2014年9月25日木曜日

You don't have to worry.






今からさかのぼること、数ヶ月前のお話です。


もろもろの事情で、久しぶりに自分の職場に戻ってきました。
一年ほど不在の期間があったとはいえ、元々いた場所なので、
2日目には環境に慣れ、3日目には状況に慣れ、
1週間経つ頃にはすっかり何もかもが元どおり。


たったひとつだけ違ったのは、
これまで経験したことがないほどに、
心底この仕事が嫌になっていたこと・・・笑


とにかく、今の自分の興味関心と1ミリも合わない。

追いうちをかけるように繁忙期。
細かい問い合わせの電話に数字、数字、数字の山。
むしろどうして今まで何も思わなかったんだと呆れるくらい、
何もかもが色あせて見えました。
お昼時、自分の席からわずかに見える、青い空だけが心の慰めでした。


まずい、
と思いました。


とにかくここから出ないと。
このままじゃ私、だめになる。


こうなったら・・・やるしかない。


定期異動の時期は3ヵ月後。
ここから抜け出すために、できることは全部やってみよう、と思いました。


とは言っても、
実際にやったのは、とてもシンプルなこと。


今いる場所でベストを尽くす

ということと、

行きたい方向に意識を向ける
(行きたくない方向ではなくて)

ということ、ただそれだけでした。



具体的には。


・頼まれた仕事は文句を思いつく前に速攻やる。

・頼まれてない仕事もできることからとにかくやる。

・「異動したい」雰囲気を出さない。

・愚痴は言わない。言わないだけじゃなくて思わない。

・毎朝晩、同僚と上司に感謝して、部署の発展と幸せを徹底的に祈る。
 「この部署に関わる人すべてが幸せでありますように・・・!」とか。

・どうしても嫌になってきたら、人のいないところに行って深呼吸。

・次に行きたい部署を決めて、自分が働いているところを思い描く。
 座っている椅子、話している相手、着ている服まで・・・丁寧に。

・行きたい部署の人と一緒にランチに行って、どんな仕事をしているのか聞く。
 いつか一緒に働きたい意志も伝えておく。

・行きたい部署の上司を見かけたら、「よろしくお願いします!」
 と心の中で言っておく。



もちろん綺麗事ばかりではなくて、
イライラしたり、悔しくなったり、
望みが叶わなかったらどうしよう、
と絶望的になったりも何度となくしました。


それでもとにかく、今、自分がここにいる意味がきっとあるはず。
私がここで与えられるものが絶対にあるはず。
与えて、与えきって一番いいタイミングで去るんだ、
とそればかりを思っていました。




そして、ついに異動発表の日がきたのです・・・



なんと、その日に限って用事ができ、休んでしまった私・・・(;´Д`)




もし異動することとなれば、
休みであっても誰かから連絡がくるはずでした。
どきどきしながら待って・・・待てども待てども、連絡はなくて。。


とうとう夜になっても音沙汰がなくて、
私は心底ガッカリしました。


ああ、またあの部署で同じ一年を繰り返すんだ。
少しは頑張ったつもりだったけど、思いは届かなかったんだ。
もう・・・、もういいか・・・。
こんなに願って叶わなかったんだから、きっとまだ、ここで学ぶべきことがあるのだろう。



頭ではわかっていたものの、どうしても諦めがつかず、
ガッカリしたまんまお布団に入り、眠りに入る寸前に、
強く強く、こう思いました。



やっぱり嫌だ!!どうしても!!」(笑)


「あの場所が嫌なわけじゃなくて、新しい所へ行きたいんです。
 私、変わりたいんです。
 まだあそこにいる意味があるというのなら、頑張ります。
 でも、もう辞めたっていい。
 そうだ、きちんど目処をつけて、辞めよう。
 そのくらいの覚悟で明日から働きます!!」


と。。半ばやけっぱちでしたが・・・
思いの強さで部屋の電気がついちゃうんじゃないかってくらい、
心の底から本当に望みました。



職場につくなり上司に呼ばれ、
異動を言い渡されたのは、その翌朝のことでした。

(単に発表が一日延期になっていたのでした。。)


しかも、なんとなんと・・・
本当に、思い描いていたままの希望部署への配属。


ルール遵守の名の下に、いかに正確な書類をつくるかの世界から、
たくさんの人と触れ合い、新たな道へのサポートをするような世界へ。


関わる人も環境も、何もかもが変わりました。

そして何もかもがスムーズです。
もともと興味があって自分でとろうかと考えていた資格も、
今の部署からは「むしろ早くとって」と言われ、
受講費用を援助していただけることに。
こんなことが本当にあるものなんだな、と思いました。



