2014年7月25日金曜日
愛のしるし。
時間が少し空いてしまいましたが、
前回 にひき続き石垣島のお話。
石垣へと向かう飛行機の中で、
ちょうど、ある本を読んでいました。
『アミ 小さな宇宙人』
(エンリケ・バリオス著、2005年 徳間書店)
さくらももこの絵が表紙の、
小さな本です。
少年ペドゥリートの前に突然現れたUFOと、
アミと名乗る宇宙人との小さなお話。
甘いフルーツをたっぷり舌の中で味わうような、
素晴らしく贅沢な知恵のたくさん集まった、美しい本です。
「 石と思考は、異なった周波の”おなじもの”が振動したものなんだよ……」
「ふ〜ん。で、その”おなじもの”って、いったいなんなの?」
「愛だよ」
「ほんとうに?」
「そうだよ。みな、すべて愛なんだ。すべてが神なんだよ……」
(223頁)
ちょうどこの辺りまで読み終えた頃、
飛行機が石垣に到着。
そして、あの素晴らしい旅がはじまったのですが。。
ワークショップの2日目のこと。
呼吸法のワークをし終えた後、
宿から歩いて5分の市場へ昼食をとりに行きました。
深い呼吸で自分の中にある神聖なものと繋がって、
みんなすっかり顔が変わっています。
この感覚を大事にするために、
市場までは喋らないで歩いてみて、と、主催者からのお達し。
ひとりひとり微笑みの表情を浮かべ、
つかず離れずの距離で、
けれど静かに真昼の道を歩いていきます。
石垣の太陽は、猛烈な光ですべてを照らします。
きら、きら、きら。
東京とは確実に違う、濃い緑色をした木々たち。
鮮やかすぎて誰かがつくったかのような赤い花。
よくよく見るとサンゴたちで作られた通りの壁。
いつになく透き通った気持ちでこの世界を眺めていたら、
ふと、というか、
ようやく、というか、
気づいたことがありました。
ああ、なんだ、あの本に書いてあったことは本当なんだ・・・。
あれはたとえ話なんかじゃない・・・。
すべて愛なんだ。
この世界は、愛でできてるんだ。。
上手く言えないのですが、それは本当に微細な感覚で、
でも確かにその時わたしは、そう感じた。
頭で理解したのではなくて、ただただ感じていた。
木とか、葉とか、花、
サンゴ、土、米、お水、ピーマン、もずく天ぷら、
椅子、カメラ、Tシャツ、そしてわたしたち一人ひとりが・・・
異なる振動によってできているから、見た目はそれぞれ違うけれど、
実は全て同じ一つのものが振動してできたもの。
その、同じ一つのものとは、愛。
だから、本当はわたしたちは、愛そのもの。
こういうことを書くと、宗教っぽくとられるのが嫌で、
今までけっこうセーブしてきたのですが、もう仕方ない(笑)
この感覚を大事に生きていこう、とその時思いました。
もうごまかすのをやめよう。
自分の中の本当に神聖なものと、もっともっと繋がりたい。
もっとこの世界と仲良くしたい。
もっと愛したい。
この思いを人生の中心に据えて、生き直そう。
わたしは自分の人生を取り戻そう。
そんな決意がふっとわいたランチタイムでした。
暑い市場の中で食べたお弁当、ひときわ美味しかった。
あと少しだけ、石垣の話はつづきます。
------
「じゃ、ぼくも愛なの?……」
「とうぜんだよ。自分じしんのこと、さし示してごらん」
「よくわかんない、アミ」
「”ぼく”と自分のことを言うとき、自分のからだのどの部分を指さして言っている?”自分”と言って指さしてごらん」
自然に胸の中心を指さして”ぼく”と言っているのに気がついた。
(略)
「なぜならね、そこにほんとうのきみがいるんだよ。きみは愛だ。…」
(『アミ 小さな宇宙人』224頁より)
2014年7月15日火曜日
沈まない方法。
さて、旅の話のつづきです。
(前回はこちら→ 石垣島で仲間に出会う)
今回、感じたことが多過ぎて、
ほんとに何から書けばいいやら、って感じですが・・・
で、何しに行ったの?
