2013年12月22日日曜日

夜明け前




不思議だけど、昔からよくある話。


別々のところで手にした本の、別々のページに、
同じ言葉や文章が書かれているのを発見する。


わたしは集中力があまり持続しなくて、
一冊の本をずっと読み続けるのが辛いので、
同時並行で何冊かの本をちょっとずつ読む、というのをよくやるんです。

通勤電車の中で小説を読んで、
お風呂の中でお風呂用の(濡れてもいいような)軽い本を眺めて、
寝る前に誰かのエッセイを読むとか。

・・・なんて書いたらちょっと読書家っぽいですが、
ちょっぴり読んで、読み終わる前に飽きちゃったりして、
読みかけの本がただたくさんあります。。
途中のページだけ読んで、あと放置、ってことも多いのです。


すると、たまに・・・


「そういうこと」が起こります。


それ自体はお互いに全然関係ないはずの本なのに、
なんで同じことが書いてあるんだろう・・・?
もしくは、なんで同じ人物の話が出てくるんだろう・・・?
というようなことが。

しかも、たまたま開いたページにそれが載っている。
なんでわたしは今このページを開いたんだろう・・・
というようなことが。


たぶん、わたしだけじゃなくて、本を読む人ならば、
経験したことがある人も多いんじゃないかと思うのですが。


最近、「それ」が久々にありました。


別々の人に紹介されて、別々のルートで手に入れて、
別々に読んでいた、元は別々の言語で書かれた本。
ジャンルも違う。
けれどほとんど同じ書き方で、
どちらの本にも載っていたこと、それは・・・


「少年は自分の国の古いことわざを思い出した。
 それは、夜明けの直前に、最も暗い時間がくる、というものだった。」


ことわざにあります。「夜明けの前が一番暗い」と。」


◆◇◆◇◆


もう何年も経ってしまいましたが、自分が学生だった頃、
まあそれなりに、人並みに(?)、
明け方まで飲むようなこともしていました。
サラリーマンが駅の方角に向かって一斉に歩きはじめる頃、
真逆の方向にふらふらと自転車をこいで帰っていく朝もありました。


だから、経験的にわかります。
これ、本当にそうですよね・・・。


夜の明ける直前に、本物の暗闇がやってくる。


季節にもよるけど、夜の3時を過ぎて4時になる間際ぐらい。
窓の外をのぞこうとしても、ただ暗闇が際限なく広がって、
室内にいる自分の顔がガラスに反射されるだけ・・・


そんな時、友達と一緒にいてもふと恐くなって、
ほんとに一瞬だけど、
明るい朝なんて二度とこないんじゃないかと思う。


だいたい、そんな気分になったらもう、
数分後には夜が明け始めるんですが。


風邪をひいた時とも似ている気がします。
ほんとにほんとにしんどくなって、
「ああ、これはもうダメかもしれない。一生治らないかもしれない。」
なんて思うと、
大体次の朝には熱がひきはじめるという、あの感じ(笑)


思ってる時はけっこう本気で絶望してるんですよね。
周りからしたら、
「いや明けるだろ!」
「いや治るだろ!!」
って感じなんだけど、本人わからないんですよね。



もしかしたら明るい未来がすぐ近くまできているかもしれないのに、
見えるのは暗闇だけで、わからないから恐い。不安。絶望。


でもちょっとだけ、信じてみよー。


なにせ2冊の本にも書いてあるくらいだし(笑)
たまには信じてみるのもいいかな・・・と。


もしかしたらこれが最後の暗い時間帯かもしれない。
ちょっとでもそう思えたら、そんな時間すら愛おしく感じられるかも。



これもさんざん言い慣らされた言葉ではありますが、
明けない夜はないから。





かけがえない日々を結ぶように 夜明け前、
街灯はとけながら 見えなくなる
愛されたいという僕ら同士 けれどまだ
力ずくでも笑え
何度となく

長谷川健一/「夜明け前」



2013年12月15日日曜日

真っ白な時間





息を、吐く。

その度に、両足につけられた板がぐわん、と弧を描く。

息を、吐く。

頭が真っ白になって、何も考えられない。
緊張もない。

ただこのスピードは止めない。
絶対に止めるもんか、とだけ決めて、
重力のままに下へ下へと落ちていく。

手の感覚もない。
棒の先が斜面に触れる時、少しの衝撃が身体を刺す。

ゴーグルの端から漏れてくる風が目を突いて、涙が出る。
視界がぼやけて、遠くで私を待っているはずの人たちの姿は見えない。


目に映るのは、ただただ真っ白な景色。


自分の頭の中だけじゃない。
世界そのものが、
時間が、
真っ白になってしまったようだった。


まるで宇宙がその全ての動きを止めて、
今この瞬間には、自分しか存在していないかのよう。


周囲がいやに静かで、
私はこんな状況にも関わらず、なぜかひどく落ち着いていた。


息を、吐く。

吐く息の音。



不意に足場が平らになったかと思うと、突然視界が開けた。
大勢の人がこちらに向かって手を振っているのが目に入る。

一時停止ボタンが解除されたかのように、音も戻ってきた。
たくさんの雑音に混じって、歓声が聞こえる。

審査員に向かってとっさに「ありがとうございました!」と叫ぶ。
その声は震えていた。


みんなが、同じチームのメンバーが、周りに駆け寄ってくる。
ちょっと恐かった先輩が、
私の頭をニット帽の上からぱーん、とはたいて、
 「よくやった!」
と言ってニカッと笑った。



◆◇◆◇◆◇


緊張したり、何か外からの強い刺激を受けたりして、
「頭が真っ白になる」
ということってあると思いますが、

その先をもう少し突き抜けると、
やがて「真っ白な時間」のようなものがやって来る気がします。

上手く表現できないんだけど、
そしてそう数は多くないんだけれど、
わたしもこれまでの人生で何回か経験したことがあります。

一番記憶に残ってるのは、
大学時代にスキーの大会に出たときのこと。


基礎スキーというスポーツはさほどメジャーじゃないので、
わからない方も多いと思いますが、
ゲレンデの下の方に審査員が何人か座ってて、
選手は一人ずつそこに向かって滑っていきます。
その時の、まあ要するに「美しさ」に点数をつけて争う競技です(合ってるかな・・・)。


