2015年12月3日木曜日

ブログをお引越ししました。


いつもことほぎ文庫をお読みいただき、ありがとうございます!

こちらのブログは2015年11月を持って新たなサイトへお引越ししました。
新しいURLはこちらです

よかったら遊びにきてくださいませ。

ブログの移行に伴い、新たにことほぎ文庫のfacebookページも作成しました。
こちらも合わせてご覧ください。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

このブログを目にした全ての方に、
さらなる幸運がひらひらと輝き降りますように。


2015年10月8日木曜日

何か起きててほしかった?




帰ってきてからしばらく経ってしまいましたが、
9月に2週間ほど、小笠原へ行っていました。


唯一の交通手段である「おが丸」船に乗って、
東京から約25時間。

なかなか気軽に行ける場所ではありません。

イルカと泳いだり、
魚たちと泳いだり、
山の上から景色を眺めたり、
暗くなったら寝て、朝日が射したら起きる。


今、自分は夢を見ているのか、
 
それとも普段、自分が現実と思っている世界こそ夢だったのか。


いろんな境界線があいまいになって、
ずっと波の上で揺られているような、
誰かの絵本の中に閉じ込められたかのような
不思議な数日間でした。


(↑まん中の雲の形が龍みたい!)



とはいえ、
正直なところ・・・


わりとお休みをとりやすい職場ではあるのですが、
それでも、日本で働く普通の会社員(?)として、
2週間のお休みというのはけっこう勇気が要りました。

気持ちの整理はついていたはず。それでも、
いざ帰りの船に乗り、東京が近づくにつれ、
気持ちがざわつきはじめ・・・


こんなに長いお休みをとって、
いない間に何か起きてたらどうしよう。
誰かに迷惑がかかっていたら。
実はひんしゅくを買っていて、関係が悪くなっていたら。
ああどうしよう。


そんなことを思う必要はないんだ。
これは楽しみ尽くすことが苦手な私が自分で作ったいつもの罠だ。

と頭では分かっていつつも、押し寄せる不安・・・
をイメージの中で溶かしつつ、
帰ってきた翌日、久しぶりに出勤しましたところ。



何も起きてませんでした。


びっくりするくらい、呆れるほど、
本当に何も起きてなかったんです。


っていうか、
皆それほど私がいなかったことなど気にしていない・・・^^;


まるで昨日の夜まで普通に働いていて、
今日もいつものように来ました。おはよう。

っていうくらい、ものすごいスムーズに復帰しました。
時空が歪んでワープしたんじゃないかと思うほどの普通ぶり。

しいていえば、みんな小笠原に興味をもってくれて、
いつか私も行きたいな!みたいな会話が多少あった程度で。。



そこでようやくはたと、しみじみと、気づきました。


ああ、私、何か起きててほしかったんだなあと。



「ごめんなさい、私がいなかったせいで!!」
「私ばかりが楽しい思いをした報いです!!」

って言いたかったんだなあと。


普段は心優しき隣人のように寄り添って、
決して正体を悟られぬよう巧妙に身を隠す。
そうして私の人生をひっそりと、でも堅牢に支配している。

空しきもの。

汝の名は、罪悪感



・・・というわけで、
自分のけっこう根っこのところに罪悪感があるんだなあ、
ということに気づいた、という話でした。

そこから生み出される恐れや不安がいかに真実っぽくても、
まぬけなくらい幻想なんだなあ・・・。
ということも実感しました。



そして、久々に仕事へと戻ったその日、
ちょうど一ヶ月ぶりに私の元へ、ある男の子が訪ねてきたのですが、
それはまた、別の話。

(つづく・・・かも?笑)


2015年9月7日月曜日

そういう人生だった、ってことだよ




もう何年も前になりますが、
「Sweet Season」というドラマがありました。


♪マーリーンルージュで愛されて
大黒埠頭で虹を見て
シーガーディアンで酔わされて
ま~だ~離れたくな~い♪


っていうサザンの曲が主題歌だったドラマです。
(知ってる人いるかな・・・)


けっこうドロドロした不倫の話だった気がするけど笑、
まあ詳しいあらすじは忘れちゃいましたが、
ひとつだけ、妙に今でも覚えているところがあります。


「人生狂っちゃうよ!」という松嶋菜々子に、

人生は狂わない。ただ、そういう人生だった、ってことだよ。
 そういう人生は嫌か?」

と答えた椎名桔平の台詞。



ふと浮かぶんです。



何かしら大事な決断をしなくてはならない時。


「こっちを選んだら大変なことになるんじゃないか・・・」

「これまでの人生台無しになるんじゃ・・・」

「道を踏み外すんじゃ・・・」


と、弱気な(くせに大きな)内側の声が聞こえてきた時に、


そういう人生だった、ってことだよ


って。
ですよね、と思うと少し、肩の力が抜けます。
まー、そもそも狂うほどの正常な人生なんてどこにもないですし。。



何かしら大事な選択をしなくてはならない時。

なんとなく最近、


「もし、何の心配もなかったとして。」


「お金の不安も、先々の心配もまったく必要ないとして。」


「全てが絶対に上手くいくようになっていて、」


「どっちを選んだとしても超最高の成功が100%保証されている。」


「ということをあなたは1000%知っている。」


だとしたら、どっちを選ぶ?


・・・と、自分自身に問いかけるようにしています。


そうして見えてきちゃった本心が、
どれだけ現実の自分に都合が悪くても、
えいやっと肚据えて選んだら、
そう悪いことにはならないんだと思います。

狂う・狂わないでいうと、狂わない。笑

意外にどうにかなるもんだ、と思うことのほうが多いし、
そう思うたびに人に優しくなれるような気がします。



・・・ひょっとしたら、この世界は

今まで思っていた以上に、なんとかなるようにできていて
今まで知っていた以上に、美しくて

私や私たちは、もっとこの世界にくつろいでもいいんじゃないかって

遅いけど、ようやく思いはじめたところです。



2015年7月29日水曜日

みんながしくじり先生




最近あんまりテレビを観なくなったのですが、
「しくじり先生」という番組だけは妙に好きで、
ついyoutubeで見ちゃいます。

いろいろ「しくじった」芸能人が先生役になって、
授業をするというこの番組。

面白いだけじゃなくて惹きつけられるのは、
間違えたことのある人って魅力的なんです。たぶん。

失敗しないように、
失敗しないように、
って生きてるけど、

案外失敗しても人ってどうにかなるんだな。
誰かの間違いが人を救うこともあるんだな。

って思えるので、この番組はすごいと思います。


オリエンタルラジオのあっちゃんが先生だった時、
(彼は若手芸人の時に売れて天狗になりすぎて、
 出演番組がすべて打切りになったのですが)
腹の底からこう叫んでました。笑



しくじらないで生きていける人間なんているのか!?
 俺たちみんなが、しくじり先生なんだよ!!



笑えるんだけど、なぜかズシンとくる・・・。



かくいう私もいろいろしくじってます。


思ったより自分はできないやつで、嫌なやつだった。

今までしくじりたくなさすぎて、そこ見ないようにしてました。


開き直るのも違うけれど、
ようやくそれを認めたら、
夕焼けの空を美しいと思える時間とか、
苦い物を苦いと感じる感覚とかが、ほんとに久しぶりに戻ってきました。


思ったより終わりじゃなかった、と思いました。


大事なのはしくじらないことではなくて、
そこからどうするか、何を選択するかなのだと思う。
望めば続きはあるから。






もっとドジをふめ
自分を好きになれ
げにしょーもないこともいいじゃない
どんと来い

ウルフルズ「それが答えだ!」



2015年5月12日火曜日

ゆきんこ




連休中に、スキーに行っていました。

スキーって、準備とか、荷物を持っていくのとか、
毎回なかなか面倒に感じるのですが、
行ったら結局楽しくなっちゃって、
ついつい休むのも忘れて滑る滑る。


ふと思いました。



私、からだ動かすの好きなんだなあ。



たったそれだけのことなんだけれど・・・


じわり、新鮮な驚きが広がりました。
ひょっとするとそんなこと思ったの、初めてかも。



私は長年「運動おんちコンプレックス」を抱えており、
小学校のときから体育が嫌いで仕方がなかった。
走れば遅いわ、
クラスで長縄とべば引っかけるわ、
跳び箱もハードルも怖くて飛び越せなかった。
ドッチボールはそっこう標的にされる。
マット運動も鉄棒も・・・



その頃からですね、
「私 ≠ 運動」
っていう図式ができたの。

  
・・・あほですよね笑


バリバリ体育会系のサークル入って、
スキーの選手やって、
バレーボールもちょろっとやって、
キックボクシングとヨガかじって、
合気道はじめて、

そんな状況でなお、
「いやー、私運動が苦手で・・・」
って言い続けてたんです。
やってることだけ見たら、私以外の誰も信じないよ。


自分のイメージが完全に
「運動=苦手、できない、自分に関係ない」
だったから、
あんまり疑問を持ってなかったんですね。

苦手だけどなんかやっちゃうんだよな、くらいに思ってた。



いや、それ「好き」だから!!!

