その度に、両足につけられた板がぐわん、と弧を描く。
息を、吐く。
頭が真っ白になって、何も考えられない。
緊張もない。
ただこのスピードは止めない。
絶対に止めるもんか、とだけ決めて、
重力のままに下へ下へと落ちていく。
手の感覚もない。
棒の先が斜面に触れる時、少しの衝撃が身体を刺す。
ゴーグルの端から漏れてくる風が目を突いて、涙が出る。
視界がぼやけて、遠くで私を待っているはずの人たちの姿は見えない。
目に映るのは、ただただ真っ白な景色。
自分の頭の中だけじゃない。
世界そのものが、
時間が、
真っ白になってしまったようだった。
まるで宇宙がその全ての動きを止めて、
今この瞬間には、自分しか存在していないかのよう。
周囲がいやに静かで、
私はこんな状況にも関わらず、なぜかひどく落ち着いていた。
息を、吐く。
吐く息の音。
不意に足場が平らになったかと思うと、突然視界が開けた。
大勢の人がこちらに向かって手を振っているのが目に入る。
一時停止ボタンが解除されたかのように、音も戻ってきた。
たくさんの雑音に混じって、歓声が聞こえる。
審査員に向かってとっさに「ありがとうございました!」と叫ぶ。
その声は震えていた。
みんなが、同じチームのメンバーが、周りに駆け寄ってくる。
ちょっと恐かった先輩が、
私の頭をニット帽の上からぱーん、とはたいて、
「よくやった!」
と言ってニカッと笑った。
◆◇◆◇◆◇
緊張したり、何か外からの強い刺激を受けたりして、
「頭が真っ白になる」
ということってあると思いますが、
その先をもう少し突き抜けると、
やがて「真っ白な時間」のようなものがやって来る気がします。
上手く表現できないんだけど、
そしてそう数は多くないんだけれど、
わたしもこれまでの人生で何回か経験したことがあります。
一番記憶に残ってるのは、
大学時代にスキーの大会に出たときのこと。
基礎スキーというスポーツはさほどメジャーじゃないので、
わからない方も多いと思いますが、
ゲレンデの下の方に審査員が何人か座ってて、
選手は一人ずつそこに向かって滑っていきます。
その時の、まあ要するに「美しさ」に点数をつけて争う競技です(合ってるかな・・・)。
正確に言うと、種目、女子緩斜面小回り。
わたしの一番好きな種目で、
ここで点数とらなきゃいつとるの、という場面でした。
わたしはビビリで、スピードを出すのがいつもいつも苦手だった。
でも多少は加速をつけないと格好がつかない。
もう転んでもいいから、自分の限界速度のちょい上でいこう・・・
と決めてのぞんだ本番。
何点とったんだかさっぱり覚えてないけど、
とにかく転ばなかった。
どんな風に滑ったのかも完全に忘れたけど、
自分史上最良の滑りだ!と思ったことは覚えてる。
そしてあの時の、不思議な感覚・・・。
全ての物音が静まり返り、自分の呼吸だけが聞こえて、
世界に一人だけ取り残されているような気がした。
「真っ白な時間」としかたとえようのない、あの瞬間のこと。
今でもこうして文章にできるくらい、ありありと覚えています。
たまに、第六感というか、
いわゆる他人のエネルギー的な物を見分ける力の強い人に出会うと、
「頭、疲れるでしょう。
寝てても起きてても、ぐるぐるぐるぐる、
あなたは思考が止まらないのよね。」
というようなことを言われる場合があるのですが、
ああいう瞬間は、それが全てストップするんですよね。
何と言うか、
本来の生命の力を使って、
自分の中心に戻れるような・・・そんな感覚。
もっと単純に言えば、「集中」とかってことになるんでしょうかね。
つい先日、合気道の昇級審査を受けたときに、
あの時の感覚が少しだけ甦ってきたので、なんとなく書いてみました。
合気道の場合は技の受けをとってくれる人が目の前にいるんだけど、
それでも「この世に自分しかいない感覚」みたいなのが湧きます。
先生と自分しかいない感覚、のほうが正確かもしれないけど。
まー、大勢の前で何か審査されたり、司会したり、発表したりとかね・・・
緊張するし、ドキドキするし、恐いし、嫌なんだけど、
あの妙な静けさは、ちょっとクセになるんですよね(笑)
そういう瞬間を一つでも多く持つことが、
人生を豊かに生きるということなのかもな、
と思う今日この頃です。
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