2015年5月12日火曜日
ゆきんこ
連休中に、スキーに行っていました。
スキーって、準備とか、荷物を持っていくのとか、
毎回なかなか面倒に感じるのですが、
行ったら結局楽しくなっちゃって、
ついつい休むのも忘れて滑る滑る。
ふと思いました。
私、からだ動かすの好きなんだなあ。
たったそれだけのことなんだけれど・・・
じわり、新鮮な驚きが広がりました。
ひょっとするとそんなこと思ったの、初めてかも。
私は長年「運動おんちコンプレックス」を抱えており、
小学校のときから体育が嫌いで仕方がなかった。
走れば遅いわ、
クラスで長縄とべば引っかけるわ、
跳び箱もハードルも怖くて飛び越せなかった。
ドッチボールはそっこう標的にされる。
マット運動も鉄棒も・・・
その頃からですね、
「私 ≠ 運動」
っていう図式ができたの。
・・・あほですよね笑
バリバリ体育会系のサークル入って、
スキーの選手やって、
バレーボールもちょろっとやって、
キックボクシングとヨガかじって、
合気道はじめて、
そんな状況でなお、
「いやー、私運動が苦手で・・・」
って言い続けてたんです。
やってることだけ見たら、私以外の誰も信じないよ。
自分のイメージが完全に
「運動=苦手、できない、自分に関係ない」
だったから、
あんまり疑問を持ってなかったんですね。
苦手だけどなんかやっちゃうんだよな、くらいに思ってた。
いや、それ「好き」だから!!!
(しかもまあまあできとるがな!)
ようやく気づきました。。。
そう思いたくなかっただけなんだなあ。
思えば、不思議といつも私の周りには運動の得意な子がいて、
その子と比べて「ああなんてだめな私」なんて思ってたのですが、
そう思いたかっただけなんだなあ。
最近、自分には関係ないと思っていたことが、世界が、少しずつ広がっていく。
はやくも初夏を思わせるような強い日差しに、
雪も、長い長い間の思い込みも
ゆるゆる溶けていくようなお休みでした。
2015年4月18日土曜日
ピンチはチャンス。
昔、そんな言葉を口にした子がいたなあ。
と、ある女の子のことを思い出す。
真面目で頑張りやで、
人がいいからいつもちょっぴり損しがちだけど、
皆から愛されて、皆を愛せる強い人。優しい人。
私ではないですよ。笑
出会う人すべて自分の鏡というならば、私なんだけど。
わかってても、そう言うのもちょっぴりはばかられるような、素敵な子。
スキーの大会で予選落ちして落ち込んで、
そこから巻き返して別の大会で活躍した、んだったかな。
それで卒業の時に、この言葉を言っていた。
ピンチはチャンス。
あの時の悔しい体験からそれを学べた、と。
そうだよなー。いいこと言うなー。
って、頭では分かっていたけれど・・・
10年後、ふいに腑に落ちる。
たとえどんなにどれほどピンチと思える状況も、
(実は、その状況は自分がつくっているんだけれども)
実は、チャンス。
そういう場合もあるよね、じゃなくて、
いつも、チャンス。
自分の思い込みに気づいて、
勝手につくってしまった枠を超えていくための、
アタック・チャーーンス。(児玉清さん風に)
試練でも苦行でもないから、震えて進むこともない。
もっともっと楽になって、肩の力を抜いて、
子どものような顔して笑える自分になるために、
すべては天が与えてくれた
アタック・チャーーーンス。(児玉さんの真似をする博多華丸風に)
(25番にだって、きっとチャンス)
なんだかそんなことにね、気づきましたよ。