っていう方は、よかったらこちらをどうぞ。
(主催者:河野美沙ちゃんのブログ→コウノミサのOH!はっぴ~でいず☆)
ワークショップの内容など、大事なところは彼女にまかせて、
わたしは本筋とは関係ない話を書いていきます(笑)
今回、人生で二度目のシュノーケリングをしました。
そもそも海に入るの自体、何年ぶり?!っていうくらいで、
泳ぎも得意じゃないし、恐々とシュノーケリングセットを装着・・・
「大丈夫!そんな難しくないから!」
「海の中に入ったら自然に浮くから!!」
という周りの言葉を信じて、
見よう見まねでエイッ!ともぐってみたら・・・
まー、沈む沈む(笑)
浮かないし!
ゴーグルからめっちゃ水入ってくるし!
こ、恐い!!(ヽ´Д`)
と、必死にもがく私に、
「あごを引いて、自分の呼吸の音に集中してみて。」
と教えてくれた人がいました。
みさちゃんの旦那様の こーちゃん こと、河野雅さん(ナイスガイ)。
そんなばかな、ただでさえ沈むのに、
下向いたらもっと沈むじゃん!
・・・と密かなる反発心を抱きつつ(笑)、
もうどうしようもないので言われたとおりにしてみました。
あごをぐっと引き寄せて、とにかく自分の呼吸を聞いてみる。
すー、はー。すー、はー。
・・・・・・。
し、沈んでない(?*´Д`*?)
不思議なことに、
別に何もしてないのに、呼吸してるだけなのに、
沈むどころかどんどん身体が軽くなって、
そのうち水中にぷかりと浮かびはじめました。
ああ、何もしてないのに楽ちんだ。。
(関係ないけど行きの道で亀がいたよ)
そこでふと、気づきました。
私、水中で周りの人を見過ぎてたんです。
どうやって泳いでるのか、今どこにいるのか、
自分は置いていかれないか、遅れていないか。
気になって気になって、
いつの間にか視線が上がって、あごが上がってたんですね。
そうすると自然に頭も上がるから、反対に腰部が落ちる。
スキーで言ったらへっぴり腰の状態です。
何の不思議なこともなく、そりゃ沈みますわ。。
そして、同時に思いました。
ああ、これは普段の自分だ・・・。
他人が気になって気になって、
自分と比べては焦って、置いていかれないかと必死ないつもの私。
だから沈むんだ(笑)
もっと楽に、もっと簡単に上手くいく方法がある。
あごを引いて、自分の呼吸に集中する。以上。
つまり、ただ、今ここで、自分と共にいる、ってこと。
こんな単純なこと・・・。
海の中で学んだ新しい方法を試すうち、
だんだんと慣れてきて、わたしは次第に楽しくなってきました。
鮮やかな青い小魚たち、
ニモのような黄色と黒の美しい縞模様、
時おり姿を現す大きな魚のような、あれは何だろ・・・
ひとりで夢中になっていたらゴーグルがごちんとぶつかって、
気配で仲間がすぐ近くにいるのがわかりました。
なんだ、必死に見ようとしなくても大丈夫だ。
私だけ置いていかれたりしないし、みんなここにいる。
そうだよ。
はじめから、焦る必要なんてなかったんだ。
だって、私たちはこの世界を一緒に楽しみにきたんだもの。
と、その時ようやく気づいたのでした。
(つづく)
ちなみに写真は私が撮ったものではなく、
全てこの旅のスーパーカメラマンによる作品です。感謝。
https://kotohogibunko.blogspot.com/2014/07/blog-post_15.html沈まない方法。
2014年7月10日木曜日
石垣島で仲間に出会う
先日、ひょんなことから沖縄に行った話を書きましたが・・・
(そのときの話はこちら→ 南の島で光に出会う)
まさかこんな短いスパンで、
今度は石垣島に行くことになろうとは(笑)
まあ、とは言っても、
今回の旅は前々から決まっていたことなのですが。
ご縁あって、友人夫妻の主催するワークショップに参加するため、
石垣島まで行ってきました。
オーラソーマプラクティショナーである友人と、
ライフコーチングを職業とする旦那様(愛妻家)
の織りなす優しい空気感に包まれて、
3泊4日、歓びの旅。