正確に言うと、種目、女子緩斜面小回り。
わたしの一番好きな種目で、
ここで点数とらなきゃいつとるの、という場面でした。

わたしはビビリで、スピードを出すのがいつもいつも苦手だった。
でも多少は加速をつけないと格好がつかない。
もう転んでもいいから、自分の限界速度のちょい上でいこう・・・

と決めてのぞんだ本番。

何点とったんだかさっぱり覚えてないけど、
とにかく転ばなかった。
どんな風に滑ったのかも完全に忘れたけど、
自分史上最良の滑りだ!と思ったことは覚えてる。



そしてあの時の、不思議な感覚・・・。



全ての物音が静まり返り、自分の呼吸だけが聞こえて、
世界に一人だけ取り残されているような気がした。

「真っ白な時間」としかたとえようのない、あの瞬間のこと。

今でもこうして文章にできるくらい、ありありと覚えています。


たまに、第六感というか、
いわゆる他人のエネルギー的な物を見分ける力の強い人に出会うと、

「頭、疲れるでしょう。
 寝てても起きてても、ぐるぐるぐるぐる、
 あなたは思考が止まらないのよね。」

というようなことを言われる場合があるのですが、
ああいう瞬間は、それが全てストップするんですよね。

何と言うか、
本来の生命の力を使って、
自分の中心に戻れるような・・・そんな感覚。


もっと単純に言えば、「集中」とかってことになるんでしょうかね。

つい先日、合気道の昇級審査を受けたときに、
あの時の感覚が少しだけ甦ってきたので、なんとなく書いてみました。

合気道の場合は技の受けをとってくれる人が目の前にいるんだけど、
それでも「この世に自分しかいない感覚」みたいなのが湧きます。
先生と自分しかいない感覚、のほうが正確かもしれないけど。



まー、大勢の前で何か審査されたり、司会したり、発表したりとかね・・・

緊張するし、ドキドキするし、恐いし、嫌なんだけど、
あの妙な静けさは、ちょっとクセになるんですよね(笑)


そういう瞬間を一つでも多く持つことが、
人生を豊かに生きるということなのかもな、
と思う今日この頃です。



2013年12月8日日曜日

ご機嫌な法則




大学で東京に出てきてからほぼ10年。

その間に4回の引越しをして、
その度にいろんな物をけっこう大胆に捨ててきました。

良いか悪いか、そんなわけで、
「昔から持っていて今でも手元にあるもの」
というのが極端に少ないのです。


特に、本。


買っては売って、買っては捨てて、
時には本棚さえ買って処分してまた買って、
ラインナップ総入れ替えくらいのリニューアルを繰り返してきました。


そんな中で、一冊だけ、ずっと持っている本があります。


おそらく中学三年生くらいの頃に、
地元の本屋「オークス」(その後何年かして潰れてしまった)で、
自分のお小遣いで買った本・・・


ご機嫌の法則100
ディスカヴァー21、1996年第3刷


今なら自己啓発本のコーナーに並ぶような類の本かもしれませんが、
当時はまだ自己啓発なんて言葉は出回ってなかった・・・(たぶん)。


ページを開くと、ちょっぴり不思議な言葉の数々が、
素朴なイラストと一緒にぱらぱら並んでいます。


 この人生が、ご機嫌なものでありますように。
 努力しないでも、ご機嫌でいられますように。
 もし、来世というものがあるのなら、
 そのときこそは、まじめに生きますから。


 もちろん、きみは、特別な人です。
 でも、誰かより、特に特別なわけじゃない。


 「わたしとしたことが!」だって?
 その「わたし」って、いったい、誰なんだ!


などなど・・・
繰り返し読みすぎて、表紙はぼろぼろになり、
ほとんどの言葉は覚えてしまった。

その言葉の一つひとつが、
友達との関係やら、片思いやら、自分への自信のなさやら、
いろんなことに悩みの尽きなかった、
思春期のわたしをすくい上げてくれたのでした。

しかも、その後も何年も、いや今でも、
その効力は続いていきました。

何か気持ちがしんどくて苦しくなった時、
ふと頭にある言葉が浮かんで、
少しだけほっとして、気分が柔らかくなることがあります。
それは大体いつも、この本に書かれた彼らの役目でした。



自分にとって、ちょっぴり特別な本。



いつしか芽生えたのは、
「いつかこの本を書いた人に会ってみたいものだ・・・」という思い。



本のあとがきを読んで、
ディスカヴァー21という会社が広い東京のどこかにあって、
本を書いたのは「コーチング」ということをしている人だ、
ということを中学生の私は知りました。

いつか直接話を聞いてみたいな。
コーチングって、知らないけど、どんなものかな。

何となく、そう心のどこかでずっと思っていたんです。



・・・大人になるって、すごいですね。



ひょんなことから、仕事上の繋がりで、お会いできてしまいました。
出版社ディスカヴァー・トゥエンティワンの代表取締役であり、
コーチ・エィ代表取締役会長。
日本におけるコーチングの第一人者とも言われる、伊藤守さん。

まあ、講演会を聞きに行っただけなんですが、
すごい至近距離だったからドキドキしました。

こんなに簡単に会えちゃっていいのか、っていうくらい呆気なく。
その名前に憧れを抱いた会社も、歩いていける距離にあったことを知る。

伊藤さんは、予想どおり、小柄で優しげな目をした、人のよさそうなおじさんでした。
言ったらあれだけど、普通のおじさん(笑)
でも、普通のおじさんは、あんなに無防備にニコニコしないですね。
それに、ぴっかぴかのいい靴をはいてました。

そして、話し方が、本の書き方と一緒でした。
それだけで、なんだかすごく嬉しかった。


「人は思っていることを口にしているのではなくて、
 口にしない限り何を思っているのか気づかない生き物なんです」

とか、
やっぱりわたしの好きな感じのことをたくさん話されていました。

今にして思えば、コーチングの考え方だったのかも。私が惹かれていたのは。。


今年は本当に、これまでずっと会いたかった人にうっかり会えてしまう機会が多くて驚いています。
夢が叶うっていうのはそんなものなのかもしれないですね。
自分がブロックをかけさえしなければ、案外あっさり叶ってしまうもの。