実際には震えながら進むこともあるけれども、
児玉さんでも華丸さんでもいいんだけど、まあそんなノリで、
超豪華景品付きの、決して外れないクイズに挑戦するように、楽しくいきたいね。
・・・稲葉さんも、いいこと言うなーー。↓↓
すべては、素晴らしいチャンス。
逃がさないで 逃げないで
胸の痛みと手をつないで 明日を迎えよう
イヤな問題 大損害 避けて通る人生なら論外
生きてるからしょうがない
楽になりたい 泣き出したい いつか今を軽く笑い飛ばしたい
なんとかなるよ
イカす男女なれるでしょう 切り抜ければ待ってる次のショー
トラブルは素晴らしいチャンス
心配ない 問題ない ないないザッツライフイッツオーライ
B'z 「Wonderful Opportunity」より。
https://kotohogibunko.blogspot.com/2015/04/blog-post.htmlピンチはチャンス。
2015年1月24日土曜日
123で目を覚ませ
昨日は1月23日・・・。
その少し前くらいからでしょうか、
ふと携帯を見た時、デジタル時計を見た時、電車を待つ時、
メールがきた時、送る時・・・
やけに「123」の数字の配列を見る機会が重なりました。
「ゾロ目の数字は天使からのメッセージ」
っていう話はよく聞くけど、
123はエンジェルナンバーだと
「 生活をシンプルにしてください。」
なんかピンとこない・・・。
でもなんとなく、なんか気になるんだよなー。
なんだろー。これなんだろーと思っていたら、
今日、ひょんなところで
「ひふみ神示」というものの存在を知りました。
ひふみ神示・・・
↓
日月神示
「日月神示は、神典研究家で画家でもあった岡本天明に「国常立尊」(別名、国之常立神)と呼ばれている高級神霊より自動書記によって降ろされたとされる神示である。」
(wikipediaから一部抜粋)
こういうのをオカルトと呼ぶ人もいるのかもしれませんが、
神話や民話、おとぎ話の類が生来の大好物である私は、
静かに興奮頂点に達し、しばしwikipediaを読み漁りました。
すると間もなく、とんでもないことに気づきました。
要するにこの「日月神示」、
岡本天明さんという人に天からのメッセージが突然降りてきて、
それを殴り書きしたもの、ということなのですが、
この、降りてきた場所。
千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)にある「麻賀多神社」
まじか!
図書館で見てたんですが、思わず声が出そうになりました。
めっちゃ地元。
しかも・・・
この間実家に帰った時に、
免許とりたてだった私はドライブがしたくて、
お父さんに助手席に乗ってもらって適当にその辺を走っていました。
そして別に特に目的地があったわけでもないのだけれど、
たまたま通った道の先に印旛沼があって、
たまたま入った小道に神社があって、
なんとなーくそこに寄りたくなって車を止めた。
その、神社。
そこが麻賀多神社でした(゜Д゜)
父も私も、成田市民歴は長いのですが・・・
行ったのはその日が初めてでした。
すぐ近くに有名な霊堂(宗吾霊堂)があるので、
そっちにはたまに行ったことがあるのですが。
その日その時まで、神社の存在も知りませんでした。
日月神示の内容を読むうち、
なんだかよく分からないけれど、心拍数があがり。
ふと昔見た「白い嵐」という映画の中で、
こんな台詞があったのを思い出しました。
「1、2、3、 WAKE UP!