沖縄本島とはまた違う、むわっとした湿気と突き抜けた暑さ。
濃くも素朴。
とにかく暑いから、余計なことは考えられなくなって、
ただただいろんなことを、感じるままに感じていた気がします。
帰ってきて、感想がこんなに言葉にならない旅を、久しぶりにしました。
夢を見ていたような、夢から覚めてしまったような。
今回もたくさんの偉大なギフトをいただきましたが・・・
とりわけ素敵だったのは、
遠い昔にどこかの星で会っていたような、
仲間との出会い(再会?)がありました。
台風とも出会ったけど。
そして東京で再会したけど。笑
目だけで親愛の気持ちが伝わること、
触れ合えば温かくて気持ちいいこと。
知ってたのに忘れてた、
大事なことを思い出す旅となりました。
「学生じゃなくても、こういう旅、できるんだ・・・(´・ω・`)」
思わずボソッと呟いて、旅の間中みんなにいじられましたが、笑
本心だったんだもの。
この旅で得られた他のことも、
そのうち書けたらいいな、と思っています。
https://kotohogibunko.blogspot.com/2014/07/blog-post.html石垣島で仲間に出会う
2014年6月25日水曜日
使ってんのか、使われてんのか?
魔法みたいな沖縄への弾丸旅行から帰ってきて、一つ気づいたことがありました。
実は私、昔からSNS好きで、
最近は何かっていうとFacebookに投稿していたのですが・・・
あれ?なんか、別に書きたくないな??
書きたくないっていうか、書く必要を感じない?
綺麗な景色とか、特別な体験とか、
美味しいもの食べただとか友達に再会しただとか、
これまで本当に何かあっちゃー書いてたんですけどね、
それで「いいね!」とかコメントをちこちこチェックしてはニヤリとしてたんですけどね(笑)、
なんだか不思議と、いつもの気分にならなかったんです。
それで、気づきました。
ああ、これが、心から本当に満足するっていうことなんだ・・・。
満たされるってこういうことなんだ・・・。
頭のてっぺんからつま先まで、芯から幸せな気分が満ちると、
他人の承認とか、反応とか、全然いらないものなんだ。
そういう目で、馴染みのページを開いてみると、
Facebookは少し、今までとは違う見え方をするようになりました。
笑ってる写真も、面白そうな文章も、
怒ってるコメントも、悲しみの表情も、
どことなく、同じメッセージを発している。
「私を見てよ」
「私の話を聞いてよ」
「私、頑張ってるよ」
「ねえ、私を認めてよ」
「愛してよ・・・」
・・・いえ、いえ、
決して、心底決して、
Facebookに投稿してる人のことを貶めるつもりはありません。
ていうか、私もしてたし。今だって使ってるし。これからだって。
ただ、何となくそう感じたんです。
寂しいな、と思いました。
ありのままでいいはずなのになあ。
誰かと一緒にいなくても、どこかに行ったり特別な物を食べたりしなくても、
そんなに声を張り上げなくたって、あなたのこと、知ってるよ。
十分がんばってて、魅力的で、特別な存在だって、わかってるよ。
そういう声が、届かない。
いいね!とコメントを知らせる赤い文字に惑わされて、
あの青い画面いっぱいに、寂しい気持ちがただただ増幅していくようだ。
そんな気がしてきてしまった頃に、
Facebookについて、ある知人がこんな風に言いました。
「あれは、コミュニケーションするための道具なのか、
それとも我々はコミュニケーションさせられてるのか、
どっちなんでしょうね・・・。」
それを聞いてすぐに、
伊坂幸太郎の『砂漠』という小説に出てくるフレーズが浮かびました。
「『おまえたちは支配されてるのか?それとも命令してんのか?おまえたちは、前進してんのか、それとも後退してんのか?』そう言ってたでしょうが。それに対して、俺たちは、前進してるって言い切れますか?」
(伊坂幸太郎『砂漠』実業之日本社、26頁)
支配されてるのか?それとも命令してんのか?