そもそも天の采配を、その完璧さを、
初めからもっと信じていられれば、
あんなに不安になったり落ち込んだりしなくてもよかったのですが・・・
それも含めて、とっても大事な経験となりました。




この地球では、本当に望んだことがいつも叶う。



だから、
起きてほしくない嫌なことではなくて、
起きてほしい嬉しいことをちゃんと望もう。


この宇宙では、起きるべきことは必ず起きて、
起きないことは絶対に起きない。

そして何かが起きた時には必ず、意味があるし、
意味しかないし、全てはよい方向へ向かってる。


だから心配しないで。


いつも心に安心を。人には愛を。


大丈夫。

あなたは自分で思うよりずっと、守られている。


肩の力を抜いて、もっとこの世界を遊ぼう。



うまく言えないけれど、
忘れてしまうこともあるけれど・・・
あのとっておきの3ヶ月でわたしが教わったのは、そんなことでした。





*ちなみに今回の話は、以前の記事(「自分が変える。」)の後日談だったりします。




2014年9月20日土曜日

大事にしなくてもいいもの。






自分の生き方で 自分を生きて
 多くの間違いを 繰り返してきた



小田和正の歌にこんな歌詞があるのですが、
ほんとに、そうだよなあ・・・
と、思うことの多い今日この頃です。


前にある人に言われたのですが、


今の自分は、
今までの自分のやり方によってできている。


で、


その今の自分は、特に大成功はしてない。

それなりに幸せかもしれないけれど、
めちゃめちゃウルトラ超ハッピー!!☆ではない。
なんとなく、満足はしてない。


もちろん、それなりの幸せでいいならそのままで全然問題はない。
別に誰かに強制されることでもないし。
でも、もしも、もっと幸せになることを自分で望むのなら・・・
(そして、本当は、いくらでもどれだけでも望んでいいのだけれど・・・)


やり方変えないとだよね。

だって今までのやり方でやってきて、そうなってないんだから。
変えないかぎり、ずっとそのままだよ。
変えればいいんだよ。


と。。
この言葉、ずっと胸に刺さってます。


*****


いつもふとした時に、
自分のやり方にこだわっている自分を見つけます。

それは本当にささいなこと。ちょっとしたこと。

仕事の資料を作っている時や、
教習所で運転している時、
家の掃除をしている時、
運動している時・・・


例えばほんのわずかにタイミングがずれて、
人に指摘されたり、上手くいかなかったりすると、
途端にその自分が顔を出します。


うるさい、うるさい!


だって、このやり方がいいって昔教わったもの!


私はこのやり方でやりたいんだから、放っておいてよ!


間違ってもいいから、私は自分のやり方でやりたいの!!ヽ(`Д´メ)ノ 」


・・・って。

経験上、このパターンにはまると、
何一つとしていいことが起きたためしがありません。笑

大体ほんとに間違って、イライラして、
落ち着いてから反省して、元通り(のつもり)。


思い返すと、もうね、ほんとに恥ずかしいですよ。


学生時代にスキーやってた時に、
早くパラレル(板を平行にする滑り方)慣れたほうがいい、
って先輩に何度も言われてるのに、

「いや、まずは基礎でしょ!(・`ω・)」

とか言って一人でえんえんとボーゲン(八の字のやつ)の練習し続けて、
周りから呆れられたっけなあ。。笑
(結局なかなか上達しなかった・・・)



一つひとつはくだらないけれど、
その繰り返しが人生をつくります。



最近、またこの自分のパターンにはまりかけて、
そこでふと、思いました。


うーん。たしかにこの感じ、慣れてるし楽なんだけど・・・
本当にこのままでいいのかな?


答えはすぐに返ってきました。


いいわけがない。
ええわけがあるもんか、と。


一応ね、自分のやり方にこだわると、いいこともあるんです。


うまくいかない時は、自分を可哀想に思える。
いつも不機嫌でい続けるための理由にできる。
自分にそのやり方を教えた人への腹いせになる。
失敗を誰か(あるいは神様!)のせいにできる。



・・・いやいや、やっぱり、いいわけがない!笑



もっとうまくいく方法があるはず。
もっと楽に、簡単にできる方法があるはず。
私はその方法を選んでもいいはず。選べるはず。


なんとなく、そんなことを思うようになりました。


何かを自分よりうまくできてる人がいたら、
どんどん真似してみよう。
人のアドバイスを臆面もなく聞いてみよう。
誘われたら乗ってみよう。
いつもの自分ならやらないようなこと、
さくっとやってみちゃおう。



