね、結局は全部、いい方向に進んでいくよ。
大丈夫だよ。
だから、肩の力を抜いて、
そんなに思いつめないで、
心配しすぎないで、
リラックスして、
思いきり遊んで。
焦らないでゆっくりおいで。
愛してるよ。」
こんな感じ。
でも、これだと長くて通話料がかさむかもしれないから(笑)、
一言でまとめると、何度も出てきてますが、
「大丈夫だよ。」
って伝えてあげたいです。なんとなく。
あと「愛してるよ」かな。
なんだかこれ、一生懸命考えてみたら、
……泣けてきた(笑)
そして、6年後の自分も、
ちょっとニュアンスは変わっても、
結局同じことを伝えてくれようとするんじゃないのかな、
ってなんとなくわかりました。自分なだけに。
「大丈夫だよ。」
ってね。
最後に余談ですが、
ちょっとわたしのお気に入りの話を一つ。
作家のよしもとばななは小さい頃に目が悪く、
いつも眼帯をしていたそうです。
いいほうの目に眼帯をするときはほとんど世界が真っ暗、
失明に近い状態だったとか。
だからいいほうの目に眼帯をする場合、
その前に必ず「オバケのQ太郎」をむさぼり読んでたそうです。
すんごく好きだったそうです。
それで大人になって作家になって、
ある時ついに、藤子F先生と対談で会えたらしいんですね。
しかも自分の書いた本を先生が読んでくれていて、ほめてくれて、
もう嬉しくて死んでしまうかと思ったそうです。
それで、その体験についてこんなことを書いていました。
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私は生きてきて何回か「これはかなり絶望的でもうだめなんじゃ」と大きいことから小さいことまで、実際的なことから精神的なことまで思うことがありましたが、なんとなく心に一点、ほのかに明るい点があって、それが堂々と「大丈夫」と言うのです。
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(『夢について』吉本ばなな、幻冬舎文庫133頁より)
藤子先生に会って、死ぬほど嬉しい思いをした時、
彼女にはその明るい点が「未来の自分」の声だったんだ、
と思い当たったそうです。
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何より当の本人が、「ああ、三歳の私のところに行って、今はつらくてつまんなくて自分を投げ出したくても、大人になって本を書いて、それをQちゃんの作者が読んでほめてくれるよ、と言ってやりたい!」と強く強く思ったのです。
こんなに強く思ったら、届くのではないかと私は思いました。
(略)
ということは、今の私にエールを送っている未来の私がきっと存在するということで、何やら頼もしい話ではありませんか。
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(同134ー135頁)
なんだかわたし、この話がとても好きです。
心に一点、ほのかに明るい点。
魔法の電話機がなくても、わたしにも感じられる。
ただこっちが聞こうとしてないだけで、
未来からの電話は、いつも鳴ってるのかもね。