2014年5月31日土曜日

Be a driver.




東京に一人暮らししていたら、全く必要ないから。
という理由を盾にして、
この30余年、運転免許をとらずに生きてきました。

正確に言えば、昔、若気の至りでバイク(小型限定)の免許とったけど、
とってから一度も乗っていないという・・・(ほんとに若気の至り・・・)


前からなんとなく、そういう自分にどこか、居心地の悪さを感じていました。

大げさかもしれないけれど、
免許を持たないことで、どっか、何かから逃げてるような気がしてたんですね。


そう、思えば・・・


私は昔から助手席に乗るのすらあまり好きじゃなくて、
後部座席に座って、両親が何かやりとりしてるのを感じながら、
窓の外の景色を眺めてぼーっとしてるのが好きな子供でした。

行き先はおまかせ。行き方もおまかせ。
私には何の責任もなくて、寝たい時に寝ていてよくて、
ただ安全なシートに座って、全然関係ないことを考えてる。
関わっているようで、関わってない。
そこにいるけど、参加していない、という感じ。


子供時代の話だっただけなら、いいのだけれど。

どうやら、私のこのスタンスは、人生における基本的な態度になっちゃったみたいなんですね。

いつだったか、わりと仲のよかった上司(女性)と部署の問題について話していた時、

「なに他人事みたいな言い方してんのよ。あんたも当事者でしょう!」

と言われたことがあるのですが、まあ冗談ぽくだったんだけれども、
そう言われた時、内心めちゃくちゃ焦ったんですね。
「やばい!バレた!!」と。笑

いるようでいない。参加してない。
何の責任もとりたくない。リーダーになんてなりたくない。


そういう自分の態度が・・・

性格でもなく、まして個性でもなく、
単なる甘えで逃げだったと、ここのところ気づきました。

そして自然と思った。
ああ、免許とろう、と。


それで、すぐに教習所に資料を請求したのですが、
今月中ならかなりお得な割引キャンペーンの対象になることがわかり、
さっそく申込に行って、そのまま適性検査まで受けてきました。

思い立ってから、この間3日くらい。。

水瓶座の時代はスピードが命、というのは本当のようです。
皆さんも、思い立ったことは遅くとも48時間以内に行動を起こしましょうね。
「えー、でも、ちょっと検討してから・・・」とか言ってると、経験を逃します。
そういう時代です。


 教習所の壁には
「助手席から卒業しよう。」という貼り紙。

今まで助手席にすら座ろうとしてこなかった私も、いよいよ運転デビューです。
自分の人生のハンドルを握るのは、いつだって自分なんですよね。



2014年5月21日水曜日

簡単に手に入れて大丈夫。






「私、なんとなく、自分は幸せになれない気がするの・・・。」


ここ一、二年の間に知り合った方には驚かれるかもしれませんが、
私、特に20代の頃はネガティブ街道をまっしぐらに疾走しておりまして、
これは実際に自分が口にした言葉です。。

おー、こわ。。

言葉がどれだけ現実に影響を及ぼすか知ってしまったら、
こうして書くだけでも恐いくらいになりましたが・・・


それにしても。


今でも覚えているのですが、
私のそんな後ろ向き120%発言に対して、
聞いていた友人がサラッと、こう答えたんです。


えー?私、自分は絶対幸せになれると思ってるよ?


 「俺も。幸せになる以外あり得ねーと思ってる。
 っていうか、今だって幸せだし。
 っていうか、もはや俺=幸せ、みたいな?