(しかもまあまあできとるがな!)



ようやく気づきました。。。

そう思いたくなかっただけなんだなあ。


思えば、不思議といつも私の周りには運動の得意な子がいて、
その子と比べて「ああなんてだめな私」なんて思ってたのですが、


そう思いたかっただけなんだなあ。


最近、自分には関係ないと思っていたことが、世界が、少しずつ広がっていく。


はやくも初夏を思わせるような強い日差しに、
雪も、長い長い間の思い込みも
ゆるゆる溶けていくようなお休みでした。






2015年4月18日土曜日

ピンチはチャンス。


昔、そんな言葉を口にした子がいたなあ。
と、ある女の子のことを思い出す。


真面目で頑張りやで、
人がいいからいつもちょっぴり損しがちだけど、
皆から愛されて、皆を愛せる強い人。優しい人。


私ではないですよ。笑

出会う人すべて自分の鏡というならば、私なんだけど。
わかってても、そう言うのもちょっぴりはばかられるような、素敵な子。


スキーの大会で予選落ちして落ち込んで、
そこから巻き返して別の大会で活躍した、んだったかな。
それで卒業の時に、この言葉を言っていた。


ピンチはチャンス。


あの時の悔しい体験からそれを学べた、と。
そうだよなー。いいこと言うなー。
って、頭では分かっていたけれど・・・



10年後、ふいに腑に落ちる。



たとえどんなにどれほどピンチと思える状況も、
(実は、その状況は自分がつくっているんだけれども)


実は、チャンス。


そういう場合もあるよね、じゃなくて、


いつも、チャンス。


自分の思い込みに気づいて、
勝手につくってしまった枠を超えていくための、


アタック・チャーーンス。(児玉清さん風に)


試練でも苦行でもないから、震えて進むこともない。

もっともっと楽になって、肩の力を抜いて、
子どものような顔して笑える自分になるために、
すべては天が与えてくれた



アタック・チャーーーンス。(児玉さんの真似をする博多華丸風に)




(25番にだって、きっとチャンス)



なんだかそんなことにね、気づきましたよ。

実際には震えながら進むこともあるけれども、
児玉さんでも華丸さんでもいいんだけど、まあそんなノリで、
超豪華景品付きの、決して外れないクイズに挑戦するように、楽しくいきたいね。



・・・稲葉さんも、いいこと言うなーー。↓↓
すべては、素晴らしいチャンス。




逃がさないで 逃げないで
胸の痛みと手をつないで 明日を迎えよう
イヤな問題 大損害 避けて通る人生なら論外
生きてるからしょうがない

楽になりたい 泣き出したい いつか今を軽く笑い飛ばしたい
なんとかなるよ

イカす男女なれるでしょう 切り抜ければ待ってる次のショー
トラブルは素晴らしいチャンス
心配ない 問題ない ないないザッツライフイッツオーライ


B'z 「Wonderful Opportunity」より。



2015年1月24日土曜日

123で目を覚ませ




昨日は1月23日・・・。


その少し前くらいからでしょうか、
ふと携帯を見た時、デジタル時計を見た時、電車を待つ時、
メールがきた時、送る時・・・

やけに「123」の数字の配列を見る機会が重なりました。





「ゾロ目の数字は天使からのメッセージ」
っていう話はよく聞くけど、

123はエンジェルナンバーだと
「 生活をシンプルにしてください。」
なんかピンとこない・・・。

でもなんとなく、なんか気になるんだよなー。
なんだろー。これなんだろーと思っていたら、
今日、ひょんなところで
「ひふみ神示」というものの存在を知りました。


ひふみ神示・・・

 ↓

日月神示


日月神示は、神典研究家で画家でもあった岡本天明に「国常立尊」(別名、国之常立神)と呼ばれている高級神霊より自動書記によって降ろされたとされる神示である。」
(wikipediaから一部抜粋)



こういうのをオカルトと呼ぶ人もいるのかもしれませんが、
神話や民話、おとぎ話の類が生来の大好物である私は、
静かに興奮頂点に達し、しばしwikipediaを読み漁りました。

すると間もなく、とんでもないことに気づきました。


要するにこの「日月神示」、
岡本天明さんという人に天からのメッセージが突然降りてきて、
それを殴り書きしたもの、ということなのですが、
この、降りてきた場所。


千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)にある「麻賀多神社」


まじか!


図書館で見てたんですが、思わず声が出そうになりました。


めっちゃ地元。


しかも・・・


この間実家に帰った時に、
免許とりたてだった私はドライブがしたくて、
お父さんに助手席に乗ってもらって適当にその辺を走っていました。

そして別に特に目的地があったわけでもないのだけれど、
たまたま通った道の先に印旛沼があって、
たまたま入った小道に神社があって、
なんとなーくそこに寄りたくなって車を止めた。

その、神社。

そこが麻賀多神社でした(゜Д゜)


父も私も、成田市民歴は長いのですが・・・
行ったのはその日が初めてでした。
すぐ近くに有名な霊堂(宗吾霊堂)があるので、
そっちにはたまに行ったことがあるのですが。
その日その時まで、神社の存在も知りませんでした。


日月神示の内容を読むうち、
なんだかよく分からないけれど、心拍数があがり。


ふと昔見た「白い嵐」という映画の中で、
こんな台詞があったのを思い出しました。



1、2、3、 WAKE UP!
 1、2、3、 WAKE UP!


なんだか自分の内側から、「起きて起きて!!」
って言われているような。
そんな感覚が湧いてくるのでした。


この世の、宇宙の真実を知りたい気持ち。
神秘的な世界に寄り添いたい気持ち。
もうそういうのが、ごまかしきれなくなってきたなあ。


2015年、いろいろありそうですねえ。

いずれにせよ全ては自分しだい。

本田健さんの言葉を借りると、
「コワワクワク」(恐いけれどワクワクしてもいる、の意)
しますね。笑





見てきたものや聞いたこと 今まで覚えた全部
でたらめだったら面白い そんな気持ちわかるでしょう
答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方

THE BLUE HARTS 「情熱の薔薇」より。


2015年1月18日日曜日

糸の話。




特に大した事件ではないし、
あえて言うほどのことでもなかったから、
今まであんまり人に話したことのない話。


数年前の、ある休日の朝のことです。

特に用事もなかった私は、ふと、あるカフェに行こう、と思い立ちました。

・・・

子どもの声で溢れるにぎやかな公園を奥へ奥へと歩いていくと、
突然、森の中に迷い込んでしまったかのような一角が現れます。

林道の中ほどに、そのカフェはぽつんと建っていました。

一軒家風の洒落たつくり。
ガラスの引き戸をそっと開けて中に入ってみると、
いい風合いの木机と椅子に、白いストーブ、うさぎの置き物……

そこはまるでおとぎ話のような素敵な空間で、
出されたハーブティーもとても美味しくて、
わたしは心の底からほっこり満足しました。


……すごくいい気分でそのカフェを出た後、

やっぱり特に用事もなかった私は、
そのまま何となく、駅前の古本屋さんに入りました。

特に何を探すでもなく、ぼんやり本棚を眺めていると、
ふと、一冊の本の背表紙が目に留まりました。

その辺によくありそうな、タレントのエッセイ本です。

何となく、最近この人テレビで見るよなー、と思って、
その本を手にとると、なんだか変な感じがしました。

いえ、実際には感じたのかもわからないような微かな、
誰かに髪の毛を一本だけ引っ張られたような、
ほんのささいな感覚だったと思う。


……?


そのままページをぱらぱらとめくっていくと、
そのタレントさんがどこかに座っている写真が出てきました。

そこでようやく。

あ。


ここ、さっきのカフェだわ。


と、

気がついたのでした。


ちゃんちゃん。



◆◇◆◇◆◇


……そう、その本に載っていた写真は、
直前まで自分がいた、あのカフェで撮影されたものだったのです。
(表紙の写真はぼやけていたので気づかなかった)

興味のある方はこちらご参照↓

童話に登場しそうな森のカフェ

タレントの本


◇◆◇


論理的には説明がつかない。

けれどよくよく考えると、不思議。
でもいちいちそんなことは気に留めない。
だって日常にはよくあることだから・・・。


この世界は意外にそんな出来事に満ちていて、
私のちっぽけな頭の理解を超えたところに何か、
とっても不思議で美しくて、精妙な世界が広がっているのかも。



街を歩けば同級生とすれ違ったり、
電車で顔を上げればやっぱり同級生が立っていたり。
(私の今の家は地元から離れているわけですが)


すごく嬉しいことがあって、感謝の心あふれて、
思わず神社にお礼参りに行ったら、
帰りにザッケローニ監督と同じ車両になったり。
(実話)


家を出るのがギリギリになって、
「いっそのこと電車が遅延してくれたら堂々遅刻できるのになあ」
と思っていたら本当に遅延して、
ふっと顔を上げたらちょうど電車の止まった位置に標識があって、
なぜかそこの土地には全然関係ないのに、
私が数日前から「行ってみたいなあ」と思ってた地名が書いてあったり。
(「HAKUSAN」と書いてあった…)



因果の糸。


きっとそこら中に張り巡らされているのだと思います。
見えないだけで。


そこにもここにも。錯綜している。




*写真は超変人で名高い南方熊楠の書いた「南方曼荼羅」です。
因果と縁の理を表しているとか。なんだかこの絵、好きです。




2014年12月29日月曜日

今、今、今。






早いもので、2014年も残りわずか。

毎年この時期に歳を重ねるもので、
自然と今年に起きたあれやこれやが胸を去来します。


思えばこの一週間も、忘年会やら何やらで、
色々なところでたくさんの方にお会いしましたが、
気づいたらほぼ全員、今年になってから知り合った方でした。
・・・そんな一年でした。笑


その中でたった2人、
十年前から知ってる人にも会いました。
このご縁は大事にしなさい、と言われている気がしました。
そんなわけでこれからもよろしく元悦(その人たちと一緒に働いたお店の名前)。



皆さんは、どんな一年でしたか?