1、2、3、 WAKE UP!」
なんだか自分の内側から、「起きて起きて!!」
って言われているような。
そんな感覚が湧いてくるのでした。
この世の、宇宙の真実を知りたい気持ち。
神秘的な世界に寄り添いたい気持ち。
もうそういうのが、ごまかしきれなくなってきたなあ。
2015年、いろいろありそうですねえ。
いずれにせよ全ては自分しだい。
本田健さんの言葉を借りると、
「コワワクワク」(恐いけれどワクワクしてもいる、の意)
しますね。笑
見てきたものや聞いたこと 今まで覚えた全部
でたらめだったら面白い そんな気持ちわかるでしょう
答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方
THE BLUE HARTS 「情熱の薔薇」より。
https://kotohogibunko.blogspot.com/2015/01/blog-post_24.html123で目を覚ませ
2015年1月18日日曜日
糸の話。
特に大した事件ではないし、
あえて言うほどのことでもなかったから、
今まであんまり人に話したことのない話。
数年前の、ある休日の朝のことです。
特に用事もなかった私は、ふと、あるカフェに行こう、と思い立ちました。
・・・
子どもの声で溢れるにぎやかな公園を奥へ奥へと歩いていくと、
突然、森の中に迷い込んでしまったかのような一角が現れます。
林道の中ほどに、そのカフェはぽつんと建っていました。
一軒家風の洒落たつくり。
ガラスの引き戸をそっと開けて中に入ってみると、
いい風合いの木机と椅子に、白いストーブ、うさぎの置き物……
そこはまるでおとぎ話のような素敵な空間で、
出されたハーブティーもとても美味しくて、
わたしは心の底からほっこり満足しました。
……すごくいい気分でそのカフェを出た後、
やっぱり特に用事もなかった私は、
そのまま何となく、駅前の古本屋さんに入りました。
特に何を探すでもなく、ぼんやり本棚を眺めていると、
ふと、一冊の本の背表紙が目に留まりました。
その辺によくありそうな、タレントのエッセイ本です。
何となく、最近この人テレビで見るよなー、と思って、
その本を手にとると、なんだか変な感じがしました。
いえ、実際には感じたのかもわからないような微かな、
誰かに髪の毛を一本だけ引っ張られたような、
ほんのささいな感覚だったと思う。
……?
そのままページをぱらぱらとめくっていくと、
そのタレントさんがどこかに座っている写真が出てきました。
そこでようやく。
あ。
ここ、さっきのカフェだわ。
と、
気がついたのでした。
ちゃんちゃん。
◆◇◆◇◆◇
……そう、その本に載っていた写真は、
直前まで自分がいた、あのカフェで撮影されたものだったのです。
(表紙の写真はぼやけていたので気づかなかった)
興味のある方はこちらご参照↓
童話に登場しそうな森のカフェ
タレントの本
◇◆◇
論理的には説明がつかない。
けれどよくよく考えると、不思議。
でもいちいちそんなことは気に留めない。
だって日常にはよくあることだから・・・。
この世界は意外にそんな出来事に満ちていて、
私のちっぽけな頭の理解を超えたところに何か、
とっても不思議で美しくて、精妙な世界が広がっているのかも。
街を歩けば同級生とすれ違ったり、
電車で顔を上げればやっぱり同級生が立っていたり。
(私の今の家は地元から離れているわけですが)
すごく嬉しいことがあって、感謝の心あふれて、
思わず神社にお礼参りに行ったら、
帰りにザッケローニ監督と同じ車両になったり。
(実話)
家を出るのがギリギリになって、
「いっそのこと電車が遅延してくれたら堂々遅刻できるのになあ」
と思っていたら本当に遅延して、
ふっと顔を上げたらちょうど電車の止まった位置に標識があって、
なぜかそこの土地には全然関係ないのに、
私が数日前から「行ってみたいなあ」と思ってた地名が書いてあったり。
(「HAKUSAN」と書いてあった…)
因果の糸。
きっとそこら中に張り巡らされているのだと思います。
見えないだけで。
そこにもここにも。錯綜している。
*写真は超変人で名高い南方熊楠の書いた「南方曼荼羅」です。
因果と縁の理を表しているとか。なんだかこの絵、好きです。
https://kotohogibunko.blogspot.com/2015/01/blog-post.html糸の話。
2014年12月29日月曜日
今、今、今。
早いもので、2014年も残りわずか。
毎年この時期に歳を重ねるもので、
自然と今年に起きたあれやこれやが胸を去来します。
思えばこの一週間も、忘年会やら何やらで、
色々なところでたくさんの方にお会いしましたが、
気づいたらほぼ全員、今年になってから知り合った方でした。
・・・そんな一年でした。笑
その中でたった2人、
十年前から知ってる人にも会いました。
このご縁は大事にしなさい、と言われている気がしました。
そんなわけでこれからもよろしく元悦(その人たちと一緒に働いたお店の名前)。
皆さんは、どんな一年でしたか?