最後に・・・

そういえば、昔から一つだけ、
この本に書いてある言葉の中で、
どうにも意味の分からない言葉がありました。

耳ざわりはいいんだけど、
よくよく考えると、何言ってんだろ?みたいな。

最近になってようやく、なんとなく、分かってきた気がします。

別の言葉で説明しようとすると難しいし、
つまらなくなるからやめておきますが・・・
 
大事なことはいつもシンプルで、シンプルすぎて、
気づくのに時間がかかります。



『神さまがあなたを探しています。
 あなたのほうから、あちこち探し回らないでください。
 神さまと鬼ごっこになってしまいます。』





2013年12月2日月曜日

小さな頃の唄






小学生の頃、作文の授業がとても好きでした。

机の上にまっさらな作文用紙が置かれると、なんだかワクワクして、
先生に書いていいよ、って言われる前に鉛筆を持ってしまうくらい。

何も書きたいテーマなんかなくても、
ひとたび鉛筆を握ればスラスラと、
わたしならば原稿用紙をキャンバスに、
無限のお絵描きができる!・・・ような気がしていました。


「得意な事があった事 今じゃもう忘れてるのは
 それを自分より 得意な誰かが居たから」
「大切な夢があった事 今じゃもう忘れたいのは
 それを本当に叶えても 金にならないから」


そんな歌がありますが、まさにそんな感じで、
大人になるにつれてだんだんと、
そんなワクワクは忘れていったのですが・・・。


でも、最近一つ思い出したことがあります。

そういえば、なんで作文の授業が好きになったのか。

1年生か2年生か、とにかく小学校に入ってすぐの低学年の頃。
読書感想文で賞をとったことがあったんです。
よく覚えてないけど、県かなにかで表彰されて、
親も喜んで、わたしも嬉しかった・・・。


たぶん、そこで、
「できるじゃん」
て思ったんだと思います。


書くのが好きで、書いたら褒められる。
じゃあもっと書こう、と。

比較する相手も、証明する必要もなかった。
ただただ好きで、得意だったあの頃。


そのきっかけとなった読書感想文、
そこで取り上げた本の内容はすっかり忘れてしまいましたが、
タイトルだけは何となくずっと覚えていたんです。

で、

これが・・・

最近ふと気になって、
あらすじを調べてみたら・・・

ちょっとびっくりする内容でした。

ご存知の方も多いかもしれませんが、
少しだけ紹介させてください。
『きいろいバケツ』
という本です。

----------------

(あらすじ)

主人公のきつねの子は、ある日、川の近くで黄色いバケツを発見します。
友だちのくまの子、うさぎの子にたずねてみても、誰のものなのかわかりません。

きつねの子は、そのバケツを気に入った様子。以前から、こんなバケツがほしいと思っていたのです。

そこで、一週間たっても持ち主が現われなかったら、きつねくんのものにしよう、ということを、くまの子、うさぎの子と決めます。

毎日毎日、きつねの子は、その黄色いバケツと一緒に過ごしました。

バケツをじっと見つめたり。

魚つりのまねっこをしてみたり。

雨が降った日は、雨に降られるバケツをかわいそうだと思ったり。

バケツに名前を書くまねをしたり。

バケツが風に飛ばされて、なくなってしまう夢をみることもありました。

バケツを見つけてからちょうど一週間後、結局バケツはなくなってしまいます。


このあとの、本文です。
---------

「ざんねんだなぁ。」
くまの子がきて、言いました。

「きのうは、ちゃんとあったのにねぇ。」
うさぎの子もきて、言いました。

「もちぬしがとりにきたのかな。」

「だれかが通りすがりにひろっていったのかしら。」

くまの子とうさぎの子が、くちぐちに言いました。

「どっちでもいい。」と、きつねの子は、思いました。

たった一週間だったのに、ずいぶん長いこと、黄色いバケツといっしょにいたような気がしました。

その間、あの黄色いバケツは、ほかのだれのものでもなく、いつもじぶんのものだったと、きつねの子は、思いました。

「いいんだよ、もう。」

きつねの子は、きっぱり言うと、顔を上げて、空を見ました。
青い青い空が、どこまでも広がっていました。

「いいんだよ。ほんとに。」

きつねの子は、もういちどそう言うと、くまの子とうさぎの子にむかって、にこっとわらってみせました。
----------------


・・・という、お話だったのです。


きつねくん!!! (つд⊂)


めちゃめちゃいい話じゃないですか(泣)


そして深い・・・。

青い青い空の下で「いいんだよ」って笑うきつねの子。
その情景がまるで目に浮かぶよう。
その顔は寂しげで、でもきっとすがすがしい、爽やかな微笑みを浮かべているんだろう。


率直に言うと、
この本を選んだ自分、ぐっじょぶ。
と思いました(笑)

本なんて、候補は他にもいっぱいあったはず。

その中で、どうしてこのお話を選んだのか。
そしてわたしはどんな感想を書いたのか。
肝心なことは、何一つとして思い出せません。
自分のことなのに分からない・・・。


でも、たしかに過去のどこかの私がこの本を選んで、
何かを感じた。
一生懸命きもちを言葉に換えて、
何かを伝えようとしていた。


その心の足跡というか・・・
エネルギーのかけらのようなものを、
このあらすじを改めて読んだ時、少しだけ、自分の中に感じました。


その時ふと、もう何年も聞いていない、
けれどある時期にすごく好きだった、歌の一節がよみがえりました。

気づいたら口に出して歌ってた。



彼は現代の中毒者
うつろな目をして笑って
小さな頃の唄を忘れようとする
だけど忘れないであなたは生きてる
勇気の出る唄を一緒に歌おう

(BUMP OF CHICKEN 「ナイフ」)



歌詞の意味を改めて考えたことがなかったけど、
小さな頃の唄っていうのは、
誰の心の中にもある「消えない絵」のようなもののことかも。



あなたの小さな頃の唄は、どんなのですか?
覚えてますか?