私は、

「えっ、自分てこんな人だったの?!(驚)」

「今まで信じてきたことは何だったの(呆)」

「こんなに嬉しいことあっていいの(歓)」

「もう許されてもいいの(幸福←降伏?)」

「ちょ、まっ・・・(困)」

「ぎゃー!わー!えーん(泣・苛・怒・鬱)」

「よし進む、進むぞ!(奮)」

・・・みたいなことが繰り返し繰り返し、
起こり続けた一年だった気がします。笑。


いろいろ感じたことはあるのですが、
心のタンク満杯状態で、言葉にうまくまとめられない・・・

なので、今の私の思いを代弁してくれているというか、
どんぴしゃ!に共鳴している言葉を以下に紹介します。

もしかしたら、皆さんそれぞれの心にも、
何かしら響くものがあるかもしれません。


◆◇◆◇◆◇◆


大丈夫だよ、倍音を聞くんだ。
たくさんの可能性がいろんな音で聞こえるけれど、
そのなかの一番美しい響きの部分を掬う。
ただアメさんが望むことだけじゃないよ。
誰かが望むことだったり、人類の望むことだったり、
生き物の望むことだったり、
アメさんを通して世界とつながろうとしている何かの意志だったりする。
その全てに耳を澄ませる。
そして、一番美しい響きの部分を掬う。
それが決然と判断するということだよ。
一番大きな音が正解とは限らない」


高梨ぽこ著 短編小説
「ふわっとした穴」より

少し前にたまたま入ったカフェで置いてあった言葉・・・。
ストーリー全然わかんないけど、なんかいいでしょう。笑
そうだよ、大きい音でなく、美しい響きをすくうんだよ。そうだよなあ。

倍音って、ちょっと今気になる言葉です。


◇◆◇◆◇


知ってんだよすねてひねくれてても
神様も誰もみてくれてねぇよ
自分の枠内カッコ内
恥かかず楽だし格好はいい
なんか無性にイライラ
実はもっと生きてえんだ今、今、今

さよなら さよなら
俺の嫌いなところだけ
いいとこ残し
今、過去からNEWDAY
掴みたい いつか見たい風景

つかみかける→確かめる
間違えるの恐れて諦める
また逃したGOサイン
消えてくだけのドーパミン
そうそう覚悟ができるできないとか
未来とかあとは時代とか
使える言い訳は全部 使って
高い壁に全然ぶ つかってかない
第一印象に尾ひれつけては
大事に慎重にやってたって
同じ結果じゃん
いけるなら行っときな
get a chance

KICK THE CAN CREW「Sayonara Sayonara」


いや〜、意外にラップだった。笑
今の心境表してくれるのラップだった。


昔から和歌の掛詞とか好きなんですけど、
ラップも同じ匂いを感じて・・・熱いですよねえ。
(オレンジのところ、韻がかかってます)



実はもっと生きてえんだ、今、今、今。

本当そう。



もう過去のことを言い訳にするのはいいや。

「あの時できなかったから・・・」
「こうやって育ったから・・・」
「今までの経験で考えられないから・・・」

飽きた!
頭で考えることに正解なんてない。

今までの自分がなくなってしまっても構わない。
変わりたい。


強く願って、飛び立つ時なんです。


(いちおう、聞いてみたい方のためにリンク貼っときます・・・けっこうげんき出る。)




◆◇◆


そんなわけで、今年も一年お世話になりました。

来年も、皆さまのもとに奇跡が降り注ぎますように。
いつでもそれをナイスキャッチできる私たちでありますように。

よき年になりますように。 ^^



2014年12月16日火曜日

誰が決めたんですか?






あー、なんだ。なんだよー。

変われたつもりがちっとも変わってないや。


と、思うような出来事がつい最近あり・・・

自分史の中では、暗黒期(笑)のような時代をすり抜けて、
どんどん前に前に進んでいるような、
数年前の自分とは何もかもが違うような、
調子のよい時期をしばらく過ごしているような気がしていました。


が。


10代の頃から、いや子供の頃から・・・

いや、きっと魂的には何万年も前から・・・

同じような問題を自分で作り出して、同じようなことで悩んで、
つまずいて誤解して勝手にすねて。


何やってんだ私は。


と思わず自分突っ込みを入れつつ、
急に何もかもが振り出しに戻ってしまったような気がして、
ああ、やり方を変えてまた一からはじめなくちゃ。
一から・・・やり直せるのかなあ。



そんな弱音が心に浮かんだ時にふと、
昔聞いたある言葉を思い出しました。



ご存知の方も多いでしょうが、
「古畑任三郎」というドラマが昔ありまして。。


あの中ですごく印象深い回があったんです。
なんでかと言うと、珍しく誰も死ななかったから。


<津川雅彦演じる安斎という作家が、不倫している妻を犯人に仕立てるため、殺人を装って自殺をしようとしたが、旧友である古畑に見破られて自殺を思いとどまる>というラストシーン。

これが、10年経っても覚えてるくらい素晴らしいのです。





古畑 「自殺はいけません」

安斎 「全てを失うことは耐えられない・・・」

古畑 「また一からやり直せばいいじゃないですか」

安斎 「俺たちはいくつになったと思ってるんだ。もう振り出しには戻れん!」

古畑 「とんでもない!まだ始まったばかりです!いくらでもやり直せます!
よろしいですか。よろしいですか? 
たとえ、たとえですね、明日死ぬとしても、 
やり直しちゃいけないって誰が決めたんですか? 
誰が決めたんですか?
・・・・・・まだまだこれからです」



またこの時の田村さんの演技が迫真で・・・
響くんですよね、未だに。



・・・・・・。


やり直しちゃいけないって誰が決めたんですか?




そうです、犯人は私です。。(つд⊂)

まだまだ、これからです。



最近ますます思うのですが、
言葉が人を救うことって、本当にありますよね。



◆◇◆◇◆◇

ちなみに、こっちは実話ですが、
少し前に中央線で可愛い子連れの一家を見かけました。

西へ西へと行こうとしていたようですが、
先へ進むためには電車を何度か乗り継がないといけません。

せっかく乗った電車を一駅で降りないといけなかったせいか、
乗り換えの時に子供が寂しげな顔をして、

子「またスタートに戻っちゃった…(´・ω・)」

すると、

母「少しずつだけど前に進んでるから大丈夫だよ(^ ^)」
 

め、名言。


きっと、そういうことが・・・

勝手にスタートに戻ったかのような気になってるけど、
実は進んでて、ただの乗り換えだった!なんてことが・・・

振り出しでもなんでもないのにこんなことで悲しむなんて、
おやおや困った子ね、って、
自分より視野の広い存在がそれをにこにこ眺めているようなことが・・・


あるかもなあ。



2014年11月29日土曜日

「なくしたくなかったんだ。」





学生の頃、好きだった子の家に遊びに行ったら、変な音楽がかかってました。
上手いんだか下手なんだかよくわからないボーカルと、
南米の暗いロック?のような、それでいて日本の正統派ポップスのような、
時おり妙ちくりんな転調の入り交じる不可思議なメロディ。

「なんじゃこりゃ。」

それが第一印象。


それから大学を出て、いつしか好きだった子のことも忘れて、
数年が経過した頃・・・


2009年、よりによってクリスマス・イヴの日。
あの時のバンドのボーカル、志村正彦が急逝。
享年29歳。
 
バンドは活動停止となりましたが、それから数年後に復活。

残された3人のメンバーで、「フジファブリック」として、再び活動再開。
その数年ぶりのステージを生で見て、私の中の何かが変わり、今に至る。



そもそもフジファブリックというバンドは、山梨の「富士」吉田市で生まれ育った志村さんが友達と始めたバンド。メンバー交代、脱退を繰り返して、ようやく落ち着いたのがあの4人でした。