とりあえず昨日、ランチに入ったお店で、
いつもなら自分では絶対に頼まないであろうアイスティーを注文してみました。
(セットでついてくるようなアイスティーって、あんまり美味しいのに当たったことがないし、私はコーヒー好きなので・・・)


なんとこれがまあ、
グラスが置かれた時からリーフの香り立つようなアイスティーで、
めちゃめちゃ美味しかったという。。笑


なんかこう、無理やり努力して変える!!ってことじゃなく、
本当に小さいことからだと思うんですよね。


もちろん、自分を愛することはとても大事だけれど。
自分のやり方は、そんなに大事にしなくてもいいのかも。





がんばっても がんばっても うまくいかない
でも 気づかないところで 誰かがきっと見てる

小田和正「東京の空」より。




2014年9月7日日曜日

箱の中にあったもの。





子どもの頃に好きだった絵本の一つに、「パンドラの箱」という話があります。

有名なギリシア神話なので知っている人も多いと思いますが、
一応、あらすじ。。


◇◆◇◆◇◆◇


昔々、世界には、豊かな楽園が果てしなく広がっていました。

住んでいるのは子どもたちだけ。
楽園には甘い果実が実り、食べたいものは好きなだけ、
欲しいものはいくらでも、いつでも手に入れることができました。

そのため、子どもたちは働くこともなく、お金を持つこともなく、
みんな仲良く楽しく、幸せに暮らしていました。

その中に、エピメテウスとプロメテウスという兄弟がいました。
ある日、二人のもとにパンドラという名の少女が訪ねてきます。

一目でパンドラの美しさに心奪われたエピメテウス。
弟プロメテウスから「決して開けてはいけない」と言われていた箱を、
パンドラの誘惑により、弟の留守のすきについつい開けてしまいます。

箱の中から出てきたのは・・・


「疫病」「悲嘆」「欠乏」「苦痛」「嫉妬」「飢餓」「恐怖」「疑惑」・・・


その他、ありとあらゆる災厄でした。

エピメテウスは慌てて箱のふたを閉めましたが、時すでに遅し。

化け物の姿をした災厄たちは一瞬のうちに外へと飛び出して、
みるみるうちに楽園の空を厚く覆いました。
人々はたちまち憎しみ、疑い、争い、諍い、苦しむようになりました。



途方にくれたエピメテウスとパンドラが箱の前で泣いていると、
箱の中からかすかに声が聞こえます。



「ねえ・・・お願い、開けて・・・」



2人はまた新たな災厄が出てくるのではと疑い、応じません。
けれどその声はとても優しく、柔らかに、


「お願い・・・どうか私をここから出して。」


と訴え続けます。

ついにエピメテウスは、その声のままに箱のふたを開けました。
すると、現れたのは・・・


幾重もの明るい光の衣を身にまとった、
女性のような、精霊のような、とても美しい存在でした。



「あなたは・・・?」


エピメテウスが尋ねると、
彼女はゆっくりと口を開いて、



「私は、希望。」




希望が箱から出ていくと、人々は争いの手をふと止めました。




・・・それから。


災厄に満ちた楽園は、楽園ではなくなりました。
子どもたちは、もう子どものままではいられなくなりました。
食べ物を手に入れるため、自分たちで働かなくてはなりません。

けれど、手に手を取りあって働く、その顔には笑みがあります。
明日はきっと、いい一日になるだろう。と、彼らは思います。
たとえもう、元の世界には戻れなくても。


人には、いつでも希望が残されているから。



◆◇◆◇◆◇◆


・・・パンドラの箱は、
あまりに有名すぎていろんな説があり、解釈もさまざまです。


本当は、希望すらも「災厄」であるという説もあって、
希望があるせいで、人は永遠に無駄な望みを捨てきれない・・・
なんていう解釈も(!)あるそうです。

このあらすじは、昔読んだ絵本を思い出して書いてみたのですが、
私はこの終わり方が好きです。


やっぱり、希望がないとね。


たとえ身ぐるみはがされて、持ってるものを全てなくしても、
どんなにひどいことが起きても、未来が見えてこなくても。


心の奥底に閉まった箱の中に、必ず希望が残ってる。


そんな解釈もありだよなーと思っていたら、
いつも通る道に、こんな看板がありました。

反射しててちょっと見えにくいですが・・・
まるで希望の光が射しているかのよう。笑




期待は裏切られるけれど、
希望は裏切ることがない。
そんな気もします。


箱にしまったままの希望があったら、出してあげてもいいかもしれません。^^





希望がないと不便だよな マンガみたいに
日々の嫉み とどのつまり 僕が笑えば解決することばかりさ

星野源 「くだらないの中に」の歌詞より。