前進してんのか、それとも後退してんのか?
私たちは、道具を使ってるのか?道具に使われてるのか?
自信、ないな・・・。
そう思った時、
いっそのこと、Facebookをやめようか、と迷いました。
正直なところ、今も迷っていますが。笑
そもそもね、そんなに人の近況知りたいのか、私。とか、
1対1では決して会うこともないであろう人と「繋がって」、
これほんとに楽しいのかな?とか、
いろいろ考え出すとキリがないんですよね。
でもまあ、便利なこともあるし、、と中途半端な私は、
とりあえずこのブログをFacebookに載せることだけやめて、
今までよりちょぴっとだけ遠回しに眺めるようになりました。 はは、微妙。
でも、実はそれさえも少し勇気の要ることだったのです。
それだけ使われちゃってた、ということなのでしょう。
そんな私に行動を起こすきっかけをくれた、
合気道の師範の言葉を最後に紹介します。
「気持ちを透明にして、宇宙から与えられた心のはたらきを邪魔しないようにしろ。」
あ、これ使ってたら透明にならないや、
と気づいたのでした。
もちろん、お仕事で使われてる方は、また別の話だと思います。
というか、趣味で使ってても、いいんですよ。個人の自由です。
あくまで私の場合の話でしたが、
投稿をやめたら、いちいちチェックする時間も減って、
なんだか時間が空きました。
空いた時間を使って、自分と繋がってみたり、
愛の歌を歌ったりしてみようかな、と思います。
https://kotohogibunko.blogspot.com/2014/06/blog-post_25.html使ってんのか、使われてんのか?
2014年6月13日金曜日
落ち込むのがお好き?
「ほんっと、落ち込むのが好きね〜。」
最近人から言われて、ガツーン!!!ときた言葉。。。
嫌味ではなく、悪意もなく、ただニコニコと、
その人は言いました。
「落ち込むの好きなんだねー。
なんでだと思う?」
「えっ(好きって・・・ひ、ひどい・・・)、
な、なんでかって??」
「そう。なんで落ち込むのが好きなんだと思う?」
突然予想外のことを言われてポカーンとしてしまって、
私が戸惑っていると、その人は言いました。
「だってさ、落ち込むって本当に無駄なことなんだよ。
わざわざそれをするってことは、それが好きだからしてるんだけど、
なんで好きなんだと思う?」
「・・・。」
しばらく頭の中でその言葉を整理して、
心の中に尋ねてみて、でも答えが出てこない。
というよりも、私、その答え、言いたくない。
なんでかわからないけど、言葉にしたくない。
いや、落ち込みたいわけじゃないんですよ。
そんなもん、好きなわけないに決まってる。
でもつい、落ち込んでしまうんだもの。しょうがないじゃない・・・
誰に対しての弁明なのか、
妙に言い訳めいたことを考えながら押し黙っていると、
見かねたのか、相手が口を開きました。
「落ち込みたくないのに落ち込んでしまう、っていうのはね、
まあ優しいというか、遠回しな言い方なんだけど、
変わりたくない、ってことなんだよね。要するに」
「変わりたくない、このままの自分でいい。
でもそれをそのまま言うのは、あまりにあからさま過ぎて、
さすがに恥ずかしいというか、気がとがめるんだよね。
だから、落ち込むっていうやり方を使うの。」
・・・!!!
いやこれは、、久々にガツンときましたね。。
何かについて落ち込む時、実際、人は何をしているのか?
