2014年8月21日木曜日

マイ・スイート・ホーム





石垣島の旅でお世話になった 河野雅美沙 夫妻が熊本に引っ越すこととなり、
先日、サプライズ送別会が開催されました。

お盆のさなか、ふたりを送りだすために20名弱が集まり、
それはそれは素敵なパーティーとなったわけですが、
今日の話はちょっぴりそれに関係していまして・・・



実は、このところ、わたしも引越しを考えていました。



今のマンションに越してきてからはや6年(!)。
3度目の更新が近づき、そろそろ潮時かなあ〜、と。。

どうせ引っ越すなら、いっそ全然違う沿線にしてみようかと思っていました。
ちょうどサプライズ送別会の日、不動産屋に行ってみたところでした。

完全に気乗りしているわけじゃなかったのだけれど、
なかなか変わらない現実があって、嫌になったりしていて、
いっそのこと環境を変えたら何かが加速するかもしれないなあ、
なんてぼんやりと考えていました。



そんな中、はるか熊本に引っ越すふたりの送別会に参加して、
やっぱり自分を新しい場所に置いてみるのも悪くないかもしれない、
という思いはますます強くなりました。

なったかのように、思っていました。



まさにその、帰り道のことです。



「ああ、送別会、素晴らしかったなあ。
 あんなに優しい時間を一緒に過ごせて、
 愛の溢れる場に立ち会わせてもらって、
 本当にありがたいなあ。」


そんな感謝の思いでいっぱいになりながら、私は電車に揺られていました。
軽く目を閉じて、会の様子を思い出していると、ふと・・・

何と言うか、うまく表現できないのですが、
ものすごい大きな愛の固まりのようなエネルギーが、
びかーっ!と急に頭上で光ったかと思うと、
どかーん!と降ってきたかのような感覚がしました。


少しびっくりしながら目を開けて、
しばらくぼーっとしていたのですが、それからなぜだかふっと、
混み合っている車両の左側に目線が向いて・・・

その先に知っている人が立っているのを、私の目がとらえました。


間違えようのない、いつもの眼鏡に険しい眼光。
普段通っている合気道の道場の、師範でした。




そう、実は、引っ越しに乗り気になれていなかった一番の、
心残りは・・・


二年前からはじめた合気道。
道場が家のすぐ近くにあるので、引っ越してしまったら通いづらくなる。
それだけでした。


合気道は何十年毎日と続けている方も珍しくなく、
始めて二年なんてほんとにぺーぺーの域です。
白帯の私は、いつか袴をはける日を夢見て練習しているのですが、
まだまだ遠い先のこと・・・。

道場から離れてしまったら、飽きっぽい私のこと、
いずれ足が遠のくのは目に見えていました。
どこかで、それもいいのかな、と思っていたんです。
新しく勉強していきたいことも見つかったし、最近新しい知り合いも増えたし。
そろそろここを離れるのもいいのかもしれない。


それは上手く言えない、昔からの自分のくせでした。
いつもいつも、7割くらいの関係ができると離れたくなる。
ずーっと一つのことを続けたり、一つの場所にいることができない。
ころころと興味の対象が変わって、その度に一緒にいる人も変える。
母は私の友達はすぐに変わるから名前が覚えられない、とよく愚痴っていました。笑



けれどその時、
ふだん電車に乗る機会もそんなにないであろう師範に遭遇して、


私はなんだか、ほっとしたんです。

ちょっと後になって気づいたんですが。
ああ、私はあの時、安心したんだなって。


電車の中でさえ、見るからに厳しい(失礼)お顔をされていましたが・・・
なぜだか、私には、あの時の先生が、
まるで、迷子になった子供を迎えにきてくれたお父さんのように見えました。


「こらこら、どこ行ってたんだ、そっちじゃないよ。」

って。


「家に帰るぞ。」

って、言ってくれているみたいでした。


(とは言え、本当に目上の方すぎて、
その場でとっさにお声がけできず・・・ビビリですみません・・・)



・・・考えても仕方ないけれど、つい考えてしまう。
一体、どのくらいの確率だったんだろう?


ある時、友達の紹介でエステに行ったら、
お店の人になぜだか熱烈に合気道を勧められたこと。

その頃、たまたま読んでた本にも合気道のことが書かれていたこと。

なんとなく合気道を始めたいな、と思っていたら、
わずかの間に上司だった方が合気道をしていたこと。

その上司が今の道場を紹介してくれたこと。

上司も、師範も、そこにいる多くの道場生も、私も、同じ大学だったこと。

あの時、たまたま読んでた本を書いた人が、師範の弟子だったこと。

道場と、師範のお住まいがうちからびっくりするほど近かったこと。

私は小さい頃からずっとお寺が近くにある環境で育っていて、
とても親しみがあるのですが、道場がお寺の中にあったこと。

道場に初めて来た日、なぜだか懐かしかったこと。

道場生の人の多くが、なぜだかどうも、最初から初めて会った気がしなかったこと。

道場で師範を前にすると、なぜだかいつも、泣きたいような嬉しいような不思議な気持ちになること。



・・・一体、どのくらいの確率で、
私はあの場所にたどり着いたのだろう?