忘れてたって別に生きていけるし、困らないんだけど。
もしも思い出せたら、一緒に歌えるかも。



*冒頭に書いた歌詞は、同じくバンプの「才悩人応援歌」という曲です。

2013年11月18日月曜日

お湯のはなし



知人のご紹介で、普段は仙台で活躍されている「メイク&ライフプロデューサー」、
「美塾」講師の丹野拓子さんによる「本当の魅力を引き出すメイク講座」に参加してきました。

なんのこっちゃ、と思われるかもしれませんが、
そう、文字どおり、わたしが参加したのはメイクの講座です。
でも・・・


本当の自分を知ること。
ありのままの自分を、もっともっとたくさん愛してあげること。


教わったのはそういうことで、メイクは手段なんだと知りました。

誰でも必ずその人にしかない美しさを持っていることに気づいて、
自分でも知らなかった自分を発見。わたし的には歴史上の大発見。
「なんだ、そんなとこにいたの?!」って感じです。

誰にも気づかれずに、わたしにさえ気づかれずに、ずっと隠れていたの?
もうこそこそしなくても大丈夫だよ。出てきても大丈夫だよ・・・
と、鏡の中の自分に言ってあげたい気持ち。


実はわたし、自分の顔に自信がなくて、30代に入ったらシワも気になるしで、
一、二年ほど前からいつしか鏡を見るのが苦痛でした。
それはもう、鏡を見るとき無意識に片目をつぶってしまって(よく見たくないから)、
その片目が痙攣してしまうほど・・・。
情けなくて他人には言えなかったんですが。

講座の場で思いきってそれをカミングアウトしてみたところ、
予想外の反応が他の参加者の方々から続々と。。

特にびっくりしたのは、
「笑ったときに思いきりクシャっとなる、そのシワが素敵なのに!」
と面と向かって言われたこと。

自分にとってのコンプレックスは、他人から見て魅力と映っていることが多い(by丹野さん)ということを実感しました。

その後、講座で「自分に似合うメイク」(しかも簡単)を教えていただいた結果・・・
終わった時には、本当に見たことのない自分が鏡の中にいました。
見たことないんだけど、昔から知っていたような気もする不思議。
本当に、「なんだそこにいたの?!」という感じなんです。

で、それがまあ、素敵なんです(笑)
今までずっと、他人と自分を比べて
「あの人の持っているものがわたしにはない」
「これもない」「あれもない」
「ない。ない。だからわたしはダメなんだ」
って思ってきたけれど・・・
そう思うのは当たり前だった。
だってそういう時って必ず、自分以外の誰かになろうとしてたから。
鏡をこの手に持って、両目でしっかりと自分の顔を見たら、
最初からそんな必要はなかったんだとようやく気づきました。


新しい自分になるんじゃなくて、本来の自分に戻ること。
丹野さんから教わったのは、メイクの本当の意味でした。

恐るべし、メイク!


◆◇◆◇◆


ありのままの自分を愛するって、それが大事だとはよく言いますけど、難しい。
言ってみれば、歯をくいしばって努力して、
「よし、自分を愛すぞ。愛さなきゃ、いけないんだ!」
って必死に挑まないといけないこと。
・・・だと思ってたんです。これまでの長い間、ずっと。

でも、きっともっとずっと単純なこと。
芯から楽で、気持ちいいこと。

ここらへん、言葉で説明するのは大変難しいのですが、
わたしの感覚としては「お湯」なんです。

寒いところから帰ってきて湯船につかると、ふわぁ〜ってしますよね。
心も身体もほっとして、あぁ〜って声が出て、楽ち〜んな気分になる。

ありのままの自分を愛せてるときって、
実はそういう感じなんじゃないかと最近思ったんです。

寒いから、あったかいお湯にざぶーんと浸かる。
そのくらいシンプルなこと。
そして自分でできる(自分にしかできない)こと。

考えてみれば、他人にお湯に入れてもらうのを期待したり、期待を裏切られて「なんで入れてくれないの?!」って怒ったり、「私はお湯に入れてもらう資格なんてないんだ…!」って泣いたりする必要なんて全然なくて、ただ自分で入ればいいだけですよね?

ごちゃごちゃ言ってないで、震えてないで、
早く目の前のあったかいお湯に浸かればいいのに(笑)
ほんとはそのお湯は、いつでも私たち一人ひとりに用意されているのに。

お湯にたとえると馬鹿ばかしく思われるかもしれないですが、
案外こういうことを、いつも私たちはやってるんじゃないかな?

そういうことが、ようやく体感としてわかってきました。
大事なことはいつも拍子抜けするくらい簡単なことだったと。


まー道のりは長くて。
偉そうに書いてみたけど、自分を癒すには、まだまだゆっくりお湯に浸かる必要がありそう。
なにせ長年かけて凍えちゃってるもんで。

でも、ゆくゆくはわたしも、周りの人にそういう温かさを与える人になりたい。
強くそう思って、思ったことでまた、身体中があったかくなるのを感じました。




かくれんぼをすると、
小さな子は、見つかった瞬間、驚喜します。
あなたもあなたを早く見つけるといい。
ああ、こんなところにいたの、なんて。

伊藤守『ご機嫌の法則100』ディスカバー21より。


2013年11月2日土曜日

軽やかな人




以前に同じ部署で働いていた同僚の一人に、
 「人の心を軽くする天才」がいました。
人の、というより、私の、と言った方がより正確ですが。

背が高くて、ボーイッシュに切られた短い髪。
利発そうな眉毛に愛嬌のある大きい瞳。
一言えば十を知るような要領の良さで、仕事もできる。
なのにいかんせん、本人がなんか常にヘラヘラしてて(笑)
仕事できるオーラも全然出さないし、
色気もわざと無いふりしてるのか?ってくらい出さないし(笑)
男女に限らずみんな実は彼女のことが大好きなのですが、
面と向かってはちょっと言いづらい、そんな人なのです。

怒ったり笑ったりよくしているけれど、
なんとなくサラっとしていて、一緒にいると深刻になれない。

彼女の同居しているおばあちゃんが呆けている、という話が私は大好きで、
(そんなこと言ったらよくないのかもしれないけど)
違う人が話せば悲劇になるような話を、
心底おかしそうに話すので彼女から聞くと喜劇なんですよね。

急いで作らないといけない資料にまみれて、
問い合わせの電話がばんばんかかってきて、
会議は明日!残業決定!なんていう時でも、
彼女と顔を見合わせて「し、死ぬ!!」とか言ってると妙に元気が出て、
まあ何とかなるだろう…と思ってしまうのでした。


私は何かあるとすぐ深刻になりがち。
「こうなったらどうしよう」「ああなったらどうしよう」
いつも心配事ばかりで、自分をしんどくさせることに長い時間を使ってきました。

楽しく生きてはいけない、
幸せになってはいけない…

実は、そんな信念をずっと長いこと抱えていました。
最近ようやく気づいて、手放そうと思えるようになったのですが。

まあ、自覚していないだけで、結構この手の厄介な信念(罪悪感と言い換えてもよいけれど)を持っている人は多いのではないか、と私は見ています。
ともかく、おそらく、彼女には幸いなことにこの種の信念が一切ないようで。

楽で、いい!
人生は楽しむべきもの!