反省したり、自分を責めたり。
その実、真にやってるのは、自分が変化するのを止めること。
ほら、やっぱり上手くいかないじゃない。
だめじゃない、私なんて。
やっぱり変わることなんてできないんだ・・・。
って言って、変わるのを諦めさせようとすること。
だって、恐いじゃないですか。変化って。
本当に変わっちゃったら、
変わる前の自分は消えちゃうんですよ。
今ここで変わりたい、って思ってる自分はどこかへ行って、
別のなんだかよくわからない存在になっちゃうかもしれない。
それは、恐いですよ。
誰だって消えたくないもの。
表面的な意識でどれだけ変わりたいと願っていても、
心の奥底の恐怖が邪魔するんですよね。
・・・っていうのは、知識としては知ってはいたけれども!!
やってたんかーい!!
と、目が覚めるような思いを味わいました。。
そして、私は落ち込むことをやめました。
簡単そうに言いますけど・・・
簡単でした(笑)
ただやめる、って決めちゃえばいいんです。
生きてれば、悲しいことも寂しいことも、辛いことも色々あります。
落ち込まないっていうのは、それを感じないようにするってことじゃない。
感じるのは全然OK。どんどん感じよう。
でも落ち込む必要ないんですよね。
どんなことが起きたとしても、どんな感情が湧いたとしても、
そこから落ち込むかどうかは、完全に自分が選べるんですよ。
この感覚、言葉でどこまで伝わるかわからないけれど・・・
本当に簡単なんですよ。
同じようなタイプの人は、今度落ち込みそうになった時、やってみてほしいなあ。
「私は今、落ち込むことができる。
でもそっちは選ばなーーい!!ぽーーーい!!!」
って言ってみてほしい、ぜひ。笑
そしたらどれだけ簡単なことだったのかがわかる、かも。
ただ、難しいことであってほしかっただけなのかもなあ。
もちろん、落ち込みたい人は落ち込んだって全然OKだし、
変わりたくない人はそのままでも全くOKです。
でも、私は変わりたい。変わる方の道を選びたいです。
そして、それは思うほど難しいことじゃない、という気がしています。
https://kotohogibunko.blogspot.com/2014/06/blog-post_13.html落ち込むのがお好き?
2014年6月7日土曜日
南の島で光に出会う
いくつかの不思議ないきさつから、
急きょ沖縄に行ってきました。
(説明がややこしいのではしょります)
向こうで、なんだか、すごい人に会いました。
光の固まり、みたいな。
スピリチュアルのスの字も出さないんだけど、
結果的に、誰よりもスピリチュアルを生きている。
(「を」ってところがたぶんポイント)
例えるなら、タモリさん。笑
タモリさんて、いざ一般人に気づかれると、
「わあ〜、まじタモリ!」
「タモリってほんとに生きてたんだ〜」
と驚かれるそうです。
そんな感じ。
いや、いるのは知ってたし、全然疑ってないんだけど、
いざ本当に会うと、「本当にいたんだー!」と間抜けにも思っちゃう、
そんな感じ。
今まで、心理学やスピリチュアル系の本、いろいろ読みましたが、
本当にそれをそのまま実践してる人に初めて会ったんです。
いや、本人は「実践してる」なんて意識はこれぽっちもないだろうけど。
結果的に、やることなすこと全て、その辺の本に「やりなさい」って書いてありそうな・・・
なんかね、本が手足つけて喋ってるような感じなんですよ。笑
そりゃあ、本当は人間は光の存在だとか、
常に与えるものを受け取ってるとか、
この世の全ては自分の意識が作り上げているとか、
ワクワクすることをすれば、必ず宇宙がサポートしてくれるとか、
そんなのは色んな本に書いてあるし、そういうセミナーだって行ったし、
知識としては当然知ってましたよ。もちろん疑ってもない。
でも、ここまでそうなんだとは思ってなかった。笑
それが新鮮で、頭と心はびっくりしているんだけれど、
魂の深い部分では、それが真実だということも、
彼女とはいつかの時代にどこかで会っていただろうことも知っていて、
再会を震えるほど喜んでいる。
そんな気がしました。
光の存在と出会って2日目、
車を飛ばしてもらって、沖縄北部の小さな島へ。
空と海との境界線があいまいで、
自分と他人、現実と夢、嘘と真実もあいまいになりそうな青い青。
ゴロンと横になって眺めていたら、
ああ、すべては魔法なんだな、と思いました。
先日の日記で「フラグルロック」という子供向け番組のことを書きましたが、
まさに、そうなんだな、と。
"Everything's magic, if you see it that way."
