2013年11月18日月曜日

お湯のはなし



知人のご紹介で、普段は仙台で活躍されている「メイク&ライフプロデューサー」、
「美塾」講師の丹野拓子さんによる「本当の魅力を引き出すメイク講座」に参加してきました。

なんのこっちゃ、と思われるかもしれませんが、
そう、文字どおり、わたしが参加したのはメイクの講座です。
でも・・・


本当の自分を知ること。
ありのままの自分を、もっともっとたくさん愛してあげること。


教わったのはそういうことで、メイクは手段なんだと知りました。

誰でも必ずその人にしかない美しさを持っていることに気づいて、
自分でも知らなかった自分を発見。わたし的には歴史上の大発見。
「なんだ、そんなとこにいたの?!」って感じです。

誰にも気づかれずに、わたしにさえ気づかれずに、ずっと隠れていたの?
もうこそこそしなくても大丈夫だよ。出てきても大丈夫だよ・・・
と、鏡の中の自分に言ってあげたい気持ち。


実はわたし、自分の顔に自信がなくて、30代に入ったらシワも気になるしで、
一、二年ほど前からいつしか鏡を見るのが苦痛でした。
それはもう、鏡を見るとき無意識に片目をつぶってしまって(よく見たくないから)、
その片目が痙攣してしまうほど・・・。
情けなくて他人には言えなかったんですが。

講座の場で思いきってそれをカミングアウトしてみたところ、
予想外の反応が他の参加者の方々から続々と。。

特にびっくりしたのは、
「笑ったときに思いきりクシャっとなる、そのシワが素敵なのに!」
と面と向かって言われたこと。

自分にとってのコンプレックスは、他人から見て魅力と映っていることが多い(by丹野さん)ということを実感しました。

その後、講座で「自分に似合うメイク」(しかも簡単)を教えていただいた結果・・・
終わった時には、本当に見たことのない自分が鏡の中にいました。
見たことないんだけど、昔から知っていたような気もする不思議。
本当に、「なんだそこにいたの?!」という感じなんです。

で、それがまあ、素敵なんです(笑)
今までずっと、他人と自分を比べて
「あの人の持っているものがわたしにはない」
「これもない」「あれもない」
「ない。ない。だからわたしはダメなんだ」
って思ってきたけれど・・・
そう思うのは当たり前だった。
だってそういう時って必ず、自分以外の誰かになろうとしてたから。
鏡をこの手に持って、両目でしっかりと自分の顔を見たら、
最初からそんな必要はなかったんだとようやく気づきました。


新しい自分になるんじゃなくて、本来の自分に戻ること。
丹野さんから教わったのは、メイクの本当の意味でした。

恐るべし、メイク!


◆◇◆◇◆


ありのままの自分を愛するって、それが大事だとはよく言いますけど、難しい。
言ってみれば、歯をくいしばって努力して、
「よし、自分を愛すぞ。愛さなきゃ、いけないんだ!」
って必死に挑まないといけないこと。
・・・だと思ってたんです。これまでの長い間、ずっと。

でも、きっともっとずっと単純なこと。
芯から楽で、気持ちいいこと。

ここらへん、言葉で説明するのは大変難しいのですが、
わたしの感覚としては「お湯」なんです。

寒いところから帰ってきて湯船につかると、ふわぁ〜ってしますよね。
心も身体もほっとして、あぁ〜って声が出て、楽ち〜んな気分になる。

ありのままの自分を愛せてるときって、
実はそういう感じなんじゃないかと最近思ったんです。

寒いから、あったかいお湯にざぶーんと浸かる。
そのくらいシンプルなこと。
そして自分でできる(自分にしかできない)こと。

考えてみれば、他人にお湯に入れてもらうのを期待したり、期待を裏切られて「なんで入れてくれないの?!」って怒ったり、「私はお湯に入れてもらう資格なんてないんだ…!」って泣いたりする必要なんて全然なくて、ただ自分で入ればいいだけですよね?

ごちゃごちゃ言ってないで、震えてないで、
早く目の前のあったかいお湯に浸かればいいのに(笑)
ほんとはそのお湯は、いつでも私たち一人ひとりに用意されているのに。

お湯にたとえると馬鹿ばかしく思われるかもしれないですが、
案外こういうことを、いつも私たちはやってるんじゃないかな?