私は、
「えっ、自分てこんな人だったの?!(驚)」
「今まで信じてきたことは何だったの(呆)」
「こんなに嬉しいことあっていいの(歓)」
「もう許されてもいいの(幸福←降伏?)」
「ちょ、まっ・・・(困)」
「ぎゃー!わー!えーん(泣・苛・怒・鬱)」
「よし進む、進むぞ!(奮)」
・・・みたいなことが繰り返し繰り返し、
起こり続けた一年だった気がします。笑。
いろいろ感じたことはあるのですが、
心のタンク満杯状態で、言葉にうまくまとめられない・・・
なので、今の私の思いを代弁してくれているというか、
どんぴしゃ!に共鳴している言葉を以下に紹介します。
もしかしたら、皆さんそれぞれの心にも、
何かしら響くものがあるかもしれません。
◆◇◆◇◆◇◆
「大丈夫だよ、倍音を聞くんだ。
たくさんの可能性がいろんな音で聞こえるけれど、
そのなかの一番美しい響きの部分を掬う。
ただアメさんが望むことだけじゃないよ。
誰かが望むことだったり、人類の望むことだったり、
生き物の望むことだったり、
アメさんを通して世界とつながろうとしている何かの意志だったりする。
その全てに耳を澄ませる。
そして、一番美しい響きの部分を掬う。
それが決然と判断するということだよ。
一番大きな音が正解とは限らない」
高梨ぽこ著 短編小説
「ふわっとした穴」より
少し前にたまたま入ったカフェで置いてあった言葉・・・。
ストーリー全然わかんないけど、なんかいいでしょう。笑
そうだよ、大きい音でなく、美しい響きをすくうんだよ。そうだよなあ。
倍音って、ちょっと今気になる言葉です。
◇◆◇◆◇
知ってんだよすねてひねくれてても
神様も誰もみてくれてねぇよ
自分の枠内カッコ内は
恥かかず楽だし格好はいいが
なんか無性にイライラ
実はもっと生きてえんだ今、今、今
さよなら さよなら
俺の嫌いなところだけ
いいとこ残し
今、過去からNEWDAY
掴みたい いつか見たい風景
つかみかける→確かめる→
間違えるの恐れて諦める
また逃したGOサイン
消えてくだけのドーパミン
そうそう覚悟ができるできないとか
未来とかあとは時代とか
使える言い訳は全部 使って
高い壁に全然ぶ つかってかない
第一印象に尾ひれつけては
大事に慎重にやってたって
同じ結果じゃん
いけるなら行っときな
get a chance!
KICK THE CAN CREW「Sayonara Sayonara」
いや〜、意外にラップだった。笑
今の心境表してくれるのラップだった。
昔から和歌の掛詞とか好きなんですけど、
ラップも同じ匂いを感じて・・・熱いですよねえ。
(オレンジのところ、韻がかかってます)
実はもっと生きてえんだ、今、今、今。
本当そう。
もう過去のことを言い訳にするのはいいや。
「あの時できなかったから・・・」
「こうやって育ったから・・・」
「今までの経験で考えられないから・・・」
飽きた!
頭で考えることに正解なんてない。
今までの自分がなくなってしまっても構わない。
変わりたい。
強く願って、飛び立つ時なんです。
(いちおう、聞いてみたい方のためにリンク貼っときます・・・けっこうげんき出る。)
◆◇◆
そんなわけで、今年も一年お世話になりました。
来年も、皆さまのもとに奇跡が降り注ぎますように。
いつでもそれをナイスキャッチできる私たちでありますように。
よき年になりますように。 ^^
https://kotohogibunko.blogspot.com/2014/12/blog-post_29.html今、今、今。
2014年12月16日火曜日
誰が決めたんですか?