なんなんだこの人たちの根拠のない自信は・・・。


呆気にとられて、
そのあまりの明るさに思わず笑ってしまったのだけど、
考えてみれば私の「自信」だって同じくらい根拠ないなあ、
と、後からじんわり思ったものでした。
当時は、ただそんな友人たちがまぶしくて、うらやましかった。


生きていく上で必要のないもの。役に立たない信念。


どうやら、私たちはいくつもいくつも、
そんな重い荷物をしょって生きてるようです。


それは、 いつかの時点では苦しい自分を支えてくれたかもしれない。
優しくなだめすかしてくれたかもしれない。

とっても現実的で、言うまでもないくらい当たり前のことだと、
思い込んでいるかもしれない。もしくは疑ったこともないかも。

その中の一つ、
代表的ないらない信念(思い込み)が、


自分は幸せになれない。幸せになるに値しない。


ってやつですね。
もしくは、


すごく努力しなければ、幸せは得られない。
  なんでも簡単に手に入ってしまうのはよくない。


かな。


はぁ?
そんなわけないじゃん。
誰だって幸せになりたいに決まってる。
簡単に手に入るならバンバンザイじゃないの。

と、思える人は・・・

うらやましいです。笑
(本心なら。。)


私は今でも、ちょっと恐いです。

幸せになり過ぎたらいつかしっぺ返しをくうんじゃないかとか、
苦労しないで何かを手に入れるなんて、いけないんじゃないかとか、
やっぱり根拠もなく思います。


でもね、
ほんっっっと、役に立たない信念ですね!これ!
と、今は思います。笑


捨てちゃっていい、ほんとは、そんなもの。


簡単に、楽〜〜〜に上手くいっていいし、
どれだけでも幸せになっていい。
私以外に、私を制限する人は誰もいない。


うん。
・・・よし。
 
なんかこう、そんな気分にぴったりする歌ください。

と思っていたら、いいの思い出しました。



平凡なハッピーじゃ物足りない
カンタンにラッキーを手に入れたい
One or eight oh oh oh all or nothing 夢に向かって

大胆に運命を書きかえて
ヤル気ならだれにも負けない
One or eight oh oh oh all or nothing
若い今こそチャンスよ


篠原涼子「平凡なハッピーじゃ物足りない」


なつかし!
でも、なんだか今さら、よさがわかるぞ・・・!
One or eight って、しばらく何のことかと思ったけど。笑



ちなみに、自分の持ってそうな信念をちょいと洗い出してみたら、
他にもいろいろ要らないものを溜めこんでいそうなのですが、
その中でもわりと「これは持っててよかったなあ」
と思える私の信念は

・大体いつも友人に恵まれる
・本当に困ったときは必ず誰か(何か)が助けてくれる

ってこと。
これは持ってて得することが多いなあ。。
ここだけはなぜか昔から揺るがないんですよね。ありがたいことです。


こんな風に、自分の持ってる信念の棚卸しをしてみるのも、
たまにはよいかもしれません。
いいものはグッジョブ、自分。と褒めたたえ、
もはや要らないなあ、と思ったものはちゃーっと捨ててみる。


若くても若くなくても、きっといつでも今がチャンスの時。
カンタンにラッキー手に入れていきましょう^^



2014年5月17日土曜日

あなたは魔法を忘れてない。



子どもの頃、NHKですごく好きな番組があったんです。

人形劇なんだけど、
地下の洞窟みたいなところに小人がうじゃうじゃ住んでて、
みんなで踊ったり、歌ったり…

その洞窟はおじいさんと犬の住んでる小屋の穴と、
巨人の王国にも繋がっていて、
たまに小人たちが冒険に出かけて見つかりそうになったり、
食べられそうになったり(!)。
でも最後は無事に帰ってきて、皆でまた歌って終わる…


詳しいストーリーも、名前も歌のメロディも、
何も思い出せないのだけれど、
少し前になぜかどうしてもこの番組のことが気になって、
むやみやたらに検索をかけてみたんです。
そうしたら、見つかりました!見つけたいものは見つかるもんですね!
IT社会バンザイ!



「フラグルロック」という番組だったんです。





踊ろうよ♪ 嫌なこと忘れ♪ 大きな声で♪ 歌え楽しく♪
働こう♪ 踊りなんて忘れ♪ いつも元気な♪
ここはフラグルロック!


