2014年1月26日日曜日

未来からの電話が鳴ったら




ある本を読んでいたら、

「未来の自分から電話がかかってくる」

というシチュエーションがあって、
ちょっと面白いな、と思いました。


もしも、未来の自分からの電話が鳴ったら・・・。


どうするでしょう?
どんな気持ちになるんだろう?


どんなことを自分に伝えてくれるだろう?

まあ、イメージの世界の話だから、
何十年先でもいいし、なんならこの人生じゃなくても、
来世でも、来々々々…世でも、
どんな時点の未来でもいいんだけど、

例えばわかりやすく、
東京でオリンピックが開催される頃、なんかどうでしょう。


今から6年後。
2020年の自分と、
もしも電話が通じるとしたら、その魔法の電話機で、
どんなことを聞きたいと思います?


ちょっと一緒に考えてみません?


(ばかばかしい、と思っても、
 ありえないよ、と思っても、
 頭の中で考えるのは自由です!!!)




そうだなー、
わたしだったら、、



そっちのわたしは元気ですか?



今の仕事を続けていますか?



どこに住んでいますか?



どんな格好をしていますか?



結婚して、子供を産んでたりするんですか?



毎日笑っていますか?



幸せでいますか……?



こんな感じかな。。


あなたはどんな感じ……?


それに対して、未来の自分はどう答えてくれると思いますか。


何を聞いてもいいし、何を答えてもいいんですよ。
別に、正解はないからね。



それで、
これ、考えるだけでもなかなか楽しかったのですが、
やってる内にふと、こう思ったんです。



もしも、過去の自分から同じように電話がかかってきたら、
 わたしは彼女に何を言ってあげられるんだろう?


って。



同じく、6年前だとして。
もし2008年の自分からの電話が鳴ったら、どうしましょう?


(2020年は遥か彼方のことに思えるのに、
  2008年はついこの間のことな気がする不思議…。)


きっと超ビビりながら、ドキドキしながらかけてくるんだろうなあ。
聞きたいような恐いような、でもやっぱり聞きたくて仕方ないような、
熱っぽい手で受話器を握りしめて…


そんな彼女に、
わたしから言ってあげたいことを考えてみたんです。


そしたらこんな答えが浮かんできました。



「大丈夫。心配しなくていいよ。
こっちはなかなか面白いことになってるよ。

 
残念ながら、あなたが今、
期待しているような感じにはなってないけど(笑)、

こっちの世界はなかなかいいよ。

今のあなたよりも、自分のことをずっと好きになるよ。
少しだけ、前より楽に生きていけるようになるよ。

でもね、それは今あなたが思っているように、
自分のことを心から愛してくれる誰かが現れたり、
誰かに自分を認めてもらえたり、
友達と同じ環境を手に入れたり、
そういうことによって得られるものじゃないみたい。


もっとね、内側から起こるんだよ。


あと、わたしもけっこう最近知ったんだけど、

そのネガティブな考え、ぜんぶ誤解らしいよ(笑)

ちょっとだけよーく、周りを見てみて。
自分で思ってる以上に、あなたは愛されてる。
それはあなたの思ってる「愛」とは、
ちょっと違うかもしれないけれど。


もし何かやりたいと思ったら、全部やっておきな。
あなたはすぐにお金や時間の心配をするけど、
まあ、そういうのは、こっちでどうにかしとくから(笑)

大丈夫だよ。

誰かに馬鹿にされたり、理解されなくても、
やりたいことならやっていいんだよ。

そういう人たちは、無理に遠ざけなくても、
自然にあなたから離れていったりするよ。
その代わり、新しい出会いもあるよ。

変わらず側にいてくれる人もいるよ。


大きな地震とともに、世界も自分も、
いろいろ揺さぶられたりもするけどね。

でもね、結局は全部、いい方向に進んでいくよ。

大丈夫だよ。


だから、肩の力を抜いて、
そんなに思いつめないで、
心配しすぎないで、
リラックスして、
思いきり遊んで。

焦らないでゆっくりおいで。

愛してるよ。」



こんな感じ。

でも、これだと長くて通話料がかさむかもしれないから(笑)、
一言でまとめると、何度も出てきてますが、


大丈夫だよ。


って伝えてあげたいです。なんとなく。

あと「愛してるよ」かな。


なんだかこれ、一生懸命考えてみたら、
……泣けてきた(笑)


そして、6年後の自分も、
ちょっとニュアンスは変わっても、
結局同じことを伝えてくれようとするんじゃないのかな、
ってなんとなくわかりました。自分なだけに。


 「大丈夫だよ。

ってね。



最後に余談ですが、
ちょっとわたしのお気に入りの話を一つ。

作家のよしもとばななは小さい頃に目が悪く、
いつも眼帯をしていたそうです。

いいほうの目に眼帯をするときはほとんど世界が真っ暗、
失明に近い状態だったとか。

だからいいほうの目に眼帯をする場合、
その前に必ず「オバケのQ太郎」をむさぼり読んでたそうです。
すんごく好きだったそうです。

それで大人になって作家になって、
ある時ついに、藤子F先生と対談で会えたらしいんですね。
しかも自分の書いた本を先生が読んでくれていて、ほめてくれて、
もう嬉しくて死んでしまうかと思ったそうです。

それで、その体験についてこんなことを書いていました。

 ----
私は生きてきて何回か「これはかなり絶望的でもうだめなんじゃ」と大きいことから小さいことまで、実際的なことから精神的なことまで思うことがありましたが、なんとなく心に一点、ほのかに明るい点があって、それが堂々と「大丈夫」と言うのです。
 ----
(『夢について』吉本ばなな、幻冬舎文庫133頁より)

藤子先生に会って、死ぬほど嬉しい思いをした時、
彼女にはその明るい点が「未来の自分」の声だったんだ、
と思い当たったそうです。

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何より当の本人が、「ああ、三歳の私のところに行って、今はつらくてつまんなくて自分を投げ出したくても、大人になって本を書いて、それをQちゃんの作者が読んでほめてくれるよ、と言ってやりたい!」と強く強く思ったのです。
 こんなに強く思ったら、届くのではないかと私は思いました。
(略)
  ということは、今の私にエールを送っている未来の私がきっと存在するということで、何やら頼もしい話ではありませんか。
----
(同134ー135頁)


なんだかわたし、この話がとても好きです。

心に一点、ほのかに明るい点。

魔法の電話機がなくても、わたしにも感じられる。


ただこっちが聞こうとしてないだけで、
未来からの電話は、いつも鳴ってるのかもね。



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