あー、なんだ。なんだよー。
変われたつもりがちっとも変わってないや。
と、思うような出来事がつい最近あり・・・
自分史の中では、暗黒期(笑)のような時代をすり抜けて、
どんどん前に前に進んでいるような、
数年前の自分とは何もかもが違うような、
調子のよい時期をしばらく過ごしているような気がしていました。
が。
10代の頃から、いや子供の頃から・・・
いや、きっと魂的には何万年も前から・・・
同じような問題を自分で作り出して、同じようなことで悩んで、
つまずいて誤解して勝手にすねて。
何やってんだ私は。
と思わず自分突っ込みを入れつつ、
急に何もかもが振り出しに戻ってしまったような気がして、
ああ、やり方を変えてまた一からはじめなくちゃ。
一から・・・やり直せるのかなあ。
そんな弱音が心に浮かんだ時にふと、
昔聞いたある言葉を思い出しました。
ご存知の方も多いでしょうが、
「古畑任三郎」というドラマが昔ありまして。。
あの中ですごく印象深い回があったんです。
なんでかと言うと、珍しく誰も死ななかったから。
<津川雅彦演じる安斎という作家が、不倫している妻を犯人に仕立てるため、殺人を装って自殺をしようとしたが、旧友である古畑に見破られて自殺を思いとどまる>というラストシーン。
これが、10年経っても覚えてるくらい素晴らしいのです。
古畑 「自殺はいけません」
安斎 「全てを失うことは耐えられない・・・」
古畑 「また一からやり直せばいいじゃないですか」
安斎 「俺たちはいくつになったと思ってるんだ。もう振り出しには戻れん!」
古畑 「とんでもない!まだ始まったばかりです!いくらでもやり直せます!
よろしいですか。よろしいですか?
たとえ、たとえですね、明日死ぬとしても、
やり直しちゃいけないって誰が決めたんですか?
誰が決めたんですか?
・・・・・・まだまだこれからです」
またこの時の田村さんの演技が迫真で・・・
響くんですよね、未だに。
・・・・・・。
やり直しちゃいけないって誰が決めたんですか?
そうです、犯人は私です。。(つд⊂)
まだまだ、これからです。
最近ますます思うのですが、
言葉が人を救うことって、本当にありますよね。
◆◇◆◇◆◇
ちなみに、こっちは実話ですが、
少し前に中央線で可愛い子連れの一家を見かけました。
西へ西へと行こうとしていたようですが、
先へ進むためには電車を何度か乗り継がないといけません。
せっかく乗った電車を一駅で降りないといけなかったせいか、
乗り換えの時に子供が寂しげな顔をして、
子「またスタートに戻っちゃった…(´・ω・)」
すると、
母「少しずつだけど前に進んでるから大丈夫だよ(^ ^)」
め、名言。
きっと、そういうことが・・・
勝手にスタートに戻ったかのような気になってるけど、
実は進んでて、ただの乗り換えだった!なんてことが・・・
振り出しでもなんでもないのにこんなことで悲しむなんて、
おやおや困った子ね、って、
自分より視野の広い存在がそれをにこにこ眺めているようなことが・・・
あるかもなあ。
https://kotohogibunko.blogspot.com/2014/12/blog-post.html誰が決めたんですか?