「縁」という言葉でしか表すことのできない、
奇跡のような出会い。

ちょっとここには書けないような、
もっと面白い偶然も他にもたくさんあるのですが。笑


そしてまた、先生への思いももちろんですが、
普段教えてくださっている先輩方の顔も浮かんできました。
最初はとっつきづらくて泣きそうで、でも少しずつ少しずつ、
気づけばふつうに世間話できるようになっていたこと。

私に上手くなってほしいと、望んでくれる人がいること。




なんだ、私。

まだここにいたい。
一緒にいたいんだ。

あの場所が、好きなんだ。
まるで家のように、大切な場所。


すごいシンプルな、当たり前みたいな、
単純な気持ち。でもそれが本当の気持ち。
気づいたら、肩の力が抜けて、胸があったかいような、
ようやく自分の中心に戻ってきたかのような感じがしました。



まあー、部屋も狭いし、引っ越したい気持ちはやまやまなのですが。笑
いずれ自然に次の場所へと呼ばれる日がくることを信じて、
もうちょっとここにいてみようかな。

本当の気持ちに気づけたのは、自分一人の力ではなくて、
ちょうどその頃にカードリーディングなどをしていただいて、
笑っちゃうくらい何度も同じような結果が出たのもあったのですが。
何でも自分の方法でやりたがって、うまくいかないことがあると、全てを放り投げて台無しにしようとするくせがある。そうです。。


どうやらまだ、私はここで、やらないといけない宿題があるみたい。



引き続き、お世話になりまする。






*私がとりわけ好きな、先生のお言葉*

「たとえ目の前に敵がいても、心の中には敵がいない状態をつくるんだ。」

「武道では、対象にとらわれることを隙という。
 だからって、隙がないというのは常に力んでいろということじゃない。
 透明な明るい気持ちで生きる、ということだ。」



2014年8月16日土曜日

飛行機が飛ばない日。〜その3〜




はからずも3部作となってしまった石垣島の台風シリーズ。
今回でフィナーレです。(前回のお話は こちら からどうぞ。) 


<ここまでのダイジェスト>
石垣での素晴らしい旅も終わりに近づき、
夜の便で東京へ帰ろうとしていたところへ忍び寄る台風の影。
飛行機会社のサイトを見ると情け容赦ない「運航検討中」の文字・・・
とにかく一度空港へと向かった我々を待っていたのは、カウンター前に並ぶ長蛇の列だった。
果たして飛行機は飛ぶのか?!どうなる、タネビバ一行!!



・・・まあ、そんなわけで、
とにかく状況を見ようと空港へ着いたはいいものの、
当然みんな同じようなことを考えるわけで、めっちゃ並んでたんですね。


一緒に旅行していたメンバーで、その日に帰る予定だったのは私の他に2人。
その2人はスカイマークだったので、便の変更もできず、とにかく飛ぶのを信じるしかないという状況に。
私は諸々の事情により、たまたまリッチにANAなんてとってたものだから、逆に迷う羽目に。。


その時、私に残された選択肢は二つでした。

1.一人でここに残って、とにかくこの長蛇の列に並ぶ。
2.飛ぶのを信じてみんなと一旦宿に戻る。


頭ではぐるぐるといろんな考えが巡っていました。
並んでもどうなるわけでもないけれど、もしかしたら便の変更ができるかも。
新しい情報が得られるかもしれないし。でも・・・。


この旅の主催者で、空港まで送ってくれたこーちゃんが心配そうに言ってくれました。


「どうする・・・?」



わかっていました。

今までの自分なら、たぶん1.の方を選ぶはず。
意味ないかもとわかっていても、可能性が少しでもあるならそうしたい。
それが、今までずっと通してきた自分のやり方でした。

でも、どこか、ぎりぎりのところで何かが、そうさせないようにしていました。

その時、私には聞こえていたのです。


心の奥から響いてくるかすかな声・・・
その声は小さく、でも確かに力強く、こう言っていました。



私、一人でここにいたくない。みんなといたい。
 あの家に戻って、みんなで一緒に朝ご飯食べたい。



いやいやいや、状況分かってんの、
そんな能天気なこと言ってる場合じゃないでしょうと、
頭では考えながらも、気づくと私は口を開けていて、



「 ・・・並ぶの、やめます!みんなと、戻ります!」


そう答えていました。


「うん。もう、今できることはやったと思うよ。全部やった上で手放すんだから、俺はその選択ありやと思うよ」


あの時こーちゃんが言ってくれたこと、嬉しかったなあ。



いえーい!
手放すぜ!委ねるぜ!
たとえ飛ばなくたって恐くないぜ!!