…この歌を再び聞けただけで泣きそう・゚・(ノД`;)・゚・
 

後で知りましたが、
作者はあのセサミストリートでマペットを世界に知らしめたジム・ヘンソンで、
日本では85年ごろにNHK教育で放映されていたようです。

私はたぶん当時小学一年生くらいだったと思うんですけど。
知っている人がいるかどうか・・・。


小人たちは「フラグル」といって、それぞれに名前がついてました。
フラグルロックにはさらに小さな小人たちがいて、
クリスタルでできた塔をおやつにしていたりするそうな。

なんて魅惑的なストーリーと、楽しげな唄だったんだろう!



・・・実は、この番組について、
心の奥の奥のほうで、かすかに気にかかっていたことがあったんです。


私、あんなに好きだったのに、なぜか最終回を見た記憶がない。
なのに、なぜだか、とても大事なお話だったような気がする。

思い出したい。思い出さなくてはいけない。

なんでだか知らないけど、何となく、ずっとそう思っていたんです。
それはもう、約25年ほど(!!)の間、ずっと。

それで、今になって、調べてみたんですね。
ていうかなんで調べようと思わなかったんだろう、と思いながら…
IT社会バ(以下略)!


やっと見つけた最終回は、こんなお話でした。
ちょっと長くなりますが、とても大事なお話。
興味のある方は読んでみてください。


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犬と小屋に住んでるおじいさん。
彼はフラグルの存在を全く信じていないために、実はフラグルの姿が見えない。

でも、最終回のちょっと前にたまたまゴーボー(フラグルの名前)がおじいさんの所に行く。
そこでおじいさんの親友が遠くへ行くことになるという電話を聞いてしまう。
落ち込むおじいさん。気の毒に思ってゴーボーがおじいさんに触れた時、
おじいさんにフラグルが見えるようになる。

最終回、おじいさんは親友についていくため引越すことにする。
おじいさんは引越す日に手紙を穴の前に置いておく。

手紙を読んだゴーボーは落ち込んでゴミー様(フラグルの知恵袋みたいなお婆さん)に相談に行く。
ゴミー様に「私達は誰でも魔法」、「魔法を忘れてはならない」というお告げをもらって、おじいさんに伝えに走るが、すでに家はもぬけの殻。
そこにテープレコーダーを残していたおじいさん。ゴーボーたちは再生する。
友達になりたかった、ごめんねみたいなことを言ってる。

場面変わって新居に着くおじいさん。
犬と前の家に引越したときに壁際に箱が置いてあって、
どかしたらあのフラグルの穴が開いていたね、
という話をしているときに新居にも壁際に箱がある。
思わせぶりにどかしてみるがやはり穴はない。

再びフラグル達、ゴーボーを慰めつつ帰路に着くときに
「友情って永遠」「そう一生『忘れない』」という言葉に反応するゴーボー。
ゴミー様に言われたことを思い出す。
魔法を忘れてはいけない→僕らは魔法→僕らと博士は離れてはいけない!
ということに気づくと、さっきまでなかった新しいトンネルを発見。
そこをみんなで通る。

再びおじいさん。犬に向かって独りごとを話している。
「フラグルに会えたことで自分は変わった。
これは魔法だ。すべては考え方次第。
君も私もみんな、すべては魔法なんだ。

私達があの壁にフラグルの穴があると信じればある、かもしれない…」
すると箱をどかしてゴーボー登場。ゴミー様の言葉をじいさんに伝える。

そしてキャラ総登場で主題歌の替え歌(「踊ろうよ」「働こう」のところがすべて「魔法はいいな」に変更されてる)。
歌いながらおしまい。


-------



…観たことない方に伝わるかわからないですけど……
私はこれを書きながら一回泣きました(ノД`;)


そうして、すべてを思い出しました。

私、この最終回、見ていたんです。
でも、その日は旅行に出かけることになっていて、
どうしてももう行かなくちゃならなかった。
それで家を出る直前に目にしたのが、
フラグルたちが新しいトンネルを見つけたシーンだったんです。

いつもと違う幻想的な音楽がかかる中、
クリスタルのちらちらきらめく不思議な道をみんなが歩いていく……




だから、気になってたんです。
あの後、フラグルたちがおじいさんに会えたのかどうかを、
ずっと知りたかった。


ここまで思い出した時、
もう、古いパズルのピースがばちこーん!とはまったかのような感覚で…
何か、思い出以上に大事なものを取り戻したような気がしました。

ああ、誰に言えばいいのかわからないけれど、
本当にありがとう。。



「魔法を忘れてはならない」


という印象的な言葉、
現地アメリカでは "you cannot leave the magic." という台詞だったそうです。

たしか…昔の記憶をさかのぼると…笑
cannotは否定の命令形(〜してはいけない)としても使われる表現でしたよね?