2014年11月29日土曜日
「なくしたくなかったんだ。」
学生の頃、好きだった子の家に遊びに行ったら、変な音楽がかかってました。
上手いんだか下手なんだかよくわからないボーカルと、
南米の暗いロック?のような、それでいて日本の正統派ポップスのような、
時おり妙ちくりんな転調の入り交じる不可思議なメロディ。
「なんじゃこりゃ。」
それが第一印象。
それから大学を出て、いつしか好きだった子のことも忘れて、
数年が経過した頃・・・
2009年、よりによってクリスマス・イヴの日。
あの時のバンドのボーカル、志村正彦が急逝。
享年29歳。
バンドは活動停止となりましたが、それから数年後に復活。
残された3人のメンバーで、「フジファブリック」として、再び活動再開。
その数年ぶりのステージを生で見て、私の中の何かが変わり、今に至る。
そもそもフジファブリックというバンドは、山梨の「富士」吉田市で生まれ育った志村さんが友達と始めたバンド。メンバー交代、脱退を繰り返して、ようやく落ち着いたのがあの4人でした。
まるで中原中也のような端正な顔に、独特の表現力のある声。存在感。
作詞も作曲もほとんどが志村さんの手によるものでした。
月並みに表現すれば、天才。
そんな志村さんがつくったバンド。なのに志村さんがいない・・・
そんなとんでもないパラドックスを抱えながら、それでも再スタートを切った。
支えたのは、残った3人の才能と、ひとえに固い意志だったと思います。
新たなボーカルは、それまでギターを担当していた山内総一郎。
総くん。
彼の弾くギターは、不思議です。
テクニック的なことはよくわからないけど…
身体のどこか内側の響いてほしいところに、いつも、きちんと響く。
どんな音を鳴らしてほしいのか、自分でもよくわからないのに、鳴れば「そうそう、そこそこ!!」って思う。
精緻で美しい、しなやかな音を奏でる人です。
寡黙なギタリスト、という雰囲気だった彼が、今やれっきとしたシンガー。
同い年ということもあるかもしれないけれど、なんでかどうしても、他人と思えないんだよなあ。
◆◇◆◇◆◇◆
そんなフジファブリックの10周年記念武道館ライブに行ってきました。
これまであまり語ってこなかった志村さんの話を、ものすごく自然に、柔らかく、率直に話してくれた総くん。
なんでバンドを続けることにしたのか、最近ようやくわかった、と言っていました。
「大好きなんだな〜。フジファブリックのことも、志村くんのことも。
だから、なくしたくなかったんだ。」
シンプルな言葉に……泣きました。
志村さんのギターを持ってそんなん言われたら、泣くでしょ。
にくい演出のおかげで、蓋をしていたはずの感情が内から内から湧いてきて、ひたすら泣いてしまった。
悲しくて悲しくて。
でも、そのままちゃんと悲しみを感じ続けたら、それだけじゃないって思いました。
悲しいだけじゃない。歓びも感動も、同じようにここにある。
正直なところ、私にはまだよくわからないのです。
ある日突然、友達より濃い関係の存在が動かなくなること。
明日も当たり前に会えると思っていた人に、二度と会えないこと。
自分がその人のいた場所に立って、その人を好きだった人たちに向かって、その人の歌を歌うこと。
その場所で、新しい歌をつくり続けること。
それがどれほどの悲しみで、どれほどの勇気と覚悟の要ることか。
いくら想像してみても、同じ気持ちにはなれない。
でも、彼らを見てると、いつも思うのです。
「神は乗り越えられる課題しかその人に与えない。」
あの言葉は本当にそうなんだろうな、って。
あきらめるのはまだ早い。行き詰まったところが始まりです。
って。いつもそう教えてもらうのです。
ライブって、お金を払った方が一方的に恩恵をもらうものだと思っていたけれど、全然違う(何でもそうですね)。
演る方もまた、私たちからもらってるんだ。
与えて、受けとって。エネルギーは循環するもの。
お金でも音でも、愛でも。
「みんながいるから、歌うんだぜ〜!」
って、照れながら言っていたけれど、
あなたが歌うから、聴き続けるよ。
◇◆◇◆◇◆◇
最後の一曲・・・
会場全員でつくり上げた光の柱がずどーーん!!!
と武道館の天井を突き抜けて、瞬時に上空まで走り抜けて、
志村さんのいるところまであっさり届いているような気がしました。
・・・これって愛。
あのバンドと、その歌を聴きたくてたまらないファンの人たちと、
全ての関係者に、とびっきりの幸せが輝き降り続けますように。
なくさないでくれて、ありがとう。
東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ
「茜色の夕日」(フジファブリック/作詞作曲 志村正彦)
君の声はこだましてる 頭の中離れないよ
巡る思いは置いといて さあ行きますか
「STAR」(フジファブリック/作詞 山内総一郎・加藤慎一、作曲 山内総一郎)
https://kotohogibunko.blogspot.com/2014/11/blog-post_29.html「なくしたくなかったんだ。」
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