なんだかもう、みんな笑っちゃって、
両手を上げて喜びながら、車に戻りました。
実を言えば私はまだまだ超恐かったけれども(笑)、
とにかくみんなで宿へと戻ることに決めました。


すると、その瞬間、
台風が近づき荒れていた石垣の空がふっと晴れて、





だーーーー!!!


写真だと少しわかりづらいかもしれませんが、
はっきりと、車の窓越しに、虹が弧を描いていました。

まるでこの選択を、神様が祝福してくれているみたい。
そうとしか思えない、とさえ思いました。

あの時、意固地になって一人で空港に残っていたら、
決して見ることのできなかった景色でした。
一つひとつのちょっとした選択で、ほんとに運命なんて変わるんですよね。




・・・その後。

結局どうなったかと言うと・・・


私たちは石垣白保エリアで人気の「ばんちゃん」で超ハイパー美味しい朝ご飯を食べ、
観光はあきらめて宿の中でだらだらして、
何十年ぶりかに人生ゲームをやって腹の底から笑い、
近所の定食屋さんでこれまたハイパー美味な沖縄そばを食べ、
また宿に戻って語らい、
なんやかんやで、そんなこんなで、
飛行機は飛びました!


そうなんです、「飛ばない日」とかってタイトル付けてみたけど、
結局30分遅れくらいで無事に飛んだのでした〜。ちゃんちゃん。。



それにしても、あの「飛行機飛ばなかったらどうしよう」という恐怖感。

そこから見つけた自分の中のいらない執着。
とにかく手放してみたときの爽快感と、虹。
朝ご飯の後のだらだら感と人生ゲームの大爆笑。
中学の頃に友達の家に遊びに行って、でも特にやることはない、みたいなあの空気感。
見たこともない高さの波にびっくりして、みんなで雄叫びをあげる感じ。
人と一緒にいるって、一緒に生きてるっていいもんだなあ、と思った。


何から何までがプレゼントでした。
あの特別な一日のことを、私はきっと忘れないでしょう。


終わりよければすべてよし。
あんな旅はなかなかできるものではないけれど、
また呼ばれる日がくるのを信じて、楽しみに待ちたいと思います。



すべてにありがとうの気持ち。







2014年8月8日金曜日

飛行機が飛ばない日。〜その2〜




いよいよ石垣島の旅シリーズ最終章。
前回の日記 のつづきです。


7月7日、旅の最終日の朝のことでした・・・

かすかに人の声がして、目が覚めました。
寝ぼけた頭のまま、なんとなく気配に耳を澄ましていると、
みさちゃんが部屋に戻ってきて状況を教えてくれました。


台風の影響で、石垣から西表へ行くのはほぼ不可能になったこと。

明日の石垣発の飛行機は全便欠航が確定したということ。

そして、今日の午後以降の便は、全て出発見合わせ中、とのこと。。



・・・工エエェェ(´д`)ェェ?


だ、だって、台風が来るのは明日じゃん!!
今日の内ならまだ大丈夫なはずじゃん!!!


・・・まじ?


段々と、時間が経つにつれ、私は事の重大性に気づきはじめました。
私が乗るはずだったのは、その日の夜19時の飛行機。
何回ネットで更新ボタンを押してみても、
表示されるのは「運航検討中」の赤い文字・・・。

便の変更をしようにも、既に羽田行きの午前中の便は満席。
たとえ石垣から那覇に行けたとしても、那覇から羽田の便が欠航するかも。
もし今日の内に帰れなかったら、明日は全便欠航。

つまり、最悪の場合、
東京に帰れるのは明後日、そして職場に行けるのは明々後日・・・!
ヽ(ヽ゚ロ゚)ヒイィィィ!


何がまずいって、実は私、7月1日付で部署異動してまして、
まだ新しい部署に来て3日しか働いていない。
かなり無理やり休みをとって石垣に来ていて、旅の翌日には出勤する予定でした。
初めての来客の約束もあるし・・・
なんとしても絶対に、明日は職場に行かなくてはならない!!