でも、たぶん、フラグルたちは最後に気づいたんだと思います。
ゴミー様は「魔法を忘れるな」と命令したんじゃない。


「私たちは魔法を忘れることはできない」


という事実を言ったんだって。

全ては魔法。
もし私たちがそういう風に世界を見るなら。

"Everything's magic, if you see it that way."


思い出せないことと忘れてしまうことって、
どうやら根本的に別物のようです。


ほんとは忘れてないんだと思うな、私もあなたも。



 
「一度あったことは忘れないもんさ。
 思い出せないだけで。」

映画「千と千尋の神隠し」より、銭婆の台詞。


2014年5月3日土曜日

扉が開いたら






GWをフライングゲットして、戸隠に行ってきました。

なんでだか知らないけど、なぜか、昔から長野県が大好きなんです。
わたしは千葉生まれ、千葉育ち。親戚がいるわけでもないのに。

以前に好きなバンドのライブのために長野まで行っちゃったことがありますが、
ボーカルの人が突然
「なぜか、昔から長野県が大好きなんです。」
って言いだして驚いたことがあります。
彼は大阪生まれ、大阪育ちなんだけれども。


そんな不思議に愛着を湧かせる地、長野へ・・・






旅行中、
毎日毎日、奇跡みたいに面白いことが起こりすぎて、
なんというかもう、大変です。革変です。


壁だと思ってたのが実は扉で、ぱかーんと開いちゃう、みたいな。

今まで現実と信じてたことのほうが夢だったと気づく、みたいな。


「私ずっと前からカレーライスが食べたくて、
 せっかく注文したのに、な・ん・で・オムライスがくるの?!」

って怒り狂ってたら、

「あっ、違う!私がオムライス注文したんだった、
 …すみませ〜〜ん(・ω<)テヘペロ♡」

って突然気づくみたいな。 笑




そういえば、パスカル。


「人間は考える葦である」や「パスカルの定理」で有名な、
歴史的数学者兼、哲学者のブレーズ・パスカル。

昔、教科書か何かで彼について読んだ時からずっと、
私には不思議で仕方なかったことが一つあったんです。

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若い時から天才的な数学者だったパスカルは、
31歳の時にある神秘的な体験をしたことがきっかけで、
数学を一切放棄して財産を売り払い、修道院に住み着いた…
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パスカルについて調べると、よくこう書いてあるんですよ。


・・・気になりませんか?


「神秘体験」て何したの???


って(笑)

残念ながら、逆に面白いほど、
この「神秘体験」について説明してくれる文献はありません。


でも、ある時突然にやってきて、
他の人には到底説明できない、
けれどもう今までの自分と同じではいられない、
そういう強烈な個人的体験て、確かにあるんだと思います。


パスカルさんほどの神秘体験をしたわけじゃないし、
別に修道院にもこもりませんが(笑)
まあ、風通しはよくなったなーと思います。
戸隠で開いた扉が、さやさやと新しい風を運んできてくれるのを全身で感じて気持ちいい。



必ず、必ずすべてがいい方向へ流れていく。
絶対に自分の人生を変えていく。

そう決めた時から、世界に響く音が変わりはじめました。


いずれ、他の誰かのために大切なことを伝えられるように、
丁寧に生きていきたいなと思ってます。
今はまだ言葉にできないことも多いのですが、
そのうち発信していくことになると思うので、よろしくお願いします^^





人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。(中略)たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ねることと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
(中略)だから、よく考えることを努めよう。

— パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、225頁。