代わりにこんな素敵な信念を持っているように私には見えました。



いつだったか、私が好きなバンドのライブのチケットがどうしても取れなくて、
いっそのこと地方まで行ってしまおうか…と迷っていたことがありました。
唯一チケットが取れそうな会場が、福岡県!

そこで私は大変悩みました。
いくら好きだからって、ライブのために福岡まで行くなんて、正気なのか?

お金も時間もかかる。
でもそれより何より、一番ネックになっていたのは、
「ただの楽しみのためにそこまでしていいのか?」
ということでした。

だって、「楽しく生きてはいけない」「幸せになってはいけない」という信念が心の底にあるわけですよ。
その時はそんなことには気づいていなかったけれど、
私は自分の信念に思いっきり反することをしようとしていたわけです。
でもきっと、それはチャンスでもあったわけです。
ずっと頑なに守ってきた、けれど本当は要らないものを捨てるためのチャンス。

それで、彼女に恐る恐る聞いてみた…。
たぶん、何か期待していたんでしょう。


「あの…。ものすごく好きなバンドがいるとして、ですね?
そのバンドのライブのために、どこまでなら行けます…?」

すると彼女はきょとん、として、
でもほとんど間髪を入れずに、

「え、韓国」

と。

そうだ、韓流ファンだった(笑)

なんかおかしくて、お互いおかしくて、
二人でひとしきり笑いました。
福岡のほうが韓国よりちょっと近いじゃん!って言って。
本当に、韓流スター(何回聞いても名前が覚えられない)のためなら彼女はどこにでもついて行ってるようで、私なんてその点足元にも及ばないのでした。

とにかく一事が万事、こんな調子で、
彼女の近くにいると、いつも気が軽くなった。
心が楽な状態で、それが普通なんだなと思えた。

初めての海外出張の前日、
実は不安で泣きそうになってた私に

「大丈夫、○○さん(私の名前)ならできるよ!」

と言ってくれた。
言い方がおかしくて思わず笑ったけど、
ほんとはものすごい嬉しかったし、今でもこの言葉がたまに私を救ってくれます。


そんな彼女に、つい先日久しぶりに会いました。

実は最近ちょっとだけ無茶なことをして、
楽しんだはいいんだけれど何やってんだろ私、
と思っていたことがあったのですが、
そんな私にやはり彼女は

「何も間違ってない!!」

と言ってくれました(笑)
本当に、私の心を軽くする天才だなー、と、
決して本人には言わないけれど、いつも思ってます。


『誰かと出会うたびに、人生をよりよくするチャンスがある。』 

どこで読んだのだったか忘れてしまったのですが、
誰かがそんなことを言っていました。
なんだかこの言葉を思い出すのです。


2013年10月28日月曜日

とむらいエッセイ(WFP編)



ここのところしばらく、ブログの更新をしておりませんでした。。

出張続きであまり家にいられなかったのもあるし、
現実の変化の流れがあまりに早くて、文章にしているひまがなかった…
あまりに色々なことが起きすぎてる、というのも正直なところです。


が、それでも、実は色々書いてるのです。
本日はその内の一つをご紹介したいと思います。


実は、少し前に「WFPエッセイコンテスト」というものに応募しました。

WFPとは、特定非営利活動法人。
飢餓のない世界を目指して活動する国連の食糧支援機関…だそうです。

そのWFPが飢餓の問題に関心をもってもらうことを目的に、エッセイコンテストを展開。
「お題:給食(お弁当)の思い出」というエッセイを広く募集していました。

興味のある方、詳しくはこちらのHPをどうぞ。

なんとなく、書くことへの熱意が高まっていた頃だったので、
よし、やってみよう!と、力試しのような気分で申し込んだのです。

10月まで、ドキドキして結果を待ったけれど、、
箸にも棒にもかからないとはこのことでした。

まあ、応募1作品ごとに給食1日分(30円)の寄付になるということなので、
それがせめてもの救いでした。


というわけで、そんな情けない話なのですが、
それでも自分なりに結構がんばって書いたので、
このまま日の目を見させないのも可哀想な気がして、、

よかったらわが子(ボツエッセイ)を見てあげてください。よかったら。
800字なのですぐ読めます。

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題名:生きるために食べる日

 高校生の頃、お弁当を食べることをすごくためらった日が一日だけある。きっかけは、国語の教科書だった。
 先生の話にも飽きてきて、こっそり教科書をめくっていたある日の授業中のこと。一風変わった文章が目に入り、有名なアニメ映画の原作だとじきに気づいた。野坂昭如著、『火垂るの墓』だった。
 まるで句点がなく、一文が異様に長い独特の文体。文字だけで描かれているにも関わらず、その短編小説は凄まじい疾走感で戦争の悲惨さを伝え、当時の生々しい情景を私の目前に浮かび上がらせた。そこには生きるために盗み、叩かれ、容赦なく飢えに襲われる子供たちの姿があった。気づけば授業が終わっても、何かに取り憑かれたかのように読み続けていた。そしてお昼の時間になった。私は、しばらくお弁当の蓋を開けることができなかった。
 小説は主人公の清太が駅構内で一人死ぬところで終わる。原因は彼の妹と同じ、栄養失調による衰弱死。幼い兄弟の一生を思えばあまりに悲しく、涙も出なかった。いっそこの指の肉を食べさせてやろうか、と寝ている妹の節子を見つめる清太。もしもこの私のお弁当一つ、食べさせることができたなら、二人とも死なずに済んだのに…本気でそう思った。親に守られ、何不自由なく暮らす私がこのお弁当によって得ている生は、はたして彼らのものより重いのだろうか。ちゃんと生きているのか、私は。思えば思うほど、目の前の食事に手をつけがたかった。
 結局、お腹は空くし、昼休みには限りもあるし、そのお弁当はいただいたのだけれど。それが現実。それでも、どうせ食べるならせめて感謝していただこうと思い、普段以上にじっくり味わった。いつも通りの味だったが、そうか、人間は生きるために食べるんだな、と不意に強く思った。そこに感動とか感慨というものはなく、ただそれが真実だと思った。あの時の強烈な印象を、私は未だに忘れない。
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ボツエッセイ。
自分が体験したことでもないし(名作の力を思いきり借りている)、
浅かったよなー…。
きっとだめだった理由は色々あるのでしょう。
それでもこの手で生み出した、可愛いわが子。
お母さんはちょっぴり傷ついたけれども、前へ進みます。。