まるで中原中也のような端正な顔に、独特の表現力のある声。存在感。
作詞も作曲もほとんどが志村さんの手によるものでした。
月並みに表現すれば、天才。

そんな志村さんがつくったバンド。なのに志村さんがいない・・・

そんなとんでもないパラドックスを抱えながら、それでも再スタートを切った。
支えたのは、残った3人の才能と、ひとえに固い意志だったと思います。
新たなボーカルは、それまでギターを担当していた山内総一郎。


総くん。


彼の弾くギターは、不思議です。

テクニック的なことはよくわからないけど…
身体のどこか内側の響いてほしいところに、いつも、きちんと響く。
どんな音を鳴らしてほしいのか、自分でもよくわからないのに、鳴れば「そうそう、そこそこ!!」って思う。

精緻で美しい、しなやかな音を奏でる人です。

寡黙なギタリスト、という雰囲気だった彼が、今やれっきとしたシンガー。
同い年ということもあるかもしれないけれど、なんでかどうしても、他人と思えないんだよなあ。


◆◇◆◇◆◇◆


そんなフジファブリックの10周年記念武道館ライブに行ってきました。
これまであまり語ってこなかった志村さんの話を、ものすごく自然に、柔らかく、率直に話してくれた総くん。

なんでバンドを続けることにしたのか、最近ようやくわかった、と言っていました。



大好きなんだな〜。フジファブリックのことも、志村くんのことも。
 だから、なくしたくなかったんだ。



シンプルな言葉に……泣きました。
志村さんのギターを持ってそんなん言われたら、泣くでしょ。

にくい演出のおかげで、蓋をしていたはずの感情が内から内から湧いてきて、ひたすら泣いてしまった。

悲しくて悲しくて。
でも、そのままちゃんと悲しみを感じ続けたら、それだけじゃないって思いました。
悲しいだけじゃない。歓びも感動も、同じようにここにある。



正直なところ、私にはまだよくわからないのです。


ある日突然、友達より濃い関係の存在が動かなくなること。
明日も当たり前に会えると思っていた人に、二度と会えないこと。
自分がその人のいた場所に立って、その人を好きだった人たちに向かって、その人の歌を歌うこと。
その場所で、新しい歌をつくり続けること。


それがどれほどの悲しみで、どれほどの勇気と覚悟の要ることか。
いくら想像してみても、同じ気持ちにはなれない。


でも、彼らを見てると、いつも思うのです。


神は乗り越えられる課題しかその人に与えない。


あの言葉は本当にそうなんだろうな、って。
あきらめるのはまだ早い。行き詰まったところが始まりです。
って。いつもそう教えてもらうのです。



ライブって、お金を払った方が一方的に恩恵をもらうものだと思っていたけれど、全然違う(何でもそうですね)。



演る方もまた、私たちからもらってるんだ。
与えて、受けとって。エネルギーは循環するもの。
お金でも音でも、愛でも。


「みんながいるから、歌うんだぜ〜!」

って、照れながら言っていたけれど、
あなたが歌うから、聴き続けるよ。



◇◆◇◆◇◆◇



最後の一曲・・・


会場全員でつくり上げた光の柱がずどーーん!!!
と武道館の天井を突き抜けて、瞬時に上空まで走り抜けて、
志村さんのいるところまであっさり届いているような気がしました。



・・・これって愛。







あのバンドと、その歌を聴きたくてたまらないファンの人たちと、
全ての関係者に、とびっきりの幸せが輝き降り続けますように。


なくさないでくれて、ありがとう。





東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

 「茜色の夕日」(フジファブリック/作詞作曲 志村正彦)




君の声はこだましてる 頭の中離れないよ
巡る思いは置いといて さあ行きますか

 「STAR」(フジファブリック/作詞 山内総一郎・加藤慎一、作曲 山内総一郎)





2014年11月26日水曜日

飛行機の話。




口に出して言うほどのことでもないので、これまであんまり人に話したことがなかったのですが・・・

「ふ。」とした瞬間。

何か、上手く言葉にできない、予感めいたものがスッと差し込んだような感覚。
それに気づいて、というより気づくより一瞬早く、意志より先に自然と頭が動いて、ふ、と空を見上げた時に、飛行機が飛んでる確率が異様に高いんです。


あ、またひこうき飛んでる。


あまりにそう思うことが多いので、ひょっとしたら皆も口に出さないだけで、当たり前のことなのかな、と思っていました。

もしくは、私は空港のある街で生まれ育ったので、妙なご縁があるのかなとか。
東京で見る飛行機の小ささには、未だに少し慣れないのだけれど(実家の上空だと機体に書いてあるロゴまで見える)。


◇◆◇◆◇◆


この飛行機の話に関連して、思い出すエピソードがあります。
少し前に読んだ『アミ 小さな宇宙人』という物語に、こんな場面がありました。

宇宙人のアミが主人公の少年ペドゥリートを空飛ぶ円盤に乗せて、はるかかなたの惑星に行くシーン。

別の円盤がすれ違いざま、アミたちに向かって光の合図を送ってきます。
アミもいたずらっぽく笑って合図を返します。それを見ていたペドゥリートは、不思議に思ってこう尋ねます。

「どういう意味なの?あの光のサインは」

「あいさつだよ。友情のしるしだ。おたがいにとても好感がもてたんでね」

「どうしてわかるの?」

「感じなかったかい?」

「感じなかったと思うけど・・・」

アミは柔らかに語りかけます。

「それは、自分をよく観察していないからなんだ。外部にはらうのとおなじくらい、自分じしんに注意をはらっていたら、たくさんのことが発見できるんだよ……。あの円盤が近づいてきたとき、なにかある種のよろこびのようなものを感じなかった?」

「わかんない。たぶん、感じなかったと思う。ひょっとするとぶつかるかもしれないと心配していたから……」

(徳間書店『アミ 小さな宇宙人』2009年、175-176頁より)


 ペドゥリートは、読んでいて少し苦しいくらい、私たち現代人の姿を表してくれていますね。。


ふと見上げるたび、空を飛んでく飛行機。


どういう意味があるんだろう、何かメッセージがあるのかな、なんて頭で考えてみてもちっとも分からなかった。
その代わり、感じてみよう、感じてみよう、とやってみたら、なんだかすごく単純に、わかりました。


優しい感じ。励まされてる感じ。

どこへでも行けるよー。
もういい加減、羽ばたきなさいな。
お空は広いよ。

と、言われているような感じ。

根拠も理屈もあったもんじゃない。
でも感じる。

だったらそれがすべて。
だってそう感じたんでしょ。
それでいいじゃない。

そんなことを思うようになった、最近です。



週末に戸隠へ行っていたのですが、長野駅からのバスを降りた瞬間、飛行機。ひこうき。ヒコーキ。。
ものの数分の間に、真っ青な空にくっきりと白線を描きながら、飛んでく飛んでく。

どう見ても、どう抗っても、なんだか大きい応援団に見守られてるような気がして。
頼もしくて、明るい光が余韻のように胸の中に響き渡っていくのを、しばらくそのまま感じていました。










高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
ほかの人には わからない
あまりにも 若すぎたと
ただ思うだけ けれどしあわせ

空に憧れて 空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲

荒井由美 「ひこうき雲」より。


2014年11月16日日曜日

どっちを選ぶ?




前回の呼吸法の話 から少し続きます。


3日間のコースで講師をしてくれたトレイシー

その写真をネットで見た瞬間、
「あ、おかん!」
と思って参加を決めた、という参加者もいました。

なんかそれもあながちわからんでもないな・・・
と思えてしまう。
上手く言えないけど、初めて会ったタイプのアメリカ人。
でもチベット辺りで前世で会ってそう。笑
人に触れられることにこっそり抵抗のある私でも、
彼女に触れられるのは全然嫌じゃなく、
初めから他人という感じがあんまりしなかった。


そんな彼女から、
こんな忘れられない話を聞きました。

個人の深いところに関わる話なので、
多少ぼやかして書きますが・・・
(それでもこの話を書きたかったのです。)



とあるセッションでの、ある参加者の話。


その女性は若い頃に女性特有の経血の病気を患って、
病院に行ったところ、すぐに薬を渡されたそうです。

「はい。これを飲めばあなたの問題は解決されるでしょう」

とだけ言われて。
確かにその薬を飲んだら、症状は治まりました。

けれどそれから十年ほど経って、症状が再発。

彼女が呼吸法のセッションにやって来たのは、その頃でした。


・・・

セッションで意識の奥深いところまで入っていくと、
突然彼女は、時空を超えたような心地がして、
気づくと過去の自分になっていました。


その自分は、怒りながらこう叫んでいるのでした。

「It's NOT safe to be a woman!」
(女性でいることは安全じゃない!)


しかしその時、
(現実の)彼女の側にいた呼吸法のファシリテーターが、
こう声をかけたそうです。


「It's safe to be a woman!」
(女性でいることは安全です、女性でいても大丈夫です。)


けれども過去の自分は主張し続けます。

No, No, No!!」


その時・・・

彼女は、自分の中の深い叡智が、
こう語りかけていることに気がつきました。


You can choose.
   So, which do you want to choose?」
(あなたが選べるよ。どっちを選びたい?)