そういうことが、ようやく体感としてわかってきました。
大事なことはいつも拍子抜けするくらい簡単なことだったと。


まー道のりは長くて。
偉そうに書いてみたけど、自分を癒すには、まだまだゆっくりお湯に浸かる必要がありそう。
なにせ長年かけて凍えちゃってるもんで。

でも、ゆくゆくはわたしも、周りの人にそういう温かさを与える人になりたい。
強くそう思って、思ったことでまた、身体中があったかくなるのを感じました。




かくれんぼをすると、
小さな子は、見つかった瞬間、驚喜します。
あなたもあなたを早く見つけるといい。
ああ、こんなところにいたの、なんて。

伊藤守『ご機嫌の法則100』ディスカバー21より。


2013年11月2日土曜日

軽やかな人




以前に同じ部署で働いていた同僚の一人に、
 「人の心を軽くする天才」がいました。
人の、というより、私の、と言った方がより正確ですが。

背が高くて、ボーイッシュに切られた短い髪。
利発そうな眉毛に愛嬌のある大きい瞳。
一言えば十を知るような要領の良さで、仕事もできる。
なのにいかんせん、本人がなんか常にヘラヘラしてて(笑)
仕事できるオーラも全然出さないし、
色気もわざと無いふりしてるのか?ってくらい出さないし(笑)
男女に限らずみんな実は彼女のことが大好きなのですが、
面と向かってはちょっと言いづらい、そんな人なのです。

怒ったり笑ったりよくしているけれど、
なんとなくサラっとしていて、一緒にいると深刻になれない。

彼女の同居しているおばあちゃんが呆けている、という話が私は大好きで、
(そんなこと言ったらよくないのかもしれないけど)
違う人が話せば悲劇になるような話を、
心底おかしそうに話すので彼女から聞くと喜劇なんですよね。

急いで作らないといけない資料にまみれて、
問い合わせの電話がばんばんかかってきて、
会議は明日!残業決定!なんていう時でも、
彼女と顔を見合わせて「し、死ぬ!!」とか言ってると妙に元気が出て、
まあ何とかなるだろう…と思ってしまうのでした。


私は何かあるとすぐ深刻になりがち。
「こうなったらどうしよう」「ああなったらどうしよう」
いつも心配事ばかりで、自分をしんどくさせることに長い時間を使ってきました。

楽しく生きてはいけない、
幸せになってはいけない…

実は、そんな信念をずっと長いこと抱えていました。
最近ようやく気づいて、手放そうと思えるようになったのですが。

まあ、自覚していないだけで、結構この手の厄介な信念(罪悪感と言い換えてもよいけれど)を持っている人は多いのではないか、と私は見ています。
ともかく、おそらく、彼女には幸いなことにこの種の信念が一切ないようで。

楽で、いい!
人生は楽しむべきもの!

代わりにこんな素敵な信念を持っているように私には見えました。



いつだったか、私が好きなバンドのライブのチケットがどうしても取れなくて、
いっそのこと地方まで行ってしまおうか…と迷っていたことがありました。
唯一チケットが取れそうな会場が、福岡県!

そこで私は大変悩みました。
いくら好きだからって、ライブのために福岡まで行くなんて、正気なのか?

お金も時間もかかる。
でもそれより何より、一番ネックになっていたのは、
「ただの楽しみのためにそこまでしていいのか?」
ということでした。

だって、「楽しく生きてはいけない」「幸せになってはいけない」という信念が心の底にあるわけですよ。
その時はそんなことには気づいていなかったけれど、
私は自分の信念に思いっきり反することをしようとしていたわけです。
でもきっと、それはチャンスでもあったわけです。
ずっと頑なに守ってきた、けれど本当は要らないものを捨てるためのチャンス。

それで、彼女に恐る恐る聞いてみた…。
たぶん、何か期待していたんでしょう。


「あの…。ものすごく好きなバンドがいるとして、ですね?
そのバンドのライブのために、どこまでなら行けます…?」

すると彼女はきょとん、として、
でもほとんど間髪を入れずに、

「え、韓国」

と。

そうだ、韓流ファンだった(笑)

なんかおかしくて、お互いおかしくて、
二人でひとしきり笑いました。
福岡のほうが韓国よりちょっと近いじゃん!って言って。
本当に、韓流スター(何回聞いても名前が覚えられない)のためなら彼女はどこにでもついて行ってるようで、私なんてその点足元にも及ばないのでした。

とにかく一事が万事、こんな調子で、
彼女の近くにいると、いつも気が軽くなった。
心が楽な状態で、それが普通なんだなと思えた。

初めての海外出張の前日、
実は不安で泣きそうになってた私に

「大丈夫、○○さん(私の名前)ならできるよ!」

と言ってくれた。
言い方がおかしくて思わず笑ったけど、
ほんとはものすごい嬉しかったし、今でもこの言葉がたまに私を救ってくれます。


そんな彼女に、つい先日久しぶりに会いました。

実は最近ちょっとだけ無茶なことをして、
楽しんだはいいんだけれど何やってんだろ私、
と思っていたことがあったのですが、
そんな私にやはり彼女は

「何も間違ってない!!」

と言ってくれました(笑)
本当に、私の心を軽くする天才だなー、と、
決して本人には言わないけれど、いつも思ってます。


『誰かと出会うたびに、人生をよりよくするチャンスがある。』 

どこで読んだのだったか忘れてしまったのですが、
誰かがそんなことを言っていました。
なんだかこの言葉を思い出すのです。