これに懲りずにいろいろ書いてみようかな、と思ってます。


2013年9月16日月曜日

ハーフ ザ・マン




この3連休でセミナーに参加していました。
内容についてはいずれ機会があれば別途書きたいと思いますが、
まあ仕事関係のセミナーであることは間違いない(ざっくり)。

直前まで自分が出張に行ってたし、途中で台風もやって来たし、
無事に終わるか少し不安だったけれど、どうにか全日程が終了・・・
したと思ったら、なんかものすごく寂しい。
とっても充実して、楽しくて濃い、嬉しい3日間だったのに、
終わっちゃうんだと思ったら唐突に悲しい。

この感覚が何かに似ているなと思ったら、
子どもの頃、夏休みになると英語塾主催のサマーキャンプに行ってたのですが、
その旅行から帰ってきた時の感覚とかなり近いことに気がつきました。
皆で大型バスに乗って帰ってきて、渋谷のバスターミナルでお別れする時のあの感じ。

いつもは出会わないような人とたくさん出会って(県外の子供とかアメリカ人とか)、
普段ならできないような体験をたくさんして(野外オリエンテーリングにキャンプファイヤーとか)、
でも明日からはまた自分の日常に戻っていく・・・(学校か・・・)

日常はそれはそれで悪くないのだけれど、
それにしても非日常のあの、特別な感覚。
とびきりの宝物になりそうなわずか数日の体験。

似ています、非常に。

そんなわけで結構しんみりした気分に浸りつつ、
連日のセミナー疲れを労うべく、近所のカレー屋へ。

この3日間でうっかりカレーを3回食べてしまった。。
自分の中では、特別な食べ物なのですね。
特に旅行から帰った時には食べたいんですよ。

われながら単純なんだけど、
美味しいものを食べてるうちに寂しさも癒されてきて、
ふと、かなり昔の曲が店内に流れていることに気づきました。


上に書いた、子どもの頃に参加していたサマーキャンプというのは、
大学生がインストラクターとしてボランティアをしてくれていたのですが、
たまたまそこで仲良くなったイントラのお兄さんが洋楽好きで、
まだCDも買ったことのなかった私に色々教えてくれたんですね。
当時の私からしたら、学生なんて憧れの存在以外の何者でもなく、
教わった音楽をすぐにレコード屋さんで借りてきて、
繰り返し繰り返し聞いたものです。歌詞を覚えてしまうほど。

だからすぐに分かった。もうあれから何年も経ってるけれど、
今流れてるのはあの時の曲だって。


ちなみにこんな曲。
「スペース・カウボーイの逆襲」というアルバムに入ってました。懐かしい。。

この歌詞の
「君が僕の残り半分だ」的な、
ツインソウル的な(?)意味合いには正直あんまり共感できないですが、
「僕は昨日まで自分の半分しか生きていなかった」
つまり、これまでは本当の自分自身をフルに生きていなかった…
という意味にとってもいいのかな。だったらいいな。意訳しすぎかな。




今回、身体は東京を一歩も離れていないけれども、
精神的にはあの頃のサマーキャンプと同じくらい、
いやそれ以上に、濃い旅をしてきたような気分です。

それは特別な非日常。
でも、あの頃と違って、もう誰かがキャンプを用意してくれるわけじゃない。
それに、いつも特別に楽しくしてちゃいけないって、誰が決めたんだろう?

これからは、自分で「こっち」を日常にするんだ。
今日からが、そのためにできることをしていく旅のはじまり。



You are my inspiration. thank you...


2013年9月9日月曜日

ユニーク・クローズ






「もし、ある日、会った人全員から”ねえ今日の服、変だね”って言われたらどうする?」

今から何年も前、仲間内でそんな話題になったことがあった。

ショックを受ける。
怒る。
言った相手と絶交する。

いずれにせよ、その服はしばらく(あるいは二度と)着ないだろう。

誰に聞いても、答えは大体同じだった。わたしも同じだった。
ただ一人をのぞいて。


◇◆◇◆◇

ある年の冬、アメリカで働く友人を訪ねたことがありました。
彼女は髪が長くて、スカートとハイヒールがよく似合い、愛らしい顔つき。
学生の頃から、周りの男の子は彼女を放っておきませんでした。
異国の海辺の街で働く彼女はキラキラしていて、ますます魅力が増したようでした。

今ならわかる。もちろん彼女のそのきらめきは、内面からにじみ出るものだった。
けれど、どうしてか当時、その表面的な美しさばかりにフォーカスして、
私は「そうか、そうだよな…」と勝手に納得していました。
女の子は女の子らしく。男の子が好きそうな格好をしなきゃ、愛されない。


旅行に前後して、真っ白なダウン・コートを手に入れました。
女の子らしい(と、勝手に自分で考えた)コート。今までの自分なら絶対に買わない色。
好みじゃないけど、大勢に好かれそうな(と、やっぱり勝手に考えた)デザイン。
好みじゃないから、あんまりお金をかけるのは惜しい気がして、某大手の衣料品店の、しかも安売りセールで買った服。