彼女の答えは決まっていました。



「Of course, of course, "It's Safe" !! 」



・・・その呼吸法セッションの後、
彼女は自分の病気がすっかり治っていることを知ったそうです。



・・・


この話を聞いていて・・・

「Of course」の辺りで、なぜか涙がぶわっと・・・


何かを誰かを許して自分を幸せにする選択か、
不幸のままで誰かを責めたり自分を責めたりできる選択か。



どっちを選ぶ?


ほんとにほんとに素直になって、
ちゃんと自分に尋ねてみたら、答えは決まってるはず。


もちろん、幸せになる方を選ぶわ!」


そう言っているはず。
いつでも、いつでも。

幸せになる方を、自分のために選んであげたいなあ。
叡智の声に耳を澄ませる自分でありたいなあ。
と、改めて思ったのでした。



そういえば昔から、
選択に迷った時にはこう言ってたっけ。


「どちらにしようかな?天の神さまのいうとおり。」


あれ、 意外に深い言葉だった気がしてきました・・・。


2014年11月7日金曜日

それでも続けなさい。




11月初旬の3連休に、
ブレスアウェアネス(呼吸法)トレーニングのベーシックコースを受講してきました。


呼吸法って何?
なんとなく興味あるかも・・・。
という方はよかったらこちらもご覧ください。


コウノミサのOH!はっぴ〜でいず☆
身体のすみずみにまで届く呼吸で、人生に変容を起こす



いやー、覚悟はしていたけれど、
深かった・・・。



たかが息でしょ?

教わらなくてもできるじゃん。

まさか、呼吸で人生変わるわけないでしょ?


まー、とにかく物事を複雑にしたい私たちですから笑、
毎時毎瞬、当たり前のようにしている呼吸にそんなパワーがあるなんて、信じられないですよね。


でも、「教わらないのにできる」「毎時毎瞬している」わりに、
止めたらものの数分で死に至るものなんて、他にないですよね?

食事すら、何日か抜いたって死なないわけで。
(私の合気道の先生は、若い頃に30日くらい断食したと仰っていますが笑)



呼吸はあらゆる癒しに繋がるマスターキー。


自分の思い癖も、遠い過去世のカルマも、
あらゆる記憶が自分の呼吸パターンの中に刻み込まれている。

ハートが閉じてる人とか、
グラウンディングできてない(地に足ついてない)人とか、
何でも自分の思う通りにコントロールしようとする人とか、
呼吸パターンを見るだけでけっこう簡単にわかるんです。


もしもその癖を手放して、
肺の力を最大級に使って、全身震えるほど、
心底まるごと気持ちのいい呼吸ができたら・・・?


その深遠広大なる可能性を、少しだけイメージしてみてください。
たぶん、あれこれ説明しなくても、直観的にわかるんじゃないかな。
今、これを読みながらも呼吸をしているあなたなら。



意識の奥深くに眠る、美しい森の泉の底の底のほうで、
不意にコトリと音を立てて何かが倒れたような、
呼吸法はそんな静かな、けれどとてつもなくパワフルな、
癒しと変容を起こしてくれるセッションだと思います。

しかも、その起き方は実にユニーク。
同じ場にいても、誰一人として、同じ体験をすることはありません。
感想も、そこから得るものも一人ひとり異なります。
必要なことが、必要な人にだけ、必要なタイミングで起こる。
比べて羨ましがることの無意味さを、実感します。



・・・それで、私はというと。


いろいろあり過ぎて書けないのですが・・・
仙骨が熱を発して燃え上がりそうになり、
解脱するかと思った話とかもあるのですが(しなかったけど笑)、
ま、それはさておき・・・


ひとつ、印象に残ったことを。


呼吸法のセッション中、特有の呼吸をずーっと続けていると、
身体感覚としてはどんどん解放されて、心地良くなってきます。
そうするとだんだん、呼吸が面倒くさくなり・・・
なんかもう、こんな窮屈な体抜け出して、どっかに行っちゃいたいなー。
ああもう全部捨てて、楽になっちゃいたいなー。
そんな誘惑に駆られるのでした。


セッションの後、その感覚について話してみたところ、
講師のデイブがこう言いました。


それでも呼吸を続けなさい。


彼は言葉を足して、


「日常生活でも同じだよ。
 何か嫌になったり、面倒になったり、放り出したくなったとしても、
 それでも私たちは生き続けないといけないんだよ。」


「それに、ただ寝ているだけだったら、
 ちょっとお金がもったいないしね。」


さすがのアメリカンジョークも交えながらでしたが・・・
なんだかこの言葉、響きました。


何か嫌になったり、面倒になったりすると、
丸ごとえーい!と放り投げてしまうような衝動。
そういう癖が私にはありまして。

なんだかそういう自分の頬を柔らかに、
優しくぺちんと叩いてくれたような気がしたのです。


やめたらだめなんだよ、たとえうまくいかなくても。
とにかく続けるの。




生き続けないといけない
 


呼吸(息)続けないといけない


でしょ。



生き続ける限り、呼吸は続けなきゃいけない。

呼吸が続く限りは、生き続けなきゃなんない。



面倒くさいからや〜めた、とか、なしなんですよ。
だったら生まれてくるなと。
だったら呼吸ワークショップ来るなと。笑



・・・


それでも、生きてゆく

というドラマを観たことある方、いますか?
あれ、すごいドラマでしたね。突然ですが。

中学生に幼い子供を殺された母親、同級生に妹を殺された兄、
自分の兄が人殺しになってしまった妹、殺人犯の親となった父母。
それぞれの立場が交錯する深みのあるストーリー。

でもただ重いだけじゃない、哀しいだけじゃない、
なぜだか心に優しい余韻を残すドラマでした。

その最終話に、こんな台詞がありました。


「母は今でも時々泣いています。
 だけどさっき買い物したら、777円だったのよと言って笑ってました。
 たとえば、月曜日と木曜日に泣いたり、火曜日と金曜日は笑ったりして。
 そうやって続いていくのだと思います。」



それでも、生きてゆく。


って、そういうことかな、と今でも思ったりします。
なんでかこの台詞を、呼吸法のワークの最終日に思い出しました。


まだまだ自分に定着していない深い呼吸は、
うっかりするとつい忘れがちなのですが、
「それでも呼吸を続けなさい。」
という言葉が、
これからの自分の背中をそっと、
後押ししてくれている気がします。



さあ、では皆さんもご一緒に。


大きく吐いてー、吸ってーー。


今日も生き続けよう。


呼吸法の話も、もうちょっとだけ続きます。



2014年9月25日木曜日

You don't have to worry.






今からさかのぼること、数ヶ月前のお話です。


もろもろの事情で、久しぶりに自分の職場に戻ってきました。
一年ほど不在の期間があったとはいえ、元々いた場所なので、
2日目には環境に慣れ、3日目には状況に慣れ、
1週間経つ頃にはすっかり何もかもが元どおり。


たったひとつだけ違ったのは、
これまで経験したことがないほどに、
心底この仕事が嫌になっていたこと・・・笑


とにかく、今の自分の興味関心と1ミリも合わない。

追いうちをかけるように繁忙期。
細かい問い合わせの電話に数字、数字、数字の山。
むしろどうして今まで何も思わなかったんだと呆れるくらい、
何もかもが色あせて見えました。
お昼時、自分の席からわずかに見える、青い空だけが心の慰めでした。


まずい、
と思いました。


とにかくここから出ないと。
このままじゃ私、だめになる。


こうなったら・・・やるしかない。


定期異動の時期は3ヵ月後。
ここから抜け出すために、できることは全部やってみよう、と思いました。


とは言っても、
実際にやったのは、とてもシンプルなこと。


今いる場所でベストを尽くす

ということと、

行きたい方向に意識を向ける
(行きたくない方向ではなくて)

ということ、ただそれだけでした。



具体的には。


・頼まれた仕事は文句を思いつく前に速攻やる。

・頼まれてない仕事もできることからとにかくやる。

・「異動したい」雰囲気を出さない。

・愚痴は言わない。言わないだけじゃなくて思わない。

・毎朝晩、同僚と上司に感謝して、部署の発展と幸せを徹底的に祈る。
 「この部署に関わる人すべてが幸せでありますように・・・!」とか。

・どうしても嫌になってきたら、人のいないところに行って深呼吸。

・次に行きたい部署を決めて、自分が働いているところを思い描く。
 座っている椅子、話している相手、着ている服まで・・・丁寧に。

・行きたい部署の人と一緒にランチに行って、どんな仕事をしているのか聞く。
 いつか一緒に働きたい意志も伝えておく。

・行きたい部署の上司を見かけたら、「よろしくお願いします!」
 と心の中で言っておく。



もちろん綺麗事ばかりではなくて、
イライラしたり、悔しくなったり、
望みが叶わなかったらどうしよう、
と絶望的になったりも何度となくしました。


それでもとにかく、今、自分がここにいる意味がきっとあるはず。
私がここで与えられるものが絶対にあるはず。
与えて、与えきって一番いいタイミングで去るんだ、
とそればかりを思っていました。