そう思うと血の気がスーーッ、と引いていくのを感じました。
帰れなかったらどうしよう、と思ったら恐くて恐くて、
いつの間にか顔も姿勢もこわばっていました。


 
・・・ふと、周りを見ると、
同じく夜の便で石垣を出るはずの人が、なんか普通・・・。

むしろニコニコしてる。笑
肩の力も抜けてる。

「だってしゃーないやん、飛ばない時は飛ばんもん」

関西弁が適当ですが・・・
あっさりそんな風に言って、どこまでも自然だった。
(私の人生にたまに現れる関西人は、なんでこういう感じなんだろう笑。ひとくくりにしたいわけじゃないんだけど、ひさびさに思い出しました。)

彼のそんな姿に、少しだけ私も力が抜けて、
というか、それまでいかに自分がガチガチになってたかに気づかされました。



一体、私は何をそんなに恐がってるんだろ?
何を恐れてるんだろう?


昨日の夜、みさちゃんに言い放った自分の言葉がよみがえります。



「私たち、他人の期待を満たすために生きてるわけじゃないからさ。」




そう、本当はこれは、自分に言われた言葉だった。
別にちょっとくらい仕事休んだって死ぬわけじゃないけど、ないのに・・・

こんなに恐いのは、信用を失うと思うから。

もっとシンプルに言ったら、嫌われたくないから。



信頼されたい。好かれていたい。
いつも他人の期待に応えられる自分でいたい・・・。



そんな望みを持ってる自分の姿をかいま見てしまった、朝でした。
多かれ少なかれ、みんなそんな望みは持ってると思うけれど。

でもね、これあんまり大事にしすぎると、
どんどん恐い顔になって、肩こるんですよ。



その後、いくら見てもネットの情報は何も更新されないし、
電話をかけても全く繋がる気配もないし、
とにかく一度、空港に行ってみよう、という話になりました。

慌てて荷物をまとめて、宿のみんなに簡単に挨拶を済ませ、
まだドキドキしながらも、ひとまず一路空港へ。


空港に着いたわれわれを待っていたのは、
カウンターの前に並んだ長蛇の列でした・・・。


こ、これ並ぶの?どうしよう。


もったいぶるわけではないのですが(笑)、
長くなってしまったので、またもやつづく!



2014年8月1日金曜日

飛行機が飛ばない日。





何度かに分けて書いてきた石垣島の旅シリーズ、
今回で最後です。


おりしも、石垣での旅が終わりに近づこうとしていた頃・・・


史上稀に見る勢力の台風8号、沖縄に急接近 キタ━(゚∀゚)━!

そう、この旅のエンディングは、けっこう波乱含みだったのです。。



それは2日間のワークショップ終了後の夜のことでした。


翌日、西表島でオプションツアーを実施する予定だった 主催者のみさちゃん
その頃、台風直撃の情報はかなり現実味を帯びはじめ、石垣から西表に行く船も出るかどうか怪しい状況に。
行くのを諦めるかどうか、決断の時が近づいていました。

仮に西表への船が出たとして、帰ってこれる保証はない。
状況としてはかなり危うい。
けれど西表の知り合いには行くと伝えてあって、わざわざ予定を押さえてもらってる。
参加者の中には西表に行くのを楽しみにしている人もいる。
今さら行けないなんて、言えない・・・。


そう悩む彼女を傍目に、
もともと次の日に西表には行かずに東京へ帰ろうとしていた私は、のん気に帰り支度を進めていました。

そして、悩み続ける彼女に、
私はふと、ついサラッと、こんな言葉を放ったのでした。



「行きたい気持ちが本当に強いのならいいけれど・・・
 行きたくない気持ちが少しでもあるなら、無理に行かなくてもいいんじゃない?

 私たち、他人の期待を満たすために生きてるわけじゃないからさ。

 いくら知り合いの人に申し訳なくても、
 自分がこうしたいと思う気持ちに従っていいんじゃない?」



・・・そうです。
昔からの、悪いくせが出ました。

私は思ってることをズバッと言って、言い過ぎて、
たまに人の心に言葉を突き刺してしまうことが。。
(しかも自分ではそれがどんなにズバッ、なのか自覚してない)


他人のことを自分事として考える、
優しさや労りがきっと足りてなかったんだと思います。


きっと、あの夜の一瞬間・・・

石垣の島に住むスピリットたちは、息をひそめながら、私たちの会話を聞いていたに違いない。と、後々思いました。

私はその時、まったく気がついていなかったのです。

この時、私が放ったこの言葉が、まるでブーメランのように、
翌朝の自分に容赦なく襲いかかってくることになろうとは。。



最後って言ったけど、長くなったので(笑)

つづく!