それでも、自分ではそれなりに気に入っているつもりでした。
だからいつもの仲間との飲み会にも着て行った。それで言われたのがこれです。

「さっきからずっと思ってたんだけど・・・、そこの白ダウン何」

私は突然受けた質問の意図がわからず、こう答えました。

「何って、私のですけど」

相手はなおも尋ねました。「もしかしてそれ、着てきたん?」
私はうすうす嫌な予感を覚えたけれど、今さら引き下がるわけにもいかず、

「いいでしょう?〇〇で買ったんです。しかも、安かったんですよ」

すると相手は急に真顔になって、

「それはないやろ」

関西人でした。


一瞬絶句した彼は、呆れた顔をして、かと思ったら吹き出しました。
「しかも、安売りで買ったって得意そうに・・・本気か」

私は笑われてることに顔が赤くなって、しまった、と思いました。
しまった、見つかった。
なんとなく、言われたことの意味がわかったのでした。

「ないですか」

恐る恐る、でも期待を込めて、言った。「これ、ないですかねぇ。」
「全然似合ってないで」期待どおりのダメ押しが返ってきました。

その時の、図星をつかれた猛烈な恥ずかしさ。
と共に感じた、嬉しさとほっとした気持ちとを、今でもよく覚えています。
ああそうか、私は本当はずっと、誰かにそう言ってほしかったんだ、
と、そこでようやく自覚しました。


私の白ダウンを全否定した関西人は、自分こそ、しょっちゅう奇抜な格好ばかりしていました。
辺鄙な古着屋の隅っこの方のコーナーにある、さらに隅っこのもはや誰も選ばないような服。
店員すらその存在を忘れてて、買おうとしたらびっくりされるみたいな・・・
(と言うのは私の勝手なイメージだけれど)そんな服を愛しそうに着ていました。
しかもくやしいことにまた、それがよく似合ってた。
誰も彼の格好をばかにしないし、たとえそんな人がいたとしても、
彼は嬉しそうなのでした。ふふん、変だろう、と言わんばかりに。

そんな彼はまた、実は前々から、私の格好について褒めてくれていました。
センスがあるな、お洒落やな、と独り言のようにさり気なく、ぼそっと呟いてくれました。
言っておきますが、特に奇抜な格好もしていなければ、
ファッション誌だってほとんど読んだことのない私です。

田舎育ちで、目立たなくて、真面目で、人の目を引く顔立ちでもない・・・
昔から、そんな自分に全然自信がなかった。自分をお洒落だと思ったこともなかった。

このままでは、ありのままの自分ではだめな気だけがずっとしていました。
誰かに愛される自分に変わらなければいけないと、切実に思っていました。
だから、せめて人に好かれそうな服を着てみよう。
そう思ってしまった。
自分がその服を好きかどうかなんて、どうでもいいんだ。
そう思おうとした。

言い換えれば、私は私を信じるのをやめようとしていたんです。
自分が嫌で、いっそのこと自分であることを放り投げようとしていた。
なのに、彼は私が投げたそのボールを躊躇なく拾って、手加減なく、
思いっきりこちらに投げ返してきました。

「いや、別に白ダウンが悪いって言ってるわけじゃないで。
その店で買う人もいっぱいいる。それはそれでいい。
ただ、お前がそれを着るのは、違うやろ」
(関西弁が適当ですみません)

なんでセンスがあるのに妥協するのか、なんで自分を貫こうとしないのか。
まるでそう言われたようでした。
褒めてはいなかった。ただ責任をもてよ、と言われている気がした。この自分の人生に。
自信があろうがなかろうが、持って生まれてきたものをなかったことにするなよ、と。

年上だし、友達というとまた少し違う感じがする。もちろん恋人でもない。要は、バイトの先輩。
そんな彼が、他の誰よりも、いや私よりも、私を信じてくれた。
本人は、もちろんそんな意識はなかったと思うけれども。
本当はお洒落が好きだったこと。
実は自分では自分のセンスを愛してもいたこと。
そんなこと一度も口に出して言ってないけれども、どうしてだか認めてくれた変な人。

センスを貫け、適当なところで手を打つな、理由なく自分自身を好きでいろ、楽しめ!
そんなこと一度も口に出して言われてないけれども、
彼と関わったことで、私はもう何回も数えきれないほど、そんなメッセージを受け取りました。


結局、その飲み会の後、一度も着ることのないまま、私はその服を処分した。
そう言えば、この服着てるとき、全然楽しくなかったな・・・と、捨てる時に思いました。

それからもう何年も経ちますが、未だに一緒に飲む度にその話題になり、
「白ダウン」という単語が出るだけでもれなく彼は笑います。
一体いつまでからかうつもりなのかと私はふくれて、でもこっそり、とても嬉しい。


◇◆◇◆◇


「もし、ある日、会った人全員から”ねえ今日の服、変だね”って言われたらどうする?」

唯一の回答はこうでした。

「この俺のセンスがわからないなんて、なんて可哀想な奴らなんやろう!
 …と思いつつ、それはそれで嬉しい」

だからがんがん着続けるよ、と笑って。

「いいか、自分が好きな格好をしてたら、自分が好きそうな奴が寄ってくんねんで。
 だから、自分が本当に好きな格好をいつもしとけ、それでいい。」
(やっぱり関西弁が適当)

うっかりあの時の白ダウン的な思想に落ち入りそうな時、
つまり、他人の目を気にして何かをあきらめようとしたり、自分を信じられなくなりそうな時、
そんな彼の言葉が頭をよぎります。

そして私ももれなく笑ってしまう。
もうこれからは自分が好きな格好だけしよう。
二度とあんな服、あんな楽しくない服は着ないぞ、と思いながら。



◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇


白ダウンを持っている方、気分を害されたらごめんなさい。
ていうか、もし万一持ってたら、害されますよね…。ごめんなさい。
なんというか白ダウンはあくまでただの象徴なので、
大目に見ていただけると、ありがたいです。
(わたしが買ったの、安物だし。)

この話はもしかしたら共感は得られにくいかもしれないけれど、
それでも誰か一人の心にでも届いてくれたらいいな、と思って書きました。

「人間は、本当に自分のことをわかってくれる人が一人でもいたら、生きていける」

と、カウンセリングを教えてくれた先生が前に言っていました。
そういう話だと言ったらさすがに言い過ぎだと思うけれど、
ちょびっとだけ、そんな気持ちで書いてみました。