そして、ついに異動発表の日がきたのです・・・



なんと、その日に限って用事ができ、休んでしまった私・・・(;´Д`)




もし異動することとなれば、
休みであっても誰かから連絡がくるはずでした。
どきどきしながら待って・・・待てども待てども、連絡はなくて。。


とうとう夜になっても音沙汰がなくて、
私は心底ガッカリしました。


ああ、またあの部署で同じ一年を繰り返すんだ。
少しは頑張ったつもりだったけど、思いは届かなかったんだ。
もう・・・、もういいか・・・。
こんなに願って叶わなかったんだから、きっとまだ、ここで学ぶべきことがあるのだろう。



頭ではわかっていたものの、どうしても諦めがつかず、
ガッカリしたまんまお布団に入り、眠りに入る寸前に、
強く強く、こう思いました。



やっぱり嫌だ!!どうしても!!」(笑)


「あの場所が嫌なわけじゃなくて、新しい所へ行きたいんです。
 私、変わりたいんです。
 まだあそこにいる意味があるというのなら、頑張ります。
 でも、もう辞めたっていい。
 そうだ、きちんど目処をつけて、辞めよう。
 そのくらいの覚悟で明日から働きます!!」


と。。半ばやけっぱちでしたが・・・
思いの強さで部屋の電気がついちゃうんじゃないかってくらい、
心の底から本当に望みました。



職場につくなり上司に呼ばれ、
異動を言い渡されたのは、その翌朝のことでした。

(単に発表が一日延期になっていたのでした。。)


しかも、なんとなんと・・・
本当に、思い描いていたままの希望部署への配属。


ルール遵守の名の下に、いかに正確な書類をつくるかの世界から、
たくさんの人と触れ合い、新たな道へのサポートをするような世界へ。


関わる人も環境も、何もかもが変わりました。

そして何もかもがスムーズです。
もともと興味があって自分でとろうかと考えていた資格も、
今の部署からは「むしろ早くとって」と言われ、
受講費用を援助していただけることに。
こんなことが本当にあるものなんだな、と思いました。



そもそも天の采配を、その完璧さを、
初めからもっと信じていられれば、
あんなに不安になったり落ち込んだりしなくてもよかったのですが・・・
それも含めて、とっても大事な経験となりました。




この地球では、本当に望んだことがいつも叶う。



だから、
起きてほしくない嫌なことではなくて、
起きてほしい嬉しいことをちゃんと望もう。


この宇宙では、起きるべきことは必ず起きて、
起きないことは絶対に起きない。

そして何かが起きた時には必ず、意味があるし、
意味しかないし、全てはよい方向へ向かってる。


だから心配しないで。


いつも心に安心を。人には愛を。


大丈夫。

あなたは自分で思うよりずっと、守られている。


肩の力を抜いて、もっとこの世界を遊ぼう。



うまく言えないけれど、
忘れてしまうこともあるけれど・・・
あのとっておきの3ヶ月でわたしが教わったのは、そんなことでした。





*ちなみに今回の話は、以前の記事(「自分が変える。」)の後日談だったりします。




2014年9月20日土曜日

大事にしなくてもいいもの。






自分の生き方で 自分を生きて
 多くの間違いを 繰り返してきた



小田和正の歌にこんな歌詞があるのですが、
ほんとに、そうだよなあ・・・
と、思うことの多い今日この頃です。


前にある人に言われたのですが、


今の自分は、
今までの自分のやり方によってできている。


で、


その今の自分は、特に大成功はしてない。

それなりに幸せかもしれないけれど、
めちゃめちゃウルトラ超ハッピー!!☆ではない。
なんとなく、満足はしてない。


もちろん、それなりの幸せでいいならそのままで全然問題はない。
別に誰かに強制されることでもないし。
でも、もしも、もっと幸せになることを自分で望むのなら・・・
(そして、本当は、いくらでもどれだけでも望んでいいのだけれど・・・)


やり方変えないとだよね。

だって今までのやり方でやってきて、そうなってないんだから。
変えないかぎり、ずっとそのままだよ。
変えればいいんだよ。


と。。
この言葉、ずっと胸に刺さってます。


*****


いつもふとした時に、
自分のやり方にこだわっている自分を見つけます。

それは本当にささいなこと。ちょっとしたこと。

仕事の資料を作っている時や、
教習所で運転している時、
家の掃除をしている時、
運動している時・・・


例えばほんのわずかにタイミングがずれて、
人に指摘されたり、上手くいかなかったりすると、
途端にその自分が顔を出します。


うるさい、うるさい!


だって、このやり方がいいって昔教わったもの!


私はこのやり方でやりたいんだから、放っておいてよ!


間違ってもいいから、私は自分のやり方でやりたいの!!ヽ(`Д´メ)ノ 」


・・・って。

経験上、このパターンにはまると、
何一つとしていいことが起きたためしがありません。笑

大体ほんとに間違って、イライラして、
落ち着いてから反省して、元通り(のつもり)。


思い返すと、もうね、ほんとに恥ずかしいですよ。


学生時代にスキーやってた時に、
早くパラレル(板を平行にする滑り方)慣れたほうがいい、
って先輩に何度も言われてるのに、

「いや、まずは基礎でしょ!(・`ω・)」

とか言って一人でえんえんとボーゲン(八の字のやつ)の練習し続けて、
周りから呆れられたっけなあ。。笑
(結局なかなか上達しなかった・・・)



一つひとつはくだらないけれど、
その繰り返しが人生をつくります。



最近、またこの自分のパターンにはまりかけて、
そこでふと、思いました。


うーん。たしかにこの感じ、慣れてるし楽なんだけど・・・
本当にこのままでいいのかな?


答えはすぐに返ってきました。


いいわけがない。
ええわけがあるもんか、と。


一応ね、自分のやり方にこだわると、いいこともあるんです。


うまくいかない時は、自分を可哀想に思える。
いつも不機嫌でい続けるための理由にできる。
自分にそのやり方を教えた人への腹いせになる。
失敗を誰か(あるいは神様!)のせいにできる。



・・・いやいや、やっぱり、いいわけがない!笑



もっとうまくいく方法があるはず。
もっと楽に、簡単にできる方法があるはず。
私はその方法を選んでもいいはず。選べるはず。


なんとなく、そんなことを思うようになりました。


何かを自分よりうまくできてる人がいたら、
どんどん真似してみよう。
人のアドバイスを臆面もなく聞いてみよう。
誘われたら乗ってみよう。
いつもの自分ならやらないようなこと、
さくっとやってみちゃおう。



とりあえず昨日、ランチに入ったお店で、
いつもなら自分では絶対に頼まないであろうアイスティーを注文してみました。
(セットでついてくるようなアイスティーって、あんまり美味しいのに当たったことがないし、私はコーヒー好きなので・・・)


なんとこれがまあ、
グラスが置かれた時からリーフの香り立つようなアイスティーで、
めちゃめちゃ美味しかったという。。笑


なんかこう、無理やり努力して変える!!ってことじゃなく、
本当に小さいことからだと思うんですよね。


もちろん、自分を愛することはとても大事だけれど。
自分のやり方は、そんなに大事にしなくてもいいのかも。





がんばっても がんばっても うまくいかない
でも 気づかないところで 誰かがきっと見てる

小田和正「東京の空」より。




2014年9月7日日曜日

箱の中にあったもの。





子どもの頃に好きだった絵本の一つに、「パンドラの箱」という話があります。

有名なギリシア神話なので知っている人も多いと思いますが、
一応、あらすじ。。


◇◆◇◆◇◆◇


昔々、世界には、豊かな楽園が果てしなく広がっていました。

住んでいるのは子どもたちだけ。
楽園には甘い果実が実り、食べたいものは好きなだけ、
欲しいものはいくらでも、いつでも手に入れることができました。

そのため、子どもたちは働くこともなく、お金を持つこともなく、
みんな仲良く楽しく、幸せに暮らしていました。

その中に、エピメテウスとプロメテウスという兄弟がいました。
ある日、二人のもとにパンドラという名の少女が訪ねてきます。

一目でパンドラの美しさに心奪われたエピメテウス。
弟プロメテウスから「決して開けてはいけない」と言われていた箱を、
パンドラの誘惑により、弟の留守のすきについつい開けてしまいます。

箱の中から出てきたのは・・・


「疫病」「悲嘆」「欠乏」「苦痛」「嫉妬」「飢餓」「恐怖」「疑惑」・・・


その他、ありとあらゆる災厄でした。

エピメテウスは慌てて箱のふたを閉めましたが、時すでに遅し。

化け物の姿をした災厄たちは一瞬のうちに外へと飛び出して、
みるみるうちに楽園の空を厚く覆いました。
人々はたちまち憎しみ、疑い、争い、諍い、苦しむようになりました。