ああ、自分でよかった…!
私ったら、他人がうらやましくて、他人になろうとして!
危ないとこだった。
自分として、今、ここにいられてよかった。
深く深くそう思ったら、逆説的だけれど、だからこそ、
もうどんな自分にでも変われる。どこへでも行ける。
そう思いました。
その人の勧めもあって、沖縄から帰ってすぐに、車の免許をとることにしたわけです。
どこ行っちゃうんでしょうね〜〜笑
私の人生の今は、小説でいったら何章目くらいだろ。
先のことはまったくわからないけど、これからどんどん面白くなっていくところで、大事なことはまだまだこれから。
だといいな。
思い出してください。
本来、世界は魔法に満ちたものでした。
でも、みなさんはすでに学びました。「奇跡はあまり起きないのだ」と。
しかし本当は、あなたのまわりのすべてが、
奇跡に満ちたものだったのです。
『人生に奇跡を起こすバシャール名言集』㈱ヴォイス発行
翻訳・解説/本田健 166頁より
https://kotohogibunko.blogspot.com/2014/06/blog-post.html南の島で光に出会う
2014年5月31日土曜日
Be a driver.
東京に一人暮らししていたら、全く必要ないから。
という理由を盾にして、
この30余年、運転免許をとらずに生きてきました。
正確に言えば、昔、若気の至りでバイク(小型限定)の免許とったけど、
とってから一度も乗っていないという・・・(ほんとに若気の至り・・・)
前からなんとなく、そういう自分にどこか、居心地の悪さを感じていました。
大げさかもしれないけれど、
免許を持たないことで、どっか、何かから逃げてるような気がしてたんですね。
そう、思えば・・・
私は昔から助手席に乗るのすらあまり好きじゃなくて、
後部座席に座って、両親が何かやりとりしてるのを感じながら、
窓の外の景色を眺めてぼーっとしてるのが好きな子供でした。
行き先はおまかせ。行き方もおまかせ。
私には何の責任もなくて、寝たい時に寝ていてよくて、
ただ安全なシートに座って、全然関係ないことを考えてる。
関わっているようで、関わってない。
そこにいるけど、参加していない、という感じ。
子供時代の話だっただけなら、いいのだけれど。
どうやら、私のこのスタンスは、人生における基本的な態度になっちゃったみたいなんですね。
いつだったか、わりと仲のよかった上司(女性)と部署の問題について話していた時、
「なに他人事みたいな言い方してんのよ。あんたも当事者でしょう!」
と言われたことがあるのですが、まあ冗談ぽくだったんだけれども、
そう言われた時、内心めちゃくちゃ焦ったんですね。
「やばい!バレた!!」と。笑
いるようでいない。参加してない。
何の責任もとりたくない。リーダーになんてなりたくない。
そういう自分の態度が・・・
性格でもなく、まして個性でもなく、
単なる甘えで逃げだったと、ここのところ気づきました。
そして自然と思った。
ああ、免許とろう、と。
それで、すぐに教習所に資料を請求したのですが、
今月中ならかなりお得な割引キャンペーンの対象になることがわかり、
さっそく申込に行って、そのまま適性検査まで受けてきました。
思い立ってから、この間3日くらい。。
水瓶座の時代はスピードが命、というのは本当のようです。
皆さんも、思い立ったことは遅くとも48時間以内に行動を起こしましょうね。
「えー、でも、ちょっと検討してから・・・」とか言ってると、経験を逃します。
そういう時代です。
教習所の壁には
「助手席から卒業しよう。」という貼り紙。
今まで助手席にすら座ろうとしてこなかった私も、いよいよ運転デビューです。
自分の人生のハンドルを握るのは、いつだって自分なんですよね。
https://kotohogibunko.blogspot.com/2014/05/be-driver.htmlBe a driver.
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