自分の好きな格好をするということは、
自分を大事にする第一歩だよな・・・と、今になってしみじみ思います。

2013年9月5日木曜日

得意と苦手のウソ



先日、あるところでこんな話を聞きました。


「得意だからってやらなくてもいいし、
 苦手だからってやめなくてもいい。」


どういうことかと言うと、まあ文字通りなんですが、

たとえ適性があると言われたからって、
それをする必要はないし、好きになる必要もない。
でも、下手でも自分がやりたいと思うことなら、
絶対にやり続けよう。

ということ。

言われてみたら私もははーん、と思い当たるところがあって、
以前に経理の部署にいたのですが、
自分では正直言って、その仕事があんまりピンとこなかった。

経理にいると伝票を通じていろんな部署の人と話すから、
そういうのは好きだったんです。
いかに怒らせず、プライドを傷つけず、不備のある領収証をつき返すか(笑)
相手によって一番効果的な対応を考えたりするのは、好きでした。

けれど、本当に肝心の経理的なこと・・・
簿記や会計処理の知識を身につけたり、財務諸表を読み込んだりするようなことが、
どうしても好きになれなかった。面白いと思えなかった。
もちろん、そこにいたらやらなきゃいけないから、やるんですが。

そんな気持ちとは裏腹に、もともと細かい作業が好きだったこともあり、
正直なところ、なぜか経理課の上司には気に入られていました。
いろんな人に、向いてるね、適性があるね、とも言われました。
だから、これでいいんだと思っていたわけです。

得意なことなんだから、やっていればいいんだ。
たとえそこまで好きなことじゃなくても・・・。


ん?

ちょっと待てよ。それっておかしくない??


そう思ったのはつい最近、冒頭の話を人に教わってからです。
驚くことに、今まで疑問にすら思ったことがなかったのです。


もちろん、好きなこと=得意なこと、なら何の問題もないわけです。
苦手なこと=嫌いなこと、ならね。
でも往々にして、面白いほど、逆の場合が多いね。

ここは大事なポイントですが、そもそも、
人間ほんとに興味のないことは、苦手とも思わないそうですよ。
(確かにわたしの場合、建築が苦手だ、とか、イタリア語が苦手だ、とか思わない…)


ないですか?


そんなに好きでもないんだけど、なんか人より出来るみたいだから
(そう他人に言われるから)
何となくやってること。

本当はすごく好きなんだけど、なんか人より上手く出来ないから
(そう自分で勝手に思って)
あきらめてること。


もう一度書いてみよう。


「得意だからってやらなくてもいいし、
 苦手だからってやめなくてもいい。」


そんなわけない?
でも、もし万一、本当にそうだったら・・・
なんだか、ワクワクしてきませんか?

私はします。


まあ、サラリーマンである以上、さすがに部署は勝手に動くわけにいかないけど、
自分で選べることはけっこうあるのかもしれない。


実は小さい頃から楽器コンプレックスがあって、
周りの子みたいに上手くできないから私には無理だ…
とずっと思っているのですが、
本当はギターが弾いてみたいんです。昔から。

絶対、苦手なんですけどね。
でも、やってみようかなあ。
と思い始めました。
今すぐは無理でも、いずれ。

少なくとも、苦手だけれど好きなことをやることを、
自分に許可するだけでも世界は変わるような気がしています。


You are my inspiration. thank you...

2013年9月2日月曜日

ことほぎをはじめます。



今日もこのページにお越しくださってありがとうございます!


このブログの頭についてる、「ことほぎ」…

れっきとした日本語ですが、あまり知られていない言葉かもしれません。

今日はちょっとだけそのお話。
もしかしたらちょっとだけマニアックかもしれないけど、ご容赦ください。


私がこの言葉を知ったのは、
芥川龍之介の小説『老いたる素戔嗚尊』からでした。
いや、もうマニアックだけど、ちょっと待って…

素戔嗚尊=スサノオノミコト、と読みます。
この名前なら聞いたことある方もいるのではないでしょうか。

天照大御神(アマテラスオオミカミ) の弟で、
そのあまりのやんちゃぶりを天照大御神が嘆いて、
天の岩戸に閉じこもってしまった…という話は有名。

ちなみにこの天の岩戸は今の宮崎県高千穂地方に本当にあって、
実は昨年末に行ってきました。
写真は神々が天照大御神をどうしたら岩戸から出せるか、
相談するために集まったとされる「天安河原」で撮ったもの。↓
(この圧倒的パワースポット感、伝わるでしょうか。)



芥川の小説は、そんなやんちゃだったスサノオが年老いてからのエピソードを、
古事記の記述を元に物語化したものです。

どんな物語だったかというと…
(できる限りはしょると)
暴れん坊だったスサノオも妻を亡くし、今は娘と二人暮らし。
そこにある日、一人の青年が迷いこんでくる。
即座に恋に落ちる青年と娘。
スサノオは当然認めず、青年を散々ひどい目に遭わせるが、
最後は手を取り合って逃げていく二人に、大きな笑いを送る。


”それから、——さもこらえかねたように、瀑(たき)よりも大きい笑い声を放った。
「おれはお前たちを(ことほ)ぐぞ!」
 素戔嗚は高い切り岸の上から、遙かに二人をさし招いだ。
「おれよりももっと手力(たぢから)を養え。おれよりももっと智慧を磨け。おれよりももっと、……」
 素戔嗚はちょいとためらった後、底力のある声で祝ぎ続けた。
「おれよりももっと仕合せになれ!」”



私は、芥川なんていう、国語の教科書に載ってるような人物の、
古めかしい上にかなりマイナーなこの話を読んで、
うっかり泣きかけました…。

老いていく父親と、これからの未来を担う二人の姿。
普遍的な人間ドラマがそこにはあって、
しかも最終的に娘たちの幸せを祝うスサノオ、
格好いい。潔い。

ことほぐ、という言葉の響きも美しい。
日本語には元々、言葉そのものに魂が宿る、
その指し示す意味だけではなくて、言葉自体が神聖なもの、
という考え方があったのだろうと思います。

言葉を贈ることが祝うことになる。

なんだかそれって、素敵だなー。
そんなわけで、どうせ毎日使うものなら、
呪いではなく祝いの力を言葉に乗せて届けたいと思っています。


You are my inspiration. thank you...

2013年9月1日日曜日

ブログをはじめました。


このページにお越しくださってありがとうございます!

本日から新しいブログをはじめました。


よくありそうでいて、考えてみるとどうして起きたのか不思議なことや、
なかなかなさそうで、意外によくあるような当たり前のこと。

ささやかな日常を、ゆっくり柔らかに綴っていけたらと思っています。


よろしくお願いいたします。


You are my inspiration. thank you...