途方にくれたエピメテウスとパンドラが箱の前で泣いていると、
箱の中からかすかに声が聞こえます。



「ねえ・・・お願い、開けて・・・」



2人はまた新たな災厄が出てくるのではと疑い、応じません。
けれどその声はとても優しく、柔らかに、


「お願い・・・どうか私をここから出して。」


と訴え続けます。

ついにエピメテウスは、その声のままに箱のふたを開けました。
すると、現れたのは・・・


幾重もの明るい光の衣を身にまとった、
女性のような、精霊のような、とても美しい存在でした。



「あなたは・・・?」


エピメテウスが尋ねると、
彼女はゆっくりと口を開いて、



「私は、希望。」




希望が箱から出ていくと、人々は争いの手をふと止めました。




・・・それから。


災厄に満ちた楽園は、楽園ではなくなりました。
子どもたちは、もう子どものままではいられなくなりました。
食べ物を手に入れるため、自分たちで働かなくてはなりません。

けれど、手に手を取りあって働く、その顔には笑みがあります。
明日はきっと、いい一日になるだろう。と、彼らは思います。
たとえもう、元の世界には戻れなくても。


人には、いつでも希望が残されているから。



◆◇◆◇◆◇◆


・・・パンドラの箱は、
あまりに有名すぎていろんな説があり、解釈もさまざまです。


本当は、希望すらも「災厄」であるという説もあって、
希望があるせいで、人は永遠に無駄な望みを捨てきれない・・・
なんていう解釈も(!)あるそうです。

このあらすじは、昔読んだ絵本を思い出して書いてみたのですが、
私はこの終わり方が好きです。


やっぱり、希望がないとね。


たとえ身ぐるみはがされて、持ってるものを全てなくしても、
どんなにひどいことが起きても、未来が見えてこなくても。


心の奥底に閉まった箱の中に、必ず希望が残ってる。


そんな解釈もありだよなーと思っていたら、
いつも通る道に、こんな看板がありました。

反射しててちょっと見えにくいですが・・・
まるで希望の光が射しているかのよう。笑




期待は裏切られるけれど、
希望は裏切ることがない。
そんな気もします。


箱にしまったままの希望があったら、出してあげてもいいかもしれません。^^





希望がないと不便だよな マンガみたいに
日々の嫉み とどのつまり 僕が笑えば解決することばかりさ

星野源 「くだらないの中に」の歌詞より。



2014年8月21日木曜日

マイ・スイート・ホーム





石垣島の旅でお世話になった 河野雅美沙 夫妻が熊本に引っ越すこととなり、
先日、サプライズ送別会が開催されました。

お盆のさなか、ふたりを送りだすために20名弱が集まり、
それはそれは素敵なパーティーとなったわけですが、
今日の話はちょっぴりそれに関係していまして・・・



実は、このところ、わたしも引越しを考えていました。



今のマンションに越してきてからはや6年(!)。
3度目の更新が近づき、そろそろ潮時かなあ〜、と。。

どうせ引っ越すなら、いっそ全然違う沿線にしてみようかと思っていました。
ちょうどサプライズ送別会の日、不動産屋に行ってみたところでした。

完全に気乗りしているわけじゃなかったのだけれど、
なかなか変わらない現実があって、嫌になったりしていて、
いっそのこと環境を変えたら何かが加速するかもしれないなあ、
なんてぼんやりと考えていました。



そんな中、はるか熊本に引っ越すふたりの送別会に参加して、
やっぱり自分を新しい場所に置いてみるのも悪くないかもしれない、
という思いはますます強くなりました。

なったかのように、思っていました。



まさにその、帰り道のことです。



「ああ、送別会、素晴らしかったなあ。
 あんなに優しい時間を一緒に過ごせて、
 愛の溢れる場に立ち会わせてもらって、
 本当にありがたいなあ。」


そんな感謝の思いでいっぱいになりながら、私は電車に揺られていました。
軽く目を閉じて、会の様子を思い出していると、ふと・・・

何と言うか、うまく表現できないのですが、
ものすごい大きな愛の固まりのようなエネルギーが、
びかーっ!と急に頭上で光ったかと思うと、
どかーん!と降ってきたかのような感覚がしました。


少しびっくりしながら目を開けて、
しばらくぼーっとしていたのですが、それからなぜだかふっと、
混み合っている車両の左側に目線が向いて・・・

その先に知っている人が立っているのを、私の目がとらえました。


間違えようのない、いつもの眼鏡に険しい眼光。
普段通っている合気道の道場の、師範でした。




そう、実は、引っ越しに乗り気になれていなかった一番の、
心残りは・・・


二年前からはじめた合気道。
道場が家のすぐ近くにあるので、引っ越してしまったら通いづらくなる。
それだけでした。


合気道は何十年毎日と続けている方も珍しくなく、
始めて二年なんてほんとにぺーぺーの域です。
白帯の私は、いつか袴をはける日を夢見て練習しているのですが、
まだまだ遠い先のこと・・・。

道場から離れてしまったら、飽きっぽい私のこと、
いずれ足が遠のくのは目に見えていました。
どこかで、それもいいのかな、と思っていたんです。
新しく勉強していきたいことも見つかったし、最近新しい知り合いも増えたし。
そろそろここを離れるのもいいのかもしれない。


それは上手く言えない、昔からの自分のくせでした。
いつもいつも、7割くらいの関係ができると離れたくなる。
ずーっと一つのことを続けたり、一つの場所にいることができない。
ころころと興味の対象が変わって、その度に一緒にいる人も変える。
母は私の友達はすぐに変わるから名前が覚えられない、とよく愚痴っていました。笑



けれどその時、
ふだん電車に乗る機会もそんなにないであろう師範に遭遇して、


私はなんだか、ほっとしたんです。

ちょっと後になって気づいたんですが。
ああ、私はあの時、安心したんだなって。


電車の中でさえ、見るからに厳しい(失礼)お顔をされていましたが・・・
なぜだか、私には、あの時の先生が、
まるで、迷子になった子供を迎えにきてくれたお父さんのように見えました。


「こらこら、どこ行ってたんだ、そっちじゃないよ。」

って。


「家に帰るぞ。」

って、言ってくれているみたいでした。


(とは言え、本当に目上の方すぎて、
その場でとっさにお声がけできず・・・ビビリですみません・・・)



・・・考えても仕方ないけれど、つい考えてしまう。
一体、どのくらいの確率だったんだろう?


ある時、友達の紹介でエステに行ったら、
お店の人になぜだか熱烈に合気道を勧められたこと。

その頃、たまたま読んでた本にも合気道のことが書かれていたこと。

なんとなく合気道を始めたいな、と思っていたら、
わずかの間に上司だった方が合気道をしていたこと。

その上司が今の道場を紹介してくれたこと。

上司も、師範も、そこにいる多くの道場生も、私も、同じ大学だったこと。

あの時、たまたま読んでた本を書いた人が、師範の弟子だったこと。

道場と、師範のお住まいがうちからびっくりするほど近かったこと。

私は小さい頃からずっとお寺が近くにある環境で育っていて、
とても親しみがあるのですが、道場がお寺の中にあったこと。

道場に初めて来た日、なぜだか懐かしかったこと。

道場生の人の多くが、なぜだかどうも、最初から初めて会った気がしなかったこと。

道場で師範を前にすると、なぜだかいつも、泣きたいような嬉しいような不思議な気持ちになること。



・・・一体、どのくらいの確率で、
私はあの場所にたどり着いたのだろう?

「縁」という言葉でしか表すことのできない、
奇跡のような出会い。

ちょっとここには書けないような、
もっと面白い偶然も他にもたくさんあるのですが。笑


そしてまた、先生への思いももちろんですが、
普段教えてくださっている先輩方の顔も浮かんできました。
最初はとっつきづらくて泣きそうで、でも少しずつ少しずつ、
気づけばふつうに世間話できるようになっていたこと。

私に上手くなってほしいと、望んでくれる人がいること。




なんだ、私。

まだここにいたい。
一緒にいたいんだ。

あの場所が、好きなんだ。
まるで家のように、大切な場所。


すごいシンプルな、当たり前みたいな、
単純な気持ち。でもそれが本当の気持ち。
気づいたら、肩の力が抜けて、胸があったかいような、
ようやく自分の中心に戻ってきたかのような感じがしました。



まあー、部屋も狭いし、引っ越したい気持ちはやまやまなのですが。笑
いずれ自然に次の場所へと呼ばれる日がくることを信じて、
もうちょっとここにいてみようかな。

本当の気持ちに気づけたのは、自分一人の力ではなくて、
ちょうどその頃にカードリーディングなどをしていただいて、
笑っちゃうくらい何度も同じような結果が出たのもあったのですが。
何でも自分の方法でやりたがって、うまくいかないことがあると、全てを放り投げて台無しにしようとするくせがある。そうです。。


どうやらまだ、私はここで、やらないといけない宿題があるみたい。



引き続き、お世話になりまする。






*私がとりわけ好きな、先生のお言葉*

「たとえ目の前に敵がいても、心の中には敵がいない状態をつくるんだ。」

「武道では、対象にとらわれることを隙という。
 だからって、隙がないというのは常に力んでいろということじゃない。
 透明な明るい気持ちで生きる、ということだ。」



2014年8月16日土曜日

飛行機が飛ばない日。〜その3〜




はからずも3部作となってしまった石垣島の台風シリーズ。
今回でフィナーレです。(前回のお話は こちら からどうぞ。) 


<ここまでのダイジェスト>
石垣での素晴らしい旅も終わりに近づき、
夜の便で東京へ帰ろうとしていたところへ忍び寄る台風の影。
飛行機会社のサイトを見ると情け容赦ない「運航検討中」の文字・・・
とにかく一度空港へと向かった我々を待っていたのは、カウンター前に並ぶ長蛇の列だった。
果たして飛行機は飛ぶのか?!どうなる、タネビバ一行!!



・・・まあ、そんなわけで、
とにかく状況を見ようと空港へ着いたはいいものの、
当然みんな同じようなことを考えるわけで、めっちゃ並んでたんですね。


一緒に旅行していたメンバーで、その日に帰る予定だったのは私の他に2人。
その2人はスカイマークだったので、便の変更もできず、とにかく飛ぶのを信じるしかないという状況に。
私は諸々の事情により、たまたまリッチにANAなんてとってたものだから、逆に迷う羽目に。。


その時、私に残された選択肢は二つでした。

1.一人でここに残って、とにかくこの長蛇の列に並ぶ。
2.飛ぶのを信じてみんなと一旦宿に戻る。


頭ではぐるぐるといろんな考えが巡っていました。
並んでもどうなるわけでもないけれど、もしかしたら便の変更ができるかも。
新しい情報が得られるかもしれないし。でも・・・。


この旅の主催者で、空港まで送ってくれたこーちゃんが心配そうに言ってくれました。


「どうする・・・?」



わかっていました。

今までの自分なら、たぶん1.の方を選ぶはず。
意味ないかもとわかっていても、可能性が少しでもあるならそうしたい。
それが、今までずっと通してきた自分のやり方でした。

でも、どこか、ぎりぎりのところで何かが、そうさせないようにしていました。

その時、私には聞こえていたのです。


心の奥から響いてくるかすかな声・・・
その声は小さく、でも確かに力強く、こう言っていました。



私、一人でここにいたくない。みんなといたい。
 あの家に戻って、みんなで一緒に朝ご飯食べたい。



いやいやいや、状況分かってんの、
そんな能天気なこと言ってる場合じゃないでしょうと、
頭では考えながらも、気づくと私は口を開けていて、



「 ・・・並ぶの、やめます!みんなと、戻ります!」


そう答えていました。


「うん。もう、今できることはやったと思うよ。全部やった上で手放すんだから、俺はその選択ありやと思うよ」


あの時こーちゃんが言ってくれたこと、嬉しかったなあ。



いえーい!
手放すぜ!委ねるぜ!
たとえ飛ばなくたって恐くないぜ!!


なんだかもう、みんな笑っちゃって、
両手を上げて喜びながら、車に戻りました。
実を言えば私はまだまだ超恐かったけれども(笑)、
とにかくみんなで宿へと戻ることに決めました。


すると、その瞬間、
台風が近づき荒れていた石垣の空がふっと晴れて、





だーーーー!!!


写真だと少しわかりづらいかもしれませんが、
はっきりと、車の窓越しに、虹が弧を描いていました。

まるでこの選択を、神様が祝福してくれているみたい。
そうとしか思えない、とさえ思いました。

あの時、意固地になって一人で空港に残っていたら、
決して見ることのできなかった景色でした。
一つひとつのちょっとした選択で、ほんとに運命なんて変わるんですよね。




・・・その後。

結局どうなったかと言うと・・・


私たちは石垣白保エリアで人気の「ばんちゃん」で超ハイパー美味しい朝ご飯を食べ、
観光はあきらめて宿の中でだらだらして、
何十年ぶりかに人生ゲームをやって腹の底から笑い、
近所の定食屋さんでこれまたハイパー美味な沖縄そばを食べ、
また宿に戻って語らい、
なんやかんやで、そんなこんなで、
飛行機は飛びました!


そうなんです、「飛ばない日」とかってタイトル付けてみたけど、
結局30分遅れくらいで無事に飛んだのでした〜。ちゃんちゃん。。



それにしても、あの「飛行機飛ばなかったらどうしよう」という恐怖感。

そこから見つけた自分の中のいらない執着。
とにかく手放してみたときの爽快感と、虹。
朝ご飯の後のだらだら感と人生ゲームの大爆笑。
中学の頃に友達の家に遊びに行って、でも特にやることはない、みたいなあの空気感。
見たこともない高さの波にびっくりして、みんなで雄叫びをあげる感じ。
人と一緒にいるって、一緒に生きてるっていいもんだなあ、と思った。


何から何までがプレゼントでした。
あの特別な一日のことを、私はきっと忘れないでしょう。


終わりよければすべてよし。
あんな旅はなかなかできるものではないけれど、
また呼ばれる日がくるのを信じて、楽しみに待ちたいと思います。



すべてにありがとうの気持ち。







2014年8月8日金曜日

飛行機が飛ばない日。〜その2〜




いよいよ石垣島の旅シリーズ最終章。
前回の日記 のつづきです。


7月7日、旅の最終日の朝のことでした・・・

かすかに人の声がして、目が覚めました。
寝ぼけた頭のまま、なんとなく気配に耳を澄ましていると、
みさちゃんが部屋に戻ってきて状況を教えてくれました。


台風の影響で、石垣から西表へ行くのはほぼ不可能になったこと。

明日の石垣発の飛行機は全便欠航が確定したということ。

そして、今日の午後以降の便は、全て出発見合わせ中、とのこと。。



・・・工エエェェ(´д`)ェェ?


だ、だって、台風が来るのは明日じゃん!!
今日の内ならまだ大丈夫なはずじゃん!!!


・・・まじ?


段々と、時間が経つにつれ、私は事の重大性に気づきはじめました。
私が乗るはずだったのは、その日の夜19時の飛行機。
何回ネットで更新ボタンを押してみても、
表示されるのは「運航検討中」の赤い文字・・・。

便の変更をしようにも、既に羽田行きの午前中の便は満席。
たとえ石垣から那覇に行けたとしても、那覇から羽田の便が欠航するかも。
もし今日の内に帰れなかったら、明日は全便欠航。

つまり、最悪の場合、
東京に帰れるのは明後日、そして職場に行けるのは明々後日・・・!
ヽ(ヽ゚ロ゚)ヒイィィィ!


何がまずいって、実は私、7月1日付で部署異動してまして、
まだ新しい部署に来て3日しか働いていない。
かなり無理やり休みをとって石垣に来ていて、旅の翌日には出勤する予定でした。
初めての来客の約束もあるし・・・
なんとしても絶対に、明日は職場に行かなくてはならない!!


そう思うと血の気がスーーッ、と引いていくのを感じました。
帰れなかったらどうしよう、と思ったら恐くて恐くて、
いつの間にか顔も姿勢もこわばっていました。


 
・・・ふと、周りを見ると、
同じく夜の便で石垣を出るはずの人が、なんか普通・・・。

むしろニコニコしてる。笑
肩の力も抜けてる。

「だってしゃーないやん、飛ばない時は飛ばんもん」

関西弁が適当ですが・・・
あっさりそんな風に言って、どこまでも自然だった。
(私の人生にたまに現れる関西人は、なんでこういう感じなんだろう笑。ひとくくりにしたいわけじゃないんだけど、ひさびさに思い出しました。)

彼のそんな姿に、少しだけ私も力が抜けて、
というか、それまでいかに自分がガチガチになってたかに気づかされました。



一体、私は何をそんなに恐がってるんだろ?
何を恐れてるんだろう?


昨日の夜、みさちゃんに言い放った自分の言葉がよみがえります。



「私たち、他人の期待を満たすために生きてるわけじゃないからさ。」




そう、本当はこれは、自分に言われた言葉だった。
別にちょっとくらい仕事休んだって死ぬわけじゃないけど、ないのに・・・

こんなに恐いのは、信用を失うと思うから。

もっとシンプルに言ったら、嫌われたくないから。



信頼されたい。好かれていたい。
いつも他人の期待に応えられる自分でいたい・・・。



そんな望みを持ってる自分の姿をかいま見てしまった、朝でした。
多かれ少なかれ、みんなそんな望みは持ってると思うけれど。

でもね、これあんまり大事にしすぎると、
どんどん恐い顔になって、肩こるんですよ。



その後、いくら見てもネットの情報は何も更新されないし、
電話をかけても全く繋がる気配もないし、
とにかく一度、空港に行ってみよう、という話になりました。

慌てて荷物をまとめて、宿のみんなに簡単に挨拶を済ませ、
まだドキドキしながらも、ひとまず一路空港へ。


空港に着いたわれわれを待っていたのは、
カウンターの前に並んだ長蛇の列でした・・・。


こ、これ並ぶの?どうしよう。


もったいぶるわけではないのですが(笑)、
長くなってしまったので